第14話 市立図書館 1973年8月25日 土曜
お盆が過ぎると夏休みも終盤に入る。この頃は夏季休暇が第2フェーズへ移行するようなもので、宿題をそろそろ仕上げて2学期に備える時期になる。これまでは7月のクマゼミ、8月からのアブラゼミが炎夏を謳歌していた。しかしこの時期ともなると、彼らは使命を終えて次々と地面へと降下する。そこで次は俺たちが主役とばかりに、張り切るセミ達が登場してくる。
実は登場した彼らも7月から徐々に鳴き始めていたけれど、他のセミ達の大きな声にかき消されてこれまでは目立たずにいた。しかし競争相手が次々に脱落すると、彼らの鳴き声はにわかに際立ってくる。季節の移ろいを皆に知らせながら『さあ、夏休みもラスト1周だよ、頑張れ!』 そう生徒たちに号令を掛けてくれる。それが “ツクツクボウシ” なんだ。
少年の母親から命じられた読書ノルマは、今のところなんとか達成できそうだった。こうして読書を進めたおかげで、今の僕は元の世界に帰還するという使命感が強く芽生えていた。単なる空想小説だとは思えないオーウェルの 『1984年』や、ディックの 『マイノリティ・リポート』に大きな刺激を受けていた。
遅かれ早かれ2043年の世界は、作家達が予測する事態に陥ると僕は思っている。警鐘が鳴らされているのに、何も行動に移さない人間でいたくない。独りの力ではどうにもならないと分かっていても、帰還して微力を尽くしたいと考えるようになっていた。
この世界に跳躍してからというもの、僕は生き延びるために、『他人を演じる』ことを最優先に取り組んだ。多少の失敗もあったけれど、摩耶浩之として生きる自信はついた。そして僕の翻訳機が、今も使用できるということは、わずかな希望を残しているといってよい。だとすれば基盤データベースの回復を探ることが、元の世界に戻る大きな一歩になるのではないだろうか。
それからタイムリーパーだと思われる相川詩織さん、小津真琴くんからアドバイスを受けることはとても大切なことだった。ところが目の前には大きな壁が立ちはだかっている。なぜなら次のような校則の厳しさを、どうクリアすれば良いのか分かりかねるからだ。
① 校区外に出る時は制服を着用しなければならない。
② 学内であれどこであれ、特定の異性とだけで話してはいけない。
③ 喫茶店またはそれに類似する店に入ってはいけない。
④ 親に隠れての電話や文通は禁止する。
とにかく1対1の交際は許さない!
このように周りの目が光っているのだから、彼らと接触するよいアイデアが思いつかない。
部活動は今日からしばらく休止になっている。無駄になるかも知れないけれど、市立図書館に行って帰還するために参考となる書籍があるか確認してみよう。図書館までは、家から徒歩15分にある最寄りの停留所からバスに乗れば30分で着く。開館時刻は9時30分だから、今なら身支度を急いで出発すれば開館時刻までには到着する。
市内の文教地区にある市立図書館は小高い丘の入口付近にあって、丘の上には小学校や中学校が立ち並ぶ。開館時刻前に到着すると、そこにはこの時期ならではの長い列ができていた。家庭にエアコンが十分に普及していないこの時代。冷房の効いたところで勉強すれば、家よりもはかどるから多くの生徒たちが集まる。僕は最後尾に並んで開館時刻まで待つ。列の前方には同じ中学校の生徒たちの姿があった。ようやく9時30分になると、利用者が次々に館内に吸いこまれていく。必要な書籍の存在を確認したいだけの僕は、席を確保する必要は無い。だから慌てることなく、ゆっくりと一般図書コーナーへと進んだ。
図書コーナーの棚をくまなく確認していく。時々通路にたたずんで目を引いた本の頁をめくる。これを何度も繰り返すけれど、今のところ目的とする本には出合っていない。こうしてほとんどの棚を調べただろうか、向かい合わせになっている書棚と書棚の間に、ブラインドから漏れた日光が差し込んでいた。本を吟味していた僕は、ふと人の気配に気がつくと顔を上げた。そこには逆光で顔がはっきり確認できない、女性らしき姿が手招きをしていた。
