第1話 「あなたは神を信じますか?」 後編



 舞花まいかは嫌がる俺を無理やり引っ張って廊下を走り、階段を駆け下り、一つ下の階へと引きずるように連れて来た。

 俺たちが走って角部屋の401号室の前まで来ると、舞花はいきなり部屋のドアレバーに手を掛け、思い切り引っ張った。

 鍵は掛かっておらず、ドアが開くと、まるで待ち構えていたように、黒い教会服の女が、何かに追われ、いきなり中から飛び出して来た。


「美咲!!」

 咄嗟に舞花が飛び退いて叫んだ。 

「舞花!! アンタ、何してたの!?」

 美咲と呼ばれた女がチラリと俺たちの方を見て叫んだ。教会服姿でもベールはしていない。素早い動きに黒髪がなびいた。右手には銀色の短剣を握っている。


 続いて部屋の中から男が後を追うように飛び出して来た。男は奇声を上げながら、追ってきた美咲目掛けて小型のナイフを振り回す。

 グレーのスウェットにカーキのチノパンツ。髪が逆立ち、血走った白目をき、口からは泡のようなよだれが垂れている。とても尋常な様子には見えない。

 それが滅茶苦茶にナイフを振り回し、すぐに美咲を廊下の壁際へと追い詰めた。


 舞花が胸元のロザリオを手に持ち、静かに目をつむり、祈りの言葉を唱え始めた。

「聖なる天上の神、アモルよ! 悪しき心のこの者に、どうか平穏をお与えください!!」 

 俄かに手にしたロザリオのリブラが金色の光を帯び始めた。


 男が振り上げたナイフを美咲目掛けて振り下ろす。

 一瞬早く、美咲は手にした短剣で、男のナイフを斬り払って前へ出た。そうして振り返って態勢を立て直すと、右へとまた身をかわす。男の振り回すナイフが再び空を斬る。

 狂ったようにナイフを振り回す狂暴な男の動きを読み切れず、美咲は苦戦している。


 それを見た舞花は、暴れる男に近づいて、両手でロザリオを前方に突き出した。

めっせよ!!」

 すると、リブラが発する金色の光が広がって、みるみる目の前の男を包み込みこんでいった。

 たちまち男は手にしたナイフを放り投げ、両手で顔を覆い、身をよじらせて苦しみ悶え出した。


「うぎゃぁ!!」

 もの凄い叫び声を上げ、今まで暴れていた男は気を失い、その場に崩れるように倒れ込んだ。

 美咲は無言で側に駆け寄り、落ちている果物ナイフを拾い上げると、屈んでその場に倒れた男の様子を窺った。

 仰向けに抱き起した男の顔は、元の穏やかさを取り戻しているが、意識はないようだ。


「お前・・・、あの男に何をしたんだ?」

 目の前で突然起きた予想外の事態に、呆然として見ているしかなかった俺は、独り言のようにポツリと舞花に尋ねた。


「その人、魔人じゃないようね・・・」

 舞花は俺の問いには答えず、ゆっくりと美咲に近づいて行き、つぶやくように言った。

「そうね。エンプティ・・・。かわいそうに・・・」

 

 人が一人死んだ。

 俄かには信じ難いこの事実に、なぜだか俺は、急にこみ上げてきた、何とも名状しがたい怒りのために、手錠を掛けられた両腕を振り上げて下ろし、もう一度、今度は大声で叫んだ。

「おい、そいつに何をしたんだ!! お前がその人を殺したのか!?」


 その言葉に反応するように、舞花が振り返って冷やかな目で静かに答えた。

「死んではいないわ。でも、この人は、もう・・・。目覚めない。ただの抜け殻。――だから、エンプティ・・・」

「どういうことだ? 何を言ってる? さっぱりわからねえよ」

「そう、でしょうね・・・。――この人は、魔人に魂を抜かれたの。何かと交換条件で自ら差し出したのか、それとも無理矢理奪われたのか、わからないけれど・・・」

 暗い表情をした舞花は、それで説明したつもりだったのかもしれないが、俺には何のことだか全くわからなかった。

 

