第6話 「人形使い」(前編)


 翌日、私は何かにかれたように、名刺の住所を頼りに、あの男の店へと出掛けて行きました。その店はとある私鉄の駅前の、古くて寂びれた商店街の一番奥の方にありました。

 店の前に辿たどり着くと、入り口の左右にショーケースがあり、その中に商品とおぼしきフィギュアが少数ながら展示されていました。         

 ところがよく見ると、中のフィギュアはどれもきらびやかなアニメのキャラクターや有名アイドルなどではなく、見知らぬ人、言ってしまえば、どこにでもいそうな普通の格好をした、ごく普通の人達でした。

 果たしてこれは売り物なのだろうか、本当にこんな物が売れるのだろうか、と思いながらも意を決して店の中へ入って行きました。

 

「やあ、いらしゃい。さっそく来ましたね」

 店の奥の方から声がしました。見ると、ゆうべの白髪混じりの紳士が、奥のカウンターの中で穏やかに微笑んでいました。

 店内に私の他に客はなく、あちこちに展示された大小さまざまなフィギュアが、弱々しい照明に照らされて静かにたたずんでいました。しかしそのどれもが、どこの誰ともわからない、見覚えのない人達ばかりでした。


 私が近づいて行くと男は、ご決心はつきましたか、と引きった口元に笑みを浮かべながら言いました。私は黙ってうなずきました。

「では、あなたの魂を私にお預けいただけるということでよろしいのですね?」

 男は念を押すように言うと、カウンターの下から銀色の小型のアタッシュケースを取り出しました。

 ケースを開けると、中は三ヵ所に区切られていて、その一つ一つに大事そうに黒い布に包まれた人形らしき物が収まっていました。

 男はその中から真ん中の物を選んで取り出してケースを閉じると、ゆっくりと黒い布をめくりました。すると中から見覚えのあるワンピースを身に着けたフィギュアが姿を現しました。


「これって、妻の…」

 そのフィギュアが身にまとっていたのは、彼女が好んで着ていたお気に入りのワンピースをした物でした。

「できるだけ記憶にある奥さんの姿に近い方があなたも感情移入がしやすいでしょう」

 そう言って手渡されたフィギュアには、やはり顔がありませんでした。身に着けている物、髪型や体系、手や足の形までそっくりに再現されているのに、なぜ顔だけのっぺらぼうのように無いのだろう。


 そんな私の疑問など、当然予期していたかのように、笑いながら男が言いました。

「いえいえ、御心配には及びません。毎日恨み、憎しみを込めてこの子の首を絞めて苦しめてやれば、なあに、三日もすれば苦痛に歪んだ奥さんのお顔が浮かんできて、拝むことができるようになりますから」


 私は驚いてフィギュアから視線を上げて男を見ました。

「首を絞めて苦しめる、ですって! このフィギュアの?」

「まあ、小さな人形なんで、ちょっと細いですがね、簡単でしょう。こう二本の指でチョイとまんで、キュッと締めればいいんですよ」

 男は言いながら私の目の前でフィギュアの首をキュッと指で摘まんで見せた。


「さあ、あなたもやってごらんなさい」

 促された私が手を伸ばし、そのまま躊躇していると、急に男が大声で笑い出しました。

「あっははは、まだ大丈夫ですよ、このままではただの人形です。中に奥さんの身体の一部を入れないとね。あなたがいくら恨みを込めても、これでは願いは通じません。――何か、お持ちいただけましたか? 奥さんの髪の毛とか爪とか」

「あの、妻が使っていたヘアブラシが残っていたので…」

 私は鞄の中から妻が使っていたヘアブラシを取り出して男に渡しました。それには数本の髪の毛が絡まっていました。


「うん。これくらい残っていれば十分だ」

 男はブラシを受け取ってフィギュアの首を外し、その首の抜けた胴の小さな穴の中に、ブラシに残っていた妻の髪の毛を、数本摘まんで入れて元に戻しました。



 *****



「それが、これです」

 ここまで話した後藤さんは、ゆっくりと鞄の中から問題のフィギュアを取り出して、俺たちの目の前に差し出した。思わず舞花と二人、顔を見合わせた。

 それは何と言うか、普通のフィギュアとは違って妙に生々しく、肌の質感など限りなく本物の人間に近く、ことの経緯を聞かされたせいもあるのだろうが、どことなく薄気味の悪い雰囲気を漂わせていた。