『誰だろう? サングラスをかけたシックなワンピース姿の人。僕の知り合いにはいない女性だった』その人は僕に近づくと、耳元で囁くように言った。「摩耶くん、もう無駄なことはやめてここを出ましょう」驚いて目を凝らすと、それは相川詩織さんだった。普段のセーラー服とは違った相川さんに、引き寄せられるように後ろをついていくと、一般図書コーナーから出た。
階段を降りながら彼女は言った。「2階に談話室があるからそこで話しましょう」そして続けて、「今日の私はあなたの従姉だからね。そう20歳の女子大生ってところかな?誰かに聞かれることがあれば、『従姉と一緒に行動していた』って言うのよ。坊や、わかったかな?」実年齢24歳の僕は黙って素直にうなずいた。
談話室に6つあるテーブルのひとつが空いていた。僕は彼女が椅子に座るのを待ってから、向かい側の席に着いた。
「なぜ僕が図書館にいると思ったの? それとも偶然に?」
「あなたが今日この時間、此処へ来ると知ったからよ。こうでもしなければ、学校ではゆっくり話が出来ないでしょ?」
このように、彼女は短く要点だけを返事したきりだった。どのような方法で、僕の所在を知ることができたのか聞きたかったけれど、彼女は視線をそらしてしまった。どうでもいいことだと言わんばかりにそっぽを向いていた。
大人っぽいワンピースに、足元は夏を感じさせるサンダル、そしてサングラスを掛けた姿はまさに女子大生そのものに見えた。彼女は私服で校則違反を犯し、談話室でこれから特定の異性とだけで話すという、2つ目の違反をしようとしている―――『なんて思い切ったことをする人なんだ・・・』こんな彼女に僕は引き寄せられずにはいられなかった。
「風景写生の時、また話しをしようと約束したのに、これまで叶わなかったわね。聞いて欲しいことはたくさんあるんだけれど。さあ、どこから話そうかな?」――― そう言って、彼女はサングラスを外すと、手元にそっとやさしく置いた。その時、僕が見たのは決して過度ではなく薄い化粧を施した姿で、メイクに慣れた大人の女性だった。
「正確に言うと私はタイムリーパーじゃないのよ。小津真琴くんがそうなの。私は彼に振り回されているだけなんだ。いや支配されていると言うのが正しいのかな。摩耶くん、すなわち鹿間陵太くん。あなたは24歳だったわね?」そう言って彼女は微笑んだ。
『なぜ僕の本名や年齢を知っているんだ! この世界じゃ誰も知らない筈なのに・・・・・・』
「今から話すことをよく聞いてね。私が初めてタイムリープしたのは、今から14年後の27歳になった時なのよ。そのころは、彼氏と近く結婚するはずだった。ところが、突然そこから10年後の未来にタイムリープしてしまったの。そう、1987年から1997年にね。27歳であり、37歳でもある私は、そこで小津真琴くんに出会うことになる。1997年の私は、家族と生き別れになっていて、一緒になるはずだった人の消息は途絶えていた。そんな運命に打ちひしがれた私に、近づいてきたのが小津くんだった。後で分かったことだけど、彼が計画した罠にまんまと落ちた私だったのよ。それから2年というもの、小津くんと一緒に時を過ごすことになってしまった」
『深い事情というか、込み入った話だな・・・相川さんがこんなに重い過去を背負っていたなんて! いや違う、重い未来というべきかな? いずれにしても夢にも思わなかった彼女の人生だな』
「まだ話は続くわよ。小津くんは 『2人で一緒に未来に行こう』 そう言って、私を2060年にタイムリープさせたんだ。これは鹿間くんとは逆パターンだよね。この意味って分かるかな?私は1960年生まれだから、2060年は私にとって100年後の未来よ。私はとっくに他界していた!」こう話す彼女は感情が高ぶってきているように思えた。
「ちょっと待って!少し落ち着こうね・・・飲み物を買ってくるから。一息入れてから続きを聞かせてよ」そう言って、僕は談話室に設置された自動販売機で、ファンタオレンジの瓶を2本買った。そして紙コップを添えて1本を彼女の前に置いた。
彼女はジュースを紙コップに注ぐと、ひとくちだけ口につけて話を再開させた。
「それで、気が付くと知らない人の体に、私の意識が入り込んでいたの・・・・・・鹿間くん、ここはよく聞いて!この時代に私は生きていないから、他人に入り込むしかなかったのよ。これはね、2060年では『意識スライド』って呼ばれているものよ。過去であれ、未来であれ、自分が生きていない時代にタイムリープした場合、他人の身体に入り込むことになるのよ。正確に言えば、他人の意識を押しのけて、自分の意識が入り込むということね」