 意識を失っている男をその場に寝かし、部屋の中に戻ろうとした美咲が、ドアを開けた途端、悲鳴のような声で叫んだ。

「ヤダ、大変、舞花、早く来て!!」

 振り向いた舞花が、すぐに401号室の入り口に駆け寄った。

 説明されても一向にわけが分からず、その場に突っ立っていた俺も、そのまま釣られるように後を追った。

 

 そうして二人の後に続いて部屋の中に入った俺が見たものは、テレビや食器棚が倒れ、フローリングの床一面に、食器や料理が散乱したダイニングキッチンの様子。そしてその中で別の教会服の女の首を、両手で絞めている化け物じみたこの家の女の姿だった。先程の男の妻だろうか。同様に髪が逆立ち、半眼で血走った白目を剥ている。

 

「夕美!」

 前にいる二人がそれを見て同時に叫んだ。 

 苦しげに、意識が消えかかりながらも、夕美は自分の首に巻きついた女の手を掴み、必死に外そうともがいている。


 美咲が背後から飛び掛かり、女の腕を掴んで引き離そうとした。女は不快そうに顔だけこちらに向け、その場に夕美を放り投げると、奇声を上げ、振り向きざまに、今度は美咲に飛び掛かり、その首を絞め出した。そうして二、三度前後に振り回し、そのまま思い切り突き飛ばすと、美咲は背中から背後の壁に激突し、同時に後頭部も打って床の上に転がった。


「美咲!」

 舞花がロザリオを首から外して捧げ持つ。

「天上のあるじ、アモル! 我が願いに応え、魔をめっし給え!!」

 俯いた舞花が眼をつむり、聖なる言葉を唱えると、微弱だったリブラの光が再び輝きを増してきた。次第に周囲に金色の光が満ちてくる。

 再び夕美の首を絞めようとしていた女は、リブラの発する金色の光に触れると、――うぁぁ・・・と低くうなりながら両手で頭を抱えて立ち上がり、よろよろとふらつきながら舞花に近づいて来た。


「お、おい、こっち来るぞ・・・」

 何もできず、隣でただ突っ立っていただけの俺が、舞花の方を見て言った。

「大丈夫、下がってて!!」

 そう言うと、舞花はロザリオを目の前にかざして女に向って叫んだ。

「さあ、汝、操られたる者よ、めっしなさい!!」

 更に輝きを増したリブラの光が女を包み込む。

「うぅぅぅ…」立ち止まり、身悶えして女が苦しがる。


 その時、「だめえ! ママをいじめないで!!」

 声がして、いきなりリビングのソファーの陰から、隠れていた小さな女の子が飛び出して来て、舞花の足元に飛び掛かった。

「えっ、なに!」

 不意を突かれ、よろめいた舞花の手から、捧げ持っていたロザリオが滑り落ちた。拾おうとすぐに手を伸ばしたが、そのままその少女に押され、二、三歩後ろに下がった。

 床に落ちたロザリオのリブラからは、聖なる光がみるみる失われていく。


「ダメよ、いい子だから後ろに下がってて!!」

 慌てて自分の足元にしがみつく女の子を抱き上げて引き離し、再び舞花が顔を上げた時、女はもう目の前に迫っていた。

 身構える暇もなく、真横に振り回してきた女の腕が、不意を突かれた舞花の横腹に入り、勢いですぐ近くにいた俺にぶつかって、吹っ飛ぶように二人一緒にもつれながら床に転がった。


――イッテぇ~ 

 すぐにその場で上半身だけ身を起こし、俺は床に転がったままの舞花に声を掛けた。

「おい!! 大丈夫か? しっかりしろ!」

 頭を打ったらしく、舞花はそのまま気を失っているようだ。ピクリとも動かない。視線を上げると、あの女が俺たち二人にとどめを刺すつもりか、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが目に入った。

「おおい、ヤバいぞ!!」

 そう言ってもう一度舞花の方を見遣ったが、全く動く気配はない。死んでしまったのだろうか。


 変り果て、とても人間とは思えない女の姿に恐怖を感じた俺は焦りまくった。

――ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。何とかしなきゃ。な、何か武器は・・・。いや、それよりこの手じゃ。

 ここへ来る前、舞花にされた手錠は、まだ俺の両手首にしっかりと嵌ったままだ。

――どうする? どうする?

