第4話 「魔人ガウ」


 幼い少女の姿をしたその魔人は、右腕の傷口をゆっくりとでながら言った。

「ほぉ、よくわかっているじゃないか、エスタのお嬢ちゃん。その通りだ。」


 さっきまで傷口からしたたっていた血が、今はおさまっている。裂けた衣服の隙間から見えていた腕の傷は、すでにふさがっているようだ。右手を握っては開き、腕をげ伸ばしして、動くことを確認している。


「そう、暇つぶし。今までは…。――だが実際、退屈っていうのは罪悪だ。暇だといろんなことをしたくなってしまう」

 そううそぶく言葉が、次第に美樹の声へと戻っていく。


「暇つぶし!? 何を言っている。罪もない家族をこんなに苦しめて楽しいのか?」

 そう言うと、今まで舞花を見ていた美樹が俺の方を向いて言った。


「ああ、楽しいねぇ。人間たちがもがき苦しみ、のたうち回っているところを見るのは快感だぁ。ゾクゾクする」

 あどけない顔をした美樹のひとみが歓びに満ち、薄っすらと笑みまで浮かべている。


「こいつ、なにを…」

 その言葉を聞いて、俺は心底怖くなった。可愛らしい幼女の顔をした美樹が、微笑みさえ浮かべ、とても人間とは思えない恐ろしいことを口走っている。――これが、魔人の本性というやつなのか…。


「無駄よ、亜門くん。何を言っても。あいつらは邪悪で、慈悲深い神にすら見放された者たち」


「ああ、まったくだ…」と、美樹の顔をした魔人が、相変わらず薄ら笑いを浮かべながら言う。

「――だが、その慈悲深い神というのも、実はこれがまたヒドイ奴なのさ。勝手にヒトをつくっておいて、気に入らないとなったら、すぐに…、ポイっだ!」

 傷のえた右手で、ぽいっと物を捨てる動作をする。

「ヒトの命を何だと思ってるんだろうねぇ? 神にはってもんがないのかねぇ」

 おどけたように言う。

「黙りなさい!! 神を冒涜することは許しません!!」叫んだ舞花が一歩前に出る。


「ふん、まあそう怒るなって」

 少女の眼が俺たちの方をチラッと見て、あたかも演説でもするかのような態度で続けた。

「――そう、神は人間に、俺たち魔人にはないを授けた。それは、それは素晴らしい贈り物だった。…はずだ。――けれど…。お前たちだって、本当はわかっているのだろう? なんて授かっても、何の役にも立ちはしないってことを。そもそも悪事を働く人間は掃いて捨てるほどいる。普段はいい人だと言われているヤツでさえ、いざとなれば我が身がカワイイ。結局は誰かを裏切ったり、見捨てたりする。さあそんな時、神が授けてくれたは役に立ったのでしょう~か? ――そんなはずないよなぁ。が痛めば裏切ったり、見捨てたり、そんな酷いことはしないはずだ。そうさ、肝心な時に働かない、出来損ないを授かって、お前たち人間だって迷惑だよな?」


