Libra【リブラ】

雪尾

第1話 「あなたは神を信じますか?」 前編

=現代日本に酷似したパラレルな世界、または並行世界における神の物語=




「あなたは神を信じますか?」

 ドアを開けると、目の前の女はそう言って、上目遣いでにっこりと笑った。


――神? 

 女を上から下まで一瞥いちべつし、思わず俺はつぶやいた。


 この女、教会服は着ていない。紺色のウールコートの下にアイボリーのセーター。ふくよかに丸みを帯びた胸元には、リブラ教のロザリオを下げている。数珠じゅずの先端のリブラ、その天秤てんびんかたどった飾りが微かに揺れている。


 来客を告げる部屋のインターホンの画面に、微笑む若い女の姿が映ったのが今さっき。その姿に、彼女がどこの誰か、何の用かもわからずに、思わずドアを開けてしまったのが運の尽き・・・。

 そうだよ、俺のことを尋ねて来る若い女などいるわけがないのだ。よく考えなくても、そんなのわかりきったことだったのに。

――ちぇっ、何やってんだよ、俺!! 

 今更悔やんでも後の祭りだ。


「あ、いえ、結構です。ウチそういうの、間に合ってるんで…」

 宗教の勧誘だとわかり、すぐにドアを閉めようとした俺の動きを察知してか、女はひしと両手でドアの端を掴んでそのまま離そうとしない。

 おまけにドアが閉まらぬよう、細