 一瞬のうちにいろいろな考えがグルグルと頭を駆け巡った。

 その時俺は、さっき舞花が俺を脅すために突き付けた銃を、あの時彼女がコートの内ポケットにしまっていたのを思い出した。


 すぐさまうつぶせに転がっている舞花を、手錠で繋がれて不自由な両手で抱き起し、仰向あおむけに寝かした。背後にあの恐ろしい女の迫る気配を感じながら。

「おい、起きろ! お前、さっきの銃を寄こせ!!」

 肩を掴んで揺り動かすが反応はない。


「ダメか・・・」

 舞花はコートのボタンを留めていなかった。俺は無造作にその中に手錠で繋がれた両手を突っ込んだ。

「いやぁ…」

 舞花が小さく呻いた。意識が戻ったようだが、まだ朦朧としているようだ。

 もぞもぞとまさぐっているうちに、すぐに目当てのモノを見つけた。両手に何やら柔らかいモノが当たったようだったが、気にしてなどいられない。


「あった!!」

 銃を抜き取り、振り向いた瞬間、すぐ後ろにまで来ていた女が飛びつき、いきなり俺の首を絞めてきた。もの凄い力でそのまま押し倒され、首を絞められる。

 あまりの苦しさに、女の手を取り払おうともがくのだが、手錠をされている両手では自由が利かず、全く上手くいかない。


――し、死ぬ・・・

 気が遠くなりながらも、今更ながら気が付いて、右手に握っている銃を、女の腹に向けて何度も引き金を引いた。が、弾が出ない。安全装置でも掛かっているのか・・・。


 そうやってしばらくもがき続け、意識を失いかけた時、いきなり顔面に水を浴びせられ、同時に首を絞める手が離れ、はっと意識が戻った。

 どうやら目を醒ました舞花が、背後から近くのテーブルにあった花瓶を女の頭に振り下ろしたらしい。横目で見ると、飛び散った水、砕けた陶器の破片と切り花が俺の周囲に散らばっている。


「大丈夫ですか!? 鳴神なるかみさん」

 そう言った舞花だったが、俺の様子を確認する暇などなかった。すぐに怒りの形相に変わった女が立ち上がり、猛然と舞花に向って襲い掛かった。   

 素早く舞花が身をかわし、両手で一瞬触れたかと思うと、相手の動きを利用して、くるりと女を投げ飛ばした。舞花は合気道でも習っているのだろうか?