 言い終えた瞬間、床に落ちていた包丁が、スッと音もなく宙に浮かんだ。そのままくるりと向きを変え、吸い寄せられるように美樹の右手に収まった。

「あっ!!」

 一瞬のことに、舞花と俺、二人が同時に声を上げた。


 少女は素早くうつ伏せに倒れている美由紀夫人に近づき、左足でその背を踏みつけ、片手で髪を引っ張り、無理矢理顔を引き上げると、いきなり右手に持った包丁を突きつけた。


 ――油断した…。

「や、やめろ…」

「その手を離しなさい!」


「おッと、動くな」

 二人が近寄ろうとするのを制し、グイと美由紀夫人の髪を強く引き、さらに高く顔を上げさせ、俺たちによく見えるように喉元にをあてた。

 ゆっくりと目を開き、苦しげに美由紀夫人がうめく。少女を見上げ、目を細める。

「あなた…、一体、誰?」


 それを聞いて、「なにを言ってるの~、おかあさん。美樹だよぉ」と、わざと舌足らずな声で、美樹の中に潜む魔人が答えた。


「知らない…、美樹なんて、知ら、ない…」切れ切れに否定する。 

「ヒド~い、おかあさん。美樹のこと忘れちゃったの?」

 その顔が嬉しそうにニヤニヤ笑っている。


「おやめなさい! これ以上、そんな茶番。もともとこの家に美樹なんて子はいない。そうなんでしょう?」 

「えっ? 今なんて?」

 驚いて舞花の顔を見た。


「え~~、なぁーんだ。つまんなぁい。もうおしまい? 結構この姿、気に入ってるんだけどなぁ」そう言って笑う少女の声が部屋中に響き渡る。

「なにしろ、人間ってのは、やたら小さな子供に甘いから。便利なんだよ、この姿は。――ほぉ~ら、こんなことをしたって怒らない」

 言いながら包丁の腹をピタピタと苦痛に歪む美由紀夫人の頰に打ちつける。


「おいよせ! その人を離せ!!」

 見かねて飛び出そうとした俺の腕を舞花が掴んだ。振り返ると小さく首を横に振っている。そうして目の前の魔人を見据え、「あなたは、誰?」と静かに、しかし、よく通る声で言った。