『やはりそうだったんだ!!『意識スライド』 は僕の住んでいた世界でも、噂レベルで聞かれるようになっていた現象ではあった。自己の意識が、過去や未来に生きている他人の体内に進入することなんだ。そのメカニズムは未だ解明されていないけれど、確か代表的な著述が 『ディーナッハの未来予言』というもので、2016年に英語版が出版されたと聞いたことがある』
「肝心なことはね。小津真琴はタイムリーパーで、私を跳躍させるどころか、特定の意図した他人に入り込ませることができるのよ。つまり、彼は『意識スライド』まで自在に操ることができるってことよ!」
「言ったでしょ?2060年の世界には私の体が無かったから、偶発的に 『意識スライド』したと最初は思ったの。でもそうじゃなかった。小津は、自分のものにしたかった女性の体に、すっかり支配してしまった私の意識を意図的に入れたのよ!そうやって小津!は、嫌がる彼女を手に入れることができた。なんて卑劣な行為なの? 絶対に許せない!」 彼女の目からは涙が溢れ出ていた。
「それから3年の歳月が流れた。ある日、小津に困ったことが起きたの。それで私が小学5年生だった過去まで、小津は私を連れてタイムリープした。小津としては、本来の彼が生まれる前の過去だから、小津少年に『意識スライド』したということね。それ以降、今でもずっと私を監視しているのよ」ようやく彼女は落ち着きを取り戻したようだった。胸に詰まっていた悩みを吐き出した後の安堵感が表情に出ていた。
話初めは小津真琴くん、次は小津くん、次第に小津真琴と呼び捨てる。そして最後には小津! 彼女はどれだけ精神的に負担を抱えていたのだろうか?またそれを吐き出す作業の過程で感情が高ぶっていく様は、とても人間味に溢れていた。僕は、そんな彼女を見ていると、なんだかとても、いとおしくなっていた。
「話が長くなってまだ肝心なところを話せてないけど、それは次の機会にしようね。 彼が鹿間くんにとってキーマンであることは間違いない。例えば、彼が接近してきたときに香水のような匂いがしたでしょ?それもタイムリープに関する重要な鍵なのよ。奴から詳しく聞き出すことができたら直ぐに教えてあげるね」
談話室の壁に掛かる時計の針は、既に午後1時30分を回わっていた。図書館に来てすでに4時間が経過していた。僕は相川さんにお願いした。「僕がまだ知らないことを近いうちに必ず教えてね」彼女は深くうなずくと、「ねえ、お腹空いてない?此処を出て近くのお店で何か食べましょうよ」僕は大賛成だったが、彼女はこれで3つ目の校則違反をしようとしている。
図書館を後にして、暫く南の方角へ歩いていると、大通りから左に入ったところに小さな喫茶店が見えた。ゆっくりと店の扉を開けると、カウンターの中に立つ女性が優しいまなざしで迎え入れてくれた。その人はグラデーションブラウンの、大きめのサングラスがよく似合うママさんだった。
ママさんは気さくでもあり「そこに座るといいよ」と席を案内してくれた。僕たちは2人掛けのテーブルに座ってメニューを開いた。店内に拡がるコーヒーの香りに惹かれて、サイフォンで入れてくれるコーヒーを2つ注文した。またスパゲッティ・ナポリタンとピザトーストを追加して、これを2人でシェアすることにした。隣の店は蕎麦屋さんだったけれど、何故か喫茶店の裏手にあるドアでその店と繋がっているようだった。
僕は彼女を軽くいじりたくなってこう言った。「話はじめは小津真琴くんだったのに、最後は奴って言ってたよね」彼女の顔はみるみる赤く染まった。調子に乗って、更に意地悪い質問を続けた。
「計算してみたんだけどね。話の内容からすると・・・相川さんって、実は34歳だってこと?」
「えっ! そういうことになるのかなー?」
「そういうことだよ!だからさ、君は世界一若い34歳の女性だってこと!」
「なにつまらないこと言ってんの!」いつものクールな相川さんに戻っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます