第7話 「教会の新しいエスタ」


「私の、魂?」

 俄かに舞花の表情が曇った。

「そうです。おいやですか? ――なら仕方がありません、そこの彼にもう少々痛い思いをしてもらいましょうか」

「だめだ、舞花、こんな奴の言うことを聞いちゃいけない!」

 見えない大きな手で床にしつけられているようで、まるっきり身動きが出来ず、なんとかそれだけ搾り出すように言った。


「口が減らない人ですね、君は」

 そう言って横目で俺を冷眼視れいがんしすると、再び左の人差し指で輪を描いた。その瞬間、今まで全身をし潰すように掛かっていた見えない重力が、より一層左腕に集中し、絞りあげるように傷口から血が流れ出す。


「うあっ…」

 激痛に耐えかねてうめき声が出た。

「やめて! もうやめてください!!」

 苦痛に歪む俺の顔を見て、舞花が必死に叫んだ。

「わかりました…。お渡しします、私の魂…。ですから、もう、これ以上亜門くんを苦しめないで…」

「なっ!」

 声にならない声が俺の口から洩れた。まさか、舞花が俺のために魂を差し出すなんて。


「決心がつきましたか? エスタ舞花」

 俯きながら舞花がうなずく。その眼が涙で潤んでいる。


――なんて、なんて情けないんだ、俺は…。彼女を犠牲にして、自分が助かるなんて。考えるだけで、悔しくて気が狂いそうになった。


「そうですか。それではその神器、リブラを棄てて、こちらにいらっしゃい」

 魔人ストリングが静かに微笑んだ。


 舞花は手にしたリブラをそのまま床に置くと、静かにこちらに歩み寄り、顔を上げて魔人を見上げた。涙が一条ひとすじ頬を伝う。

「美しい・・・。やはり哀しみに暮れる女性の涙というものは」


 ストリングは右手で軽く舞花の顔を持ち上げ、その眼を見つめながら言った。舞花は臆せず、りんとしてストリングを見返した。

「そうですね、決めましたよ。あなたのその涙をこの人形のにえとしましょう。体の一部を贄とするよりは魂の定着に時間は必要ですが、なに、問題はありません」

 そう言うと、舞花の両頬を伝う小さな涙の粒を指ですくい取った。


「待って! 先に亜門くんを自由にして」

「それは出来ません。――が、そうですね、少し楽にしてあげましょうか」

 左手の人差し指をこちらに向け輪を描く。し潰されるような全身を覆う感覚がなくなった。が、身体の自由が利かず、身動きが取れないのは変わらなかった。


 続けてストリングが人差し指をくるりと回した。

 俺は操られるままに、ゆっくりと立ち上がった。馬鹿みたいに突っ立ったまま動けない。左腕からは血がポタポタと滴っている。

「お別れの時間くらい差し上げましょう。私は情け深い魔人なのですよ」

 自分で言ったことが可笑おかしくて堪らないといったように、ストリングは引きった甲高かんだかい声で笑い出した。


「亜門くん、大丈夫!! ごめんなさい、私が一緒に来てなんてお願いしたから、こんなことに…」

「舞花、バカな真似やめろ。魂を渡すなんて」

「いいの…。人を救うのが神に仕えるエスタの役目。あなたを救うためなら、魂でも命でも私は喜んで差し出します」

「何言っている、お前らしくもない、諦めんな!」


「さあ、もうそのくらいでいいでしょう。始めましょう、エスタ舞花。あなたの魂をこのフィギュアの中に封じ込めます。リブラの神に仕えるエスタの魂を奪ったとなれば、私にとっての素晴らしい呪具となるでしょう」

 言い終えると、舞花のフィギアを取り出し、その顔にさっき舞花からぬぐい取った指の涙をでるように塗り付けた。


「クソッ! やめろ、ストリング!!」

 激昂する言葉とは裏腹に、体はピクリとも動かない。 舞花の周囲に薄っすらと白いもやのようなものが漂い出した。

「ごめんなさい、亜門くん。巻き込んでしまって。でも、短い間だったけど、あなたと一緒に暮らせて楽しかった。ありがとう…」

「だめだ、そんなこと言うな・・・」

 身動き出来ないのに、全身がぶるぶる震えているのがわかる。

「私のこと忘れないで…。好きよ、亜門くん。神さまの次にね…」

 哀しげに笑うその眼から涙が溢れて零れ落ちた。


 白い靄に包まれて、その姿が次第に見えなくなる。と、次の瞬間、その靄が急激に流れ、ストリングが手に持つ舞花のフィギアの中に、たちまち流れ込んでいった。

 魂を失い、床に転がる舞花の姿が目に入った。

「舞花、まいかぁ!!」


「アッハッハッハ、神様の次に好きだと言われてもねぇ。あんなに頑張ったのに、浮かばれませんねぇ、君も。まあしかし、安心してください。そんな君の魂もすぐに封じて、この人形の隣に置いてあげますから」