「ふん、知りたいか、俺の名を」ジロリと睨むように俺たちを見た。

 そうして、

「――俺はガウ。始まりの魔人だ!」と名乗った。


「魔人、ガウ…」

 その時俺は、初めて魔人というものの存在を現実に実感した。

 茫然とする俺の隣で、舞花は険しい顔つきで、否定するように言った。

「ウソ言わないで…。――『始まりの魔神』だなんて、そんなの、いる訳ない」


「そうかい、なら信じなくてもいい。――さあ、その剣を棄てろ、エスタの娘! 神の祝福のこもったその剣を!」

 幼女姿の魔神ガウが、手にした包丁に、くいッと力を入れた。美由紀夫人の白い首筋に、刃先に沿って紅い血が薄く滲む。

「あぁっ…」と顔をしかめ、苦しそうな声が漏れた。


「やめて!」

 一瞬躊躇ちゅうちょした舞花だったが、それを見て、手にしていたその銀色の短剣を、ガウの目の前に放り投げた。


「おい、まだだ。その首に着けている忌々しいモノも捨てろ!」

 いまだ包丁を突きつけ、美由紀夫人を人質にとったままのガウが言った。


 言われた舞花が今度は首からロザリオを外し、しゃがんでそのまま床に置こうとした。

「だめだ。そのままこっちに投げてよこせ」

 舞花は一瞬、苦々しい顔でガウを見上げたが、床に置いたロザリオを、そのまま投げるように向こうにスライドさせた。


「さあ、お母さん、立って! あれを拾ってちょうだい」

 腕を掴んで引っ張り、その場に立たせようとする。美由紀夫人はよろよろと立ち上がり、目の前の短剣とロザリオを拾って両手に持った。


「そんな危ないモノを素手で触ったら火傷しちゃうからね。――それじゃ、そろそろ終わりにするかな」

 ガウは、美由紀夫人の腕を掴んだまま、一緒に少しずつジリジリとベランダのある窓の方へと後退あとずさって行く。



「みゆき!」

 背後から声がして、突然飛び出して来た人影が、ガウから夫人を引き離して抱きかかえ、そのまま自らを盾にするように背後に隠して立ち塞がった。

――村田氏だった。

 窓に激突し、今まで気を失っていた彼が目を覚まし、この異様な状況を見て飛び出して来たのだった。それを見た俺たちも、この機に乗じて村田夫妻の方へ駆け寄ろうとした。


「貴っ様~~!!」

 しかし、激怒したガウは目を吊り上げ、俺たちの目の前で、村田氏目掛けて思い切り包丁を振り上げて突き刺した。


「ぐうぅぅ・・・」

 腹部を刺された村田氏は包丁のを握り、そのままドスンと尻をつき、仰向けに床に崩れ落ちた。

「いやあぁぁぁ…」

 叫んだ美由紀夫人が、短剣もロザリオも投げ捨て、刺さった包丁を抜こうと夫に取り付いた。出血がみるみる腹部から床に広がっていく。


 それを見た舞花が、すぐにロザリオを拾おうと近づいてかがんだ瞬間、後ろから近づいて来た沙也香が、舞花の両腕を取って羽交はがい絞めにした。

「ウッ、なに!?」

 振り向いた舞花が驚いて叫んだ。

「沙也香さん!!」

 見るとガウが沙也香に向って手を開いたまま左腕を突き出している。何かの術を掛け、再び彼女を操っているのだろうか。


「舞花!」

 一瞬彼女を見遣った俺の視界に、近くに転がっている舞花の短剣が目に入った。飛びつくようにそれを拾って身構えた。

「もうやめろー!!」

 すぐさま何も考えずに突っ込んでいった俺は、ガウに向って手にした短剣を右に左に無茶苦茶に振り回した。

「バカめ!」

 身軽な少女の魔人ガウは、正確に俺の動きを読んで、確実に素早く身をかわした。その度に振り回した短剣が何度も虚しく空を斬る。


 しかしその間、ガウに操られていた沙也香の動きが鈍った。その隙を見逃さず、舞花は沙也香の腕を振り解き、ロザリオを拾い上げた。


「チッ」それを見たガウが舌打ちした。操ることをやめたのか、沙也香はそのまま再び気を失ってその場に倒れた。


 舞花はすぐに目を閉じ、祈りの言葉を発する。

「天にましします我らがしゅアモルよ、その力によりて、我が目の前の邪悪なる魔人を滅し給え」

 舞花が手にしたロザリオの先端で揺れるリブラが金色こんじきに輝き出した。


 それを見た魔人ガウが怯んだ。

「リブラの光! や、やめろ・・・」

 リブラの輝きが広がって、次第に美樹の姿をした魔人ガウを包み込んでいく。見ると俺が手にした舞花の短剣も銀色に光っている。


――あの時と同じだ、光っている・・・。

 これならヤツにとどめをさせるかも。そう思った俺は短剣を手にガウに近づいて行った。


 リブラが発する光の中に捕らえられ、少女姿の魔人ガウは、頭を抱えて座り込んでいる。

「ガウ、お前は許さない!」

 そう言って銀色に輝く短剣を振り上げた時、不意に美樹が顔を上げた。

「やめて! おにいちゃん、助けて…」

 小さく、消え入りそうな声。哀しげな眼をして俺を見つめている。それを見た俺は一瞬たじろいで、しろがねに変わった短剣を振り翳したまま固まった。


「なんてね、これだから人間は」言うが早いか、ガウはひるんだ俺に体当たりして突き飛ばし、リブラの光の中から抜け出した。


「うっ!」

 少女とは思えない力で体当たりを喰らって、思わずその場に尻もちをついた。ガウは舞花のリブラの光に捕らえられていたわけではなかったのだ。


「大丈夫、亜門くん!!」

 祈りをやめて駆け寄って来た舞花が手を貸してくれた。

「ガウ、貴様!!」言いながらすぐに立ち上がった。

「亜門くん、その剣の光…」

 しろがねに輝く短剣を目にして、驚いた舞花が眼をみはった。


「あははは、どうだ、わかったか。これが人間の良心の正体だ。厄介なモンだろう?」振り向いた魔人ガウが、ニヤリと笑って俺たちに言った。

「さて、今日のところはこれくらいで帰るとするか。ああそうだ、一つ言っておくが、今見た通り、俺にそんな神器など通用しないぜ」


 スッ、とガウが窓の方に向け、てのひらを広げて右腕を挙げた。するといきなりバンっと音をたて、すべての窓が一斉に全開になった。同時に室内に高層階特有の強い風が吹き込んで来た。

 俺たちが吹き込む強風にさらされてひるんだ隙に、ガウはベランダに走ってひらりと手すりの上に飛び乗った。


「また一緒に遊んでね、エスタのお姉ちゃん」

 こちらを向いて手すりの上に立ち上がる。


「――暇つぶしにね!」

 そう言い残すと、両手を広げてぴょんと軽く跳び上がり、そのまま真下に降下した。

「待て!!」

 急いでベランダに出て手すりに掴まり、強い風にあおられながら下を覗いたが、魔人ガウの姿はどこにもなかった。

「いない・・・」


 俺はへなへなとその場に座り込んだ。舞花はキュッと口を結んで、しばし立ち尽くしていたが、すぐ思い出したように部屋に引き返し、スマホを取り出して救急車と警察を呼ぶべく電話を掛け始めた。

 気を取り直して立ち上がり、俺も窓を閉めて部屋に戻った。



 *****



 救急隊を待つ間、舞花が何度勧めても、美由紀夫人は自分の傷の手当を断って、二人から離れようとしなかった。

 仕方なく、舞花は淡く金色こんじきの光を発するリブラを捧げ持ち、昏睡する二人のためにひたすら祈り続けた。


「祈れば神さまが助けてくれるのか?」と皮肉っぽく言うと、舞花は一瞬こちらを向いて「気休めよ。神は人の『生き死に』には関与なさらない」とだけ答えた。


 ようやく救急隊が到着し、村田氏と娘の沙也香は美由紀夫人に付き添われ、すぐに病院へ搬送された。沙也香はともかく、村田氏の容体は予断を許さない状況だった。


 救急隊とほぼ同時に到着した、魔人対策課の二人の刑事には見覚えがあった。先日の件で、俺の釈放に尽力してくれた人で、年嵩の方は春日刑事、もう一人の若いイケメンの方は、確か伏見とかいう名だったと思う。