「あ、亜門くん、フィギュア、見せていただいたら? 好きでしょ、こういうの。――そうそう、いくつか部屋に飾ってあったじゃない!」

「えっ!? いや、フィギュアは嫌いじゃないけど、呪いとかそういうのはちょっと…」

「怖いの?」

 舞花が引きった薄笑いを浮かべ、小馬鹿にしたように俺を見て言った。

「お、お前こそ!」 

 眉を寄せ、顔をちょいと斜めにして、横にいる舞花を見て言い返した。


「あ、あの、別に今無理に見ていただかなくても…。――まあ、首を絞めなければ、こいつも普通の顔をしているんですけどねぇ…」

 そう言って、もう一度鞄に戻した。

「・・・・・・」

 二人黙ったまま、また顔を見合わせた。何と答えてよいかわからなかったのだ。


「あの、それで、まだ続きがあるんですけど…」

 後藤さんがこちらに向き直った。

「は、はあ…」

「そうですか…」



 *****



「ああぁぁ…」

 妻と同じ姿をしたフィギュアが苦しそうに悲鳴を上げている、・・・ような気がしました。

「ふむ、やっぱり私ではだめですね」

 男がフィギュアの首を摘まんでいた指を離して言いました。

「だめなんですよ、私じゃ。――恨みを抱いているあなたでなければ。このフィギュアは育ちません」

 そう言って、気味悪く微笑んで、妻のフィギュアを私に手渡しました。


「恨みの晴らし方はいろいろです。首を絞めてやるだけでも十分ですが、物足りないようでしたら、そうですね、脚を叩いてやれば痛くて歩けなくなるでしょうし、腕を引っ張ってやれば、それこそ抜けるような苦痛を感じるでしょう。——ああ、そうだ。あなた奥さんに逃げられて、それで恨んでいるのでしたね。残念です。一緒に暮らしていなければ、彼女の痛がる姿を見ることは叶いませんねぇ」

 男は引き笑いのような薄気味の悪い声を上げて笑いました。


 私はいよいよ怖くなり、いまだ半信半疑ながら、さっさと代金を払って早く店を出ようと思いました。

 すると、男は少し怒ったような表情になって言いました。

「さっきも言ったでしょう。お金じゃありません。あなたの魂をもらい受けますと。いいですか、これは契約です。決して反故ほごにはできません。――あなたがはげめば、そうですね、二週間もあれば奥さんの命は尽きるでしょう。二週間後、このフィギュアを持って、もう一度ここへいらしてください。その時に奥さんの魂をこいつに封じ込めます。それと同時にあなたの魂もいただきます。いいですね」


 薄暗い店内の雰囲気、不気味な初老の紳士の鬼気迫る様子に、どうにも信じがたい話を聞かされ続けた私は、そのまま何だかだんだんと気が遠くなっていきました。


 ふと気が付くと、いつの間にか店を出て、私はふらふらと薄暗くなった商店街の通りを、駅の方に向かって歩いていました。



 *****



「それで、あなたはそのフィギアの首を絞めて、奥さんへの恨みを晴らすことができたんですか?」

 一呼吸おいて、舞花が尋ねた。

「まあ、最初はまだ半信半疑でしたし、そんなことがあるはずがないと思いつつも、やはりその時は死ぬほど妻が憎い気持ちもあったので、試すように何度か首を絞める真似をしてみました」


「それで、どうなったんですか?」

 恐る恐る俺が尋ねた。

「はい…」

 後藤さんは再度鞄の中からくだんのフィギュアを取り出し、今度は俺たちによく見えるように顔をこちらに向けた。

「あの男の言うように、三日ほどでつるつるだった顔に表情が現れ出して、気がつくと一週間くらいで、いつの間にか本当に妻の顔になっていました」

 こちらに向けられたフィギアの顔は目を閉じていたのだが、のっぺらぼうではなく、普通に目や鼻や口のある女性の顔をしていた。

 が、次の瞬間、いきなりその目が開いてカッと俺をにらんだ!! 


「うわぁっ!!」

 声を上げてのけぞったのと同時に、舞花の胸元のリブラが突然金色に輝き出した。

「亜門くん、静かに!」

「いや、だって目が!!」

 舞花はロザリオのリブラをゆっくりと首から外して手に持ち、フィギアに近づけた。心なしか後藤さんの手の中で、フィギアが細かく振動しているように見える。

「見て亜門くん、リブラが反応している。これは得体の知れない何かの呪いなどではなく、魔人の仕業よ!」

 舞花がこちらを見て意気込んで言った。


――そんなんどっちでもいいわ!