「なんだと、てめえ!!」

「おや、まさか、私が約束を守るとでも? やはり、いざとなると甘いですねぇ、人間は。魔人の言うことを信じるとは」

 怒りに歯噛はがみする俺を嘲笑うかのように、わざとおどけた表情でニヤニヤ笑いながらそう言った。



 ――音もなく、何かが忍び寄る。

「……アモルとリブラ。二はしらの神、その御名みなにおいてこの魔人を滅せよ!!」

 背後から小さく祈りの声が聞こえてきた。突然矢の如き速さで光の輪が翔んで、ストリングを捉える。

「うっ、なんです!? この輪は・・・」

 両腕ごとその身を縛るように、金色こんじきの光輪がストリングに巻き付いた。


「終わりです、魔人。――汝、滅しなさい!!」

 そう叫んで、店の中ほどに紫色の教会服の若い女が姿を現した。ライトブロンドの髪と美しく透き通った青いひとみ


「魔を払え!!」

 そう言うと、伸ばした彼女の腕の左手の薬指にめられた銀の指輪から、続いて金色の光の輪が二つ放たれ、大きく広がって俺と舞花の身体を次々に包み込んだ。

 途端にストリングの呪縛が解けた。俺の身体が元の通りの自由を取り戻した。が、それまでの反動で力が抜け、ストンとそのままその場に座り込んだ。


「舞花、しっかりして! 舞花!!」

 その声にひかれ目を遣ると、同じく光の輪に包まれたまま、見覚えのある黒い教会服の女が倒れた舞花を抱き起している。


「あなたもリブラのエスタですか、しかも神器を」

 声は穏やかだが、険しい顔で紫色の教会服の女をめ付けている。その身の自由を取り戻そうともがくが、逆に光の輪は魔人を締め付けるように次第に縮んで食い込んでいく。


「聖なる魂よ、放たれよ!」

 再び左手の指輪が輝いた。ストリングが握っていた舞花のフィギアが砕け散り、瞬く間に白いもやが舞花の中へと流れ込んでいった。

「あなた、なんということを。せっかく奪い取った魂を。許しませんよ!」

「おだまりなさい! あなたこそ、神に仕えるエスタの魂を奪おうなどと。そのようなこと、絶対に神がお許しになるはずがありません!」

「知ったふうなことを!」

 怒ったストリングが叫んだ。

「滅せよ! 魔人」

 言葉と共に光の輪がさらに縮まって、ストリングの体を締め上げた。堪らずストリングが悲鳴を上げる。

「うあぁ、やめろ、クソ!」


 紫色の教会服の女は一旦その場を離れ、舞花と黒い教会服の女の元へ駆け寄った。

「エスタ美咲、エスタ舞花は大丈夫?」

「エスタ レナ! だめ、まだ意識が戻らないわ」

「彼女の顔を上げて」

 言われた美咲がぐったりとしている舞花を縦に抱き起した。レナと呼ばれた紫色の教会服の女は、光る左手の指輪を舞花のひたいかざした。

「天上の神、アモル、リブラ。ここなるあなたのしもべに、再び魂の輝きをお与えください」

 目をつむり、何度も祈り続ける。


 ようやく少し動けるようになった俺は、ズボンのポケットからハンカチ代わりに持ち歩いているバンダナを取り出し、傷口にグルグルと巻き、右手と口を使って無理矢理縛った。強く縛ろうと引っ張りすぎ、あまりの痛みに跳び上がりそうになった。

 苦痛に顔を歪めながら目を細め、前方を見ると、ストリングが光の輪に縛られ、身悶えしながら苦しがっている。

――あの野郎、ぶっ殺してやる!

 ふらふらと立ち上がり、近くに落ちていた舞花の短剣を拾い上げた。手にすると、再びしろがねに輝き出した。それを見て、ゆっくりとヤツに近づいて行った。


 光の輪の拘束から逃れようと、必死にもがいていたストリングが、俺が近づいて来たことに気が付いた。

「な、なんだ小僧、貴様ぁ!」

 一瞬こちらを見て睨んだストリングだったが、俺が手にした短剣の耀きを見ると、途端に顔色を変えてひるんだ。

「お、お前、それ…。やはり、アモルの光か…」

 慌てて背を向け逃げようとした。


「待てよ!」

 俺はストリングに飛びつき、そのままし掛かって押し倒した。しばらくみ合っていたが、その間にもリブラの光の輪はどんどん縮まって魔人の身を焦がす。

「うあぁぁ、熱い、焼ける。畜生! この輪をほどけエスタ!」

 ストリングは必死に暴れ、俺を払い退け、よたよたと逃げようとする。そうはさせまいと、剣を握ったまま、右手で後ろから背広のえりを掴んで引っ張り、仰向けに押さえつけ馬乗りになった。そうして逆手さかてに握った短剣を、ゆっくりと振り上げた。