「それじゃ、あとはこちらで処理します」

「ごめんなさい。春日さん、またご面倒をお掛けして」

 しおらしく舞花が頭を下げている。

「あまりお気になさらないように。魔人相手では被害者を助けられないことはままあります。まあ、あなたにとっては滅多にないことなのでしょうが」

 春日刑事はやさしく慰めるようにそう言ったが、舞花は「はい…」と小さく答えて唇を噛んだ。


「その、ガウとかいう魔人、やっぱりウチのデータベースにもありませんね」

 落ち込む様子の舞花を見ての配慮なのか、伏見刑事が話題を変えようとスマホの画面を指さしながら言った。

「そうですか…」

「どんな魔人だったんです?」

「神器であるリブラの光でも拘束できない、とても危険な魔人でした…」とヤツを思い出すように言った。

「まさか!」

 隣にいた春日刑事も驚きの声をあげた。

「春日さん、伏見さん、ぜひ情報を共有しておいてください。後で詳しく報告書は出しますから」

「わかりました」

 気を引き締めるように春日刑事が答えた。


「――あっ、そうそう、舞花さん、聞きましたよ。修道院を出てしまわれたって。一体どういうことですか?」

 思い出したように伏見刑事が尋ねた。

「どういうって、そのままの意味ですけど…」

 やや戸惑い気味に答える。

「でも修道院を出たって、まさか還俗げんぞくしたってことですか?」

「いえ、いえ。私、教会を離れて、フリーのエスタになることにしたんです。だから、神にお仕えするのは今までと一緒です。教会の許可も取りましたし」

「フリーのエスタ? あなたほどの人がなんでそんなことに」

「ちょっと、いろいろとありまして…」と、何か言い難そうに言葉を濁した。


「そう、ですか…。それで、今はどうしてるんです?」

「ああ、それなら今は亜門くんのとこに」

 そう言って舞花が俺を見た。

「えっ? 彼のとこ?」 

 伏見刑事がジロリと少し離れたところに立っていた俺を見て、すぐに気が付いて言った。

「君はこの前の…、何でまたこんな危険なところにいるんだ。前回の件で懲りたんじゃないのか?」

「いや、それは…。別に来たくて来たわけでは…」

「なんだ、それは。それよりまさか君、舞花さんと一緒に住んでいるのか!?」

 すごい剣幕で伏見刑事が詰め寄って来た。

「え、ええと・・・」


「はい、一緒に住んでますよ」

 戸惑う俺の横から笑顔の舞花が答えた。

「まあ下宿って言うか、二人だし…、そう、今風に言うとシェアハウスってやつ?」

「い、一緒に? そんな、危険です! 男女が二人でシェアハウスなんて有り得ません。しかもこんな男と。舞花さんの身に何かあったらどうするんですか。そうだ、手遅れになる前に僕がコイツ、逮捕します!」

「おい、伏見、いい加減にしろ」

 本当に手錠を出そうとするのを、春日刑事が制した。


 ひでえ言われようだな。まぁでも確かに俺もそう思うよ。――それにしてもこの人、舞花のこと・・・。

 だけどさぁ、そんなに心配なら俺を逮捕する前にあの女、アンタの家にでも置いてやってくれよ。


 などと思っていたところに、春日刑事が傍に寄って来た。

「すまないね、鳴神なるかみ君。あいつの言うことは気にしないでくれ。ヤツはあれで熱心なリブラスチャンでね。だから魔人課にいるんだが…。まあその、彼らの間では、魔人を制するエスタ様とか、聖女様とかいうのはとても崇拝されていて、本当に特別な存在なんだそうだ」

「はあ…」

「特に舞花君などは、日本最年少の神器持ち。いずれは聖女にと専らの評判だ。実力もあるしね」

――そうなのか。あいつ、そんな凄い奴だったんだ


「アハハハ、大丈夫ですよ、伏見さん。亜門くんはそんな人じゃありません」

「ど、どうしてそんなことがわかるんです?」

「彼は親切で、とってもいい人です。――それに私、亜門くんにとっても興味があるんです!」


――へっ! それ、どういう意味?


「さ、じゃあ帰りましょ。亜門くん!」

 舞花が笑って恋人のように腕を組んで俺を見上げた。

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