第15話 転校生 1973年9月4日 火曜

 昨日から2学期が始まっている。新学期を迎えて気になることがひとつあった。それは担任の野々村先生が体調を崩されて、出勤されていないことだった。それで新任教師の村下先生が代理で教壇に立つことになった。


 隣の1年3組では転校生の話題で持ち切りになっている。2時間目が終わった休憩時間、トイレに行こうと廊下を歩いていると桜坂くんが浮かない顔で近寄ってきた。


「どうしたらいいかな?今度の転校生」 


「どうかしたの?」 


「言ってることがはっきり聞き取れないんだよ」


「変なことを言うの?」 


「いやそうじゃないんだけど、言葉が分かるようで、よく分からないんだ」


 転校生の名は津々木数馬くんといって、遥か遠くにある秋田県からやってきたらしい。彼はネイティブスピーカーのようだった。自己紹介をする彼の話がすんなり頭に入った生徒は見当たらなかったという。これには担任のミスター井出も気を揉んでいたと桜坂くんは言う。彼の自己紹介の間、困ったように太い眉を下げて口を真一文字に結んでいたそうだ。


 発言を素早く書き取ったという桜坂くんがメモを見せてくれた。それはおよそこのような内容だった。


『あぎだがらきだつづきかずます。こんただほんしゅうのはすっこだばはずめでだもんで、なんもわがらねぁどもはえぐなれでどおもうす。なつやすみだばじっちゃのえでずっとべごこどせわすてだがらしったげいそしかっただすな。いんやじょうだんだ、べごなんてかってねす。まんずこいがらよろすぐおねがいするす』


 メモを読むと確かに『本州、夏休み、冗談、お願い』くらいしか頭に入ってこない。でもすべてひらがなで書かれると、そんなものだろう。むしろ、ここまで急いでメモを取った桜坂くんに驚いてしまう。


「これじゃ、彼と意思疎通を図るのは大変そうだね」と言うと、桜坂くんは困り顔をして、「そうだよ、連絡や相談、決め事が必要な時などがね。まくいくかどうか・・・」 


「そのうちに彼もこちらの言葉に慣れてくるだろうから、暫くの辛抱じゃないかな? 当面はペンとメモ帳を使ったらどうだろう」 


「そうだよなぁ」―――彼はため息をついて教室に入って行った。


 午前の授業が終わって昼食時間になった。気になる弁当のフタを開いてみると、昨日と変わらず白ご飯にしっかりとおかずが入っていた。しかも1学期の時よりも、おかずの内容がレベルアップしている。少年の母親は分かりやすい人だなと思う。第一関門をクリアした僕を次なる“総合ランク5”という目標に向かわせるために、弁当を利用してエールを送っている。


 昼食を終えると、廊下に出て3階からの眺めをしばらく楽しむ。最近の昼休みは、景色を眺めて過ごすことが多くなった。特に高速鉄道の高架工事が進んでいる北東方面が気になる。工事の進み具合を確認するのが楽しみのひとつになった。


 窓の外を眺める僕の肩を軽く叩く生徒があった。「おめがしかまりょうたぐんだが? おいはてんこうせいのつづきだ」


『えっ!この人が津々木くんなの? 初対面の僕のことを、摩耶ではなく鹿間と呼ぶのだから、ただものでは無い。彼もまた異邦人に間違いない』


「さい、おめのほんやくきカテゴリーBのラーニングモードさきりかえでぎるべか?」


『なんだって? 翻訳機をカテゴリーBに設定してラーニングモードにしろっていうの?』


『翻訳機のことを知る彼は、未来人に間違いない。 翻訳機の起動や切り替えにはちょっとしたコツが必要だけど、基本的には全て念じるようにして操作すれば大丈夫。まず最初に、頭の中で翻訳機を想像する。自分が好きなデザインの機械を思い描けばそれでいい。そうすると網膜ディスプレイに操作パネルが表示されるので電源をオンにする。次にカテゴリー表が網膜に浮かび上がるから、スイッチBを押す。するとモード選択画面に移るので“ラーニング”ボタンを押せばこれで完了。ラーニングモードを選べば、彼の話す方言を外国語と同様に、翻訳機が学んで標準語にしてくれるはずだった』