「クッソー!!」 

 気合いを入れ、ようやく身を起こした俺は銃を構え、引き金を引くが、やはり反応がない。よく見ると、銃身の後ろの部分がスライドするように出来ているように見える。


――そう言えばテレビでそんなシーンを見たことある気がする

 すぐに銃身を傾け、左手でそれを摘まんで後ろに引くと、案の定ガチャリとスライドして、離すとすぐ元に戻った。


 視線を戻すと、女は俺に背を向けて舞花と睨み合っている。

 再び銃を構えてみた。すると、不思議なことに、構えた銃の先端が少しずつ銀色に光り出している。ついには全体が銀色に輝き出した。

――何だ、これ・・・

 しかし、考えている余裕はない。連続して引き金を引いた。


 パン、パン、パン、と音を発して弾が三発、女の背に命中した。当たった箇所が煙を上げるように、その部分だけが銀色に輝いている。

 次第にその銀色の光が大きくなり、全身を包んだかと思うと、女は静かにその場に崩れ落ちるように倒れた。見ると、彼女はエプロン姿の、元の普通の主婦に戻っている。


 何が起こったのかと、驚きの表情で、舞花がその場に立ちつくしているのが見えた。

「あなた、何をしたの…」 

 舞花がまだ銃を構えたまま固まっている俺に気が付いて言った。


「舞花、大丈夫!? さすがね。助かったわ!!」

 たった今意識を取り戻した美咲が、倒れている女を見て、舞花が滅したものと思い、声を掛けてきた。

「この人も浄化できたのね。よかった。でもこの人もエンプティね…。ここにいたはずの魔人はどこへ消えたのかしら…」


 遠くからパトカーのサイレンの音がかすかに聞こえてきた。

「いけない、誰かこの騒ぎに警察に通報した人がいたみたい。警察が来たら厄介よ。夕美を起こしてすぐ行きましょう」

「ええ・・・。でもこのままっていうのは・・・」

「大丈夫、またいつもみたいに教会の方から警察の魔人対策課へ手を回して、なんとかしてくれるわよ」

 そう言いながら、美咲が倒れている夕美の様子を見に行く。

「そうね・・・」


 舞花は先程落としたロザリオを見つけて拾い上げ、しばらくリブラをじっと見つめていた。――が、ふと気が付いて辺りを見回した。

 不思議なことにさっき自分に取り付いて来て、浄化を止めようとした少女がどこにもいない。

「まさか、あの子・・・」


 パトカーのサイレンが一際大きく聞こえたかと思うと、すぐに鳴りやんだ。どうやらこのマンションの近くに到着したらしい。

「行くわよ、舞花」

 夕美に肩を貸している美咲が言った。

「わかった・・・」


 警察が来る前に、急いで彼女たちはこの現場から立ち去ろうとしている。

 俺はと言うと、何が何やらわからず呆然としていたのもあるが、何を隠そう、恥ずかしながら完全に脱力状態。さっきから腰が抜けたようになり、足がガクガク震えて立ち上がることすら出来なかった。     

 そんなカッコ悪い状態であることを、この若い修道女の三人に気取られぬよう、大人しくその場に座り込んでいたというわけだ。 


 今しも立ち去ろうとした舞花が、一瞬立ち止まって俺を振り返った。

「あなた、本当に何者なの? エンプティを浄化してしまうなんて・・・」

「あ、いや、俺にも何が何やら・・・」

 それは嘘ではない。一瞬舞花と目が合ったが、そう言って思わず視線を逸らした。


「舞花、早く!!」

「わかった、今行く」

 舞花がチラッと二人を振り返って答えた。


「――それに、私が護身用に持っていたその銃。エアガン。ただのおもちゃなのに…」

「なっ? おもちゃ…?」

 俺はまだ右手に握ったままの銃に視線を落とした。

「でも、助かった。ありがとう。またね!」

 最後にやさしく微笑むと、くるりと背を向け、舞花も部屋を出て行ってしまった。


 言葉もなく、どうすることも出来ずに、俺はただ黙って舞花たちを見送った。自分も早くここから逃げ出したかったのだが、まだ腰が抜けたまま動けなかったのだ。


 どやどやと数人の足音が近づいて来る。警官が数名、部屋の奥に入って来た。

 すぐに「なんなんだ、この部屋は!!」「こりゃ、酷い散らかりようだな!!」と口々に叫び、警戒しながらリビングの隅に座り込んでいる俺に近づいて来た。


「おい、離れろ!! コイツ銃を持っているぞ!!」

 俺を最初に見つけた警官が叫んだ。一斉に他の警官たちがどよめいた。


 先頭の警官が、俺の近くに倒れている女に気が付いて言った。

「き、貴様が犯人か? 人殺しめ!! おとなしくしろ」

 

「えっ!? い、いや違う。俺は被害者です!!」

「ウソをつくな! 銃を持っているくせに。 あれ? なんだこいつ、もう手錠をしているぞ!」


「えっ!?」

 俺は自分の両手をゆっくりと目の前に持ち上げた。右手にエアガンを握ったまま、舞花に嵌められた手錠はまだしっかりと俺の両手の自由を奪っている。


――あ、あんの女~~、カギ~、どうすんだよ、これ・・・

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