「や、やめろ。そんなモノで私を殺せば、フィギュアの中の魂も助からない。みんな死ぬぞ!!」

 額に脂汗を滲ませながら叫んだ。

「黙れ。どうせ、助ける気なんかないんだろ?」

「た、助ける、助けるからやめろ、やめてくれ。――うぁ、死んでしまう。その剣を降ろせ!!」

 俺が振り上げた短剣を見ておびえるように、必死の形相で懇願する。


「ほんとうか?」

「ほ、本当だ、だからやめろ、やめてくれ。それを使ったらお前、私だけでなく、他の大勢の人を殺すことになるんだぞ、いいのか?」

「お前の言うことなど信じられるか」

「死ぬぞ、お前のせいで。フィギュアの中の大勢の人間が、この世に戻って来られなくなって死ぬんだぞ! お前が殺すんだぁ、この人殺し~~!!」

 最後には俺をののしって、ヒステリックに叫んだ。


「だけど…、死ねばお前も、もうここに戻って来ないんだろ?」

 その言葉に驚愕きょうがくするようにストリングが目をみはった。


「おやめください、鳴神なるかみさま!」

 俺のすぐ後ろで声がした。凛然りんぜんとしたよく響く声。

 ゆっくりと後ろを振り返った。そこにあの紫色の教会服の女が立っていた。一見すると西欧人だが、幼い顔立ちの中に日本的な趣もある。ブリュやジュモーといった、ビスクドールを思わせる、不思議な雰囲気の漂う女だった。


「もうおやめください。この魔人の魔力は封じました。あとはこの魔人拘束用の手錠を使えば…」

「ああ? 誰だ、お前? 黙ってろ!」

 怒りに任せ、我を失っていた俺は、言い捨てて視線を元に戻した。

「や、やめろ…」

 囚われの魔人が怯えながら身悶えする。


 俺が振り上げた舞花の短剣。その銀の輝きがいや増している。添えようとした左腕が痛くて上げられず、右腕一本に力を込めて振り下ろそうとした、その時。


「やめて亜門くん…」

 声に反応して背後に身をひねりかけた。…がしかし、勢いは止められず、振り下ろした剣が狙いをれて魔人の右肩を貫いた。すぐさま右腕が光って消滅し出す。

「うあぁぎゃぁ!!」

 おぞましい悲鳴が響いた。


 すぐに紫色の教会服の女が駆け寄って、俺をストリングから引き離して剣を引き抜いた。手にした剣を見て「これって神器? でも銀色に光る神器なんて・・・」

 驚きの表情で不思議そうに俺を見てつぶやいた。


 その場にへたり込んだまま振り向くと、もう一人のエスタ、美咲に支えられながら舞花が俺を見つめていた。

「舞花…。よかった、生きてたのか…」

 うつろに彼女を見上げながら言った。

「うん。あの人が私の魂を取り返してくれた」

 そう言った舞花の視線を追うと、教会の新しいエスタ、レナ・マーカスはストリングに対魔人用の手錠を嵌め、リブラの光の輪から解放しているところだった。


 美咲がストリング拘束の手助けのため、この場を離れると、そのまま舞花は駆け寄って来て、いきなり俺に抱きついた。

ってえ!」

「あ、ごめん・・・」

 俺の悲鳴に驚いて、すぐに身を離した。

「ったくもう・・・」

 そう言って腕を押え、顔をしかめて舞花を見た。ところが彼女、今まで見せたことのない神妙な顔をしている。

――ん? なんだ、どうした?


「ごめんね、亜門くん、私のせいで酷い目に合わせちゃって」

 そう言うと、半泣き、半笑い、といった表情で、

「でも、本当に…、無事でよかった…」

 と、今度はやさしく、そっと抱きついてきた。

「ま、あんまり無事じゃないけどな」

 何だかホッとしたのと、照れ臭さでそう言った。

「無事じゃない? また腰抜けになったの?」

「お前、わざと言ってるだろ・・・」

「わかった?」

 上目遣いでいたずらっぽく、可笑しそうに笑いを堪えている。

「チッ、ケガ人にいつまで抱きついてんだ、どけ、このヤロ」

「やぁ~だ! ――もう少しだけ…。がんばった亜門くんに、私からのご褒美。神もきっとお許しになります」

 そう言って、もう一度キュッとしがみついてきた。

「なんだ、それ」


 入り口付近が急に騒がしくなり、どやどやと数人が店内に入って来た。その先頭を切って叫びながら、伏見刑事が走り寄った。

「舞花さぁん、無事ですかぁ!?」

 すぐさまゆかの上に座り込んで抱き合う二人を見つけ、卒倒せんばかりに絶叫した。

「な、鳴神君、君、何をしているんだ!!」

「あ、いや別に、何も・・・」


「おい伏見、こっち手伝え!」

 春日刑事に呼ばれた伏見刑事は、憤懣ふんまんやる方ないといった様子で、渋々呼ばれた方へ向かった。

「立てる?」

「あ、あたり前だ。腰なんか抜かしてねえから。今まで抜かしたこともないから!」

「はいはい、わかりました」

 ニヤニヤしがら手を添えてくれた。


 俺たちが立ち上がってふと前を見ると、目の前に紺色の教会服の女が立っていた。気が付いた舞花が驚いたように言った。

「ネクセインスタ…。美悠みゆさま!」

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