「切り替えができたよ、津々木くん」


「んですばらぐすっどひょうじゅんごさへんかんされるはずだ――――」


「そろそろ、へんかんされたべか?」僕は首を横に振った。


「へ ん か ん さ れ た べ か っ て !!」


・・・・・・せっかちな人だなと思いながら、もう一度首を横に振った。彼は痺れを切らして話し始めた。


「おいは2060年がらこの世界さやってぎだ。時間犯罪こどとりすまるそうさんかんだすぁ。小津真琴どご追ってでな。きっとおめの助けにもなれると思ってたがら。こいがら時々は情報提供兼ねでおめさ話し掛けるから・・・・・・」


「あっ、まだ完全じゃないけど徐々に翻訳されてきたみたいだよ。君には申し訳ないけど、最初から話してくれないかな?」彼はむっとした表情をして、面倒そうに最初から話をしてくれた。


「私はね、2060年からこの世界にやってきた、時間犯罪を取り締まる捜査官なんだよ。 小津真琴を追っているんだ。きっと君の助けにもなれると思っている。これから時々は情報提供を兼ねて君に話し掛けるから、その時は必ずラーニングモードに切り替えて聞くように!」


 そう言い終えた彼は3組の教室へと歩き出した。彼の後ろ姿を見た僕は、翻訳機の電源をオフにした。彼は教室の引き戸の前で振り返ると、「そんときだばじぇってぇラーニングモードさきりかえできいてけれなー!」と大きな声で言った。


 そろそろ午後の授業が始まるころだから、僕も教室に入るとしよう。するとすれ違うように小津真琴が教室から出てきて、僕を睨みつけながらトイレの方向に歩いて行った。


―――放課後になった。今日は部活動がないので、野球部の梅野くんと僕とでテニス部の兼田康夫くんの家に向かった。歩きながら梅野くんから転校生の話題が出た。彼も3組なので津々木くんの自己紹介を聴いたらしく、教室で過ごす彼の様子も目にしていた。


「あの転校生はね、僕の思い違いかもしれないけど、立ち居振る舞いが気になるんだよな。つまり彼は中学生じゃないように思えるんだ。どこか大人と言うか、教師とか警察官とかそんな雰囲気が滲み出ているんだ」 梅野くんの勘は鋭かった。僕は『実はね、彼の職業は犯罪捜査官なんだよ』と言いたい衝動に駆られた。 


 兼田くんの家に到着すると、直ぐにオーディオ機器が置いてある部屋に通された。そこには多くのレコードが置いてあって、彼のお奨めの曲を次々と聴かせてくれた。 まずは 『ライオンは寝ている』 ※8 という曲をかけてくれた。風変わりなイントロから始まり、耳から離れなくなる意味不明な掛け声が特徴的だった。インパクト十分なその曲を梅野くんは気に入っている様子で、もちろん僕も直ぐにハマってしまった。その後も興味深い曲が次々と流れたが、60年代の古風なサウンドが今日のポイントになる。中でも、一度聴いてしまうと脳裏に焼き付いて、中毒になりそうなゾンビーズの曲。特に 『二人のシーズン』 ※9 は最高だった。


★――――――――――――――――★


※8『ライオンは寝ている』 原題 『The Lion Sleeps Tonight』 は1961年にアメリカビルボードチャートで1位を獲得したトーケンズ(The Tokens)の大ヒット曲。創設メンバーにはニール・セダカが含まれていた。日本では1970年以降にリバイバルヒットしており、当時のラジオでは頻繁に流れていた。


※9『二人のシーズン』原題 『Time of The Season』は、イギリスのゾンビーズ(The Zombies)が1969年にリリースすると、アメリカで大ヒットした。日本ではグループサウンズのカーナビーツがゾンビーズの『アイ・ラブ・ユー』を『好きさ好きさ好きさ』と題してカバーしたことで知られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る