「あの…、マジンって本当にいるんでしょうか?」

 信じられないと言った表情で、後藤さんが訊き返した。

「はい。魔人は実在します。リブラの神にあらがう者。それが魔人です。教会だけでなく当局もその存在を把握しています。しかし、合理的、科学的にそれを証明するのはとても困難なので、世間一般にその真実は伏せられています」

 舞花が真剣な面持ちで説明した。

「あなたは今回、図らずも魔人と関わってしまった。その存在を信じざるを得ないでしょう? ――後藤さん、この件、私に任せていただけますか?」

「は、はい…。ぜひお願いします」


「うぇ~。マジか…」

 小さくつぶやいて、俺は顔をしかめた。

「後藤さん、このフィギュア、本当に表情を変えるんですか?」

 やる気になっている舞花を見て、仕方なく半ばあきらめ気分で訊いた。

「はい。私が首を絞めると、本当に苦しそうに声を出して泣きました。今みたいに睨まれたこともあります」

「マジかぁー。それで、約束の二週間後って、いつなんですか?」


「明日です」

「えっ? それじゃ、奥さんは今どうなって・・・」

「いえ、あのそれが…」

 そう言ってしばらくためらっていたが、俯き加減で話を続けた

「実は五日前に警察から連絡があって、妻が交通事故に遭って病院に運ばれたと。今も意識不明の重体です。浮気相手の男とは連絡が取れないので、事故の状況とか詳しいことはよくわかりません」


「まさか、そんなこと・・・」

 驚いて目の前のテーブルに置かれたフィギュアを見て言った。

「その事故の原因が、このフィギュアを使って私が妻を呪ったせいなのか、それとも偶然なのか、それはわかりません。でも私は、病室で付き添って彼女の顔を見ているうちに、彼女を恨む気持ちも、憎いと思う気持ちも次第に消えていきました。――やっぱり私はまだ妻のことが…。たからこのまま妻が私の元に帰って来てくれて、また一緒に暮らせれば、そう思うようになったんです」


 今まで俯きながら苦しそうに話していた後藤さんは、急に顔を上げ、俺たちを見て懇願した。

「一度は妻を呪い殺そうとしたくせに、虫がいいのはわかっています。でもお願いです。私たちを助けてください。このままでは妻はこのフィギュアの中に閉じ込められ、私もあの男に魂を差し出さなければなりません」



「なるほど、そうですか…」

 黙って話を聞いていた舞花は、視線を落とし、あごに右手の拳を軽く当ててしばらく考えていたが、つっと顔を上げて後藤さんに向って話し出した。 

「後藤さん、今のお話からすると、奥さんの事故も魔人の仕業である可能性は高いです。彼らに魂を奪われた人間は抜け殻のようになってしまいます。医学的には植物状態と見分けがつきません。奥さんの怪我の部位は…」

「頭部損傷です…」

「やっぱり…」


「おい、ちょっと待て舞花、じゃあ、下の階のご夫婦は・・・」

 あの時のことを思い出した俺が尋ねた。

「そう、恐らく魔人ガウに魂を奪われてエンプティに。あの二人は亜門くんが警察で尋問されている間に、教会の関連病院に移されて、今も眠っているわ。気の毒だけど、たぶんもう二度と目を覚ますことはないでしょうね」

「そんな・・・」

 俺は絶句してしまった。まさか、そんなことに…。


「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃ、妻は、妻はどうなるんですか?」

 慌てて後藤さんはテーブルの上のフィギュアを取り上げて言った。

「後藤さん、魔人に魂を奪われた人間を元に戻すことができるのは、それを奪った魔人本人だけです。この神器を使って浄化しても、魔人の支配から切り離すだけで、意識を戻すことはありません。今、奥さんの魂がどうなっているのか、このフィギュアの中に封じ込められているのか、病院にある肉体の中にあるのか、私にもわかりません。こんなケースは初めてです。下手なことをするのはむしろ危険だと思います」

 冷静に状況分析する舞花に、後藤さんが身を乗り出して必死に訴えた。 

「そんな、そんな。助けてください、妻を、妻を助けてください! お願いします、お願いします!!」

 

 しばらく考え込んでいた舞花だったが、軽く髪を掻き上げ、顔を上げると険しい表情で言った。

「行きましょう後藤さん、明日。その男の店へ。そうしてその魔人に奥さんの魂を元に戻させ、あなたとの契約も破棄させなければ。そして、その後に必ずその魔人を滅します」

「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます!」

 後藤さんは立ち上がって、ペコペコと何度も頭を下げた。


「一緒に行ってくれるよね、亜門くん!!」

「えっ、マジ!?」

 どういうつもりなのか、またそんなことを言って、俺を見てにっこり笑った。

 ――が、しかし…。彼女、何だかいつもより緊張しているような気がした。今回はかなり難しい依頼だと感じているのだろうか。だから俺に一緒に行って欲しいのか? 俺なんかが何の役に立つっていうんだ。なんだか、ほんとに嫌な予感しかしないのだが。

 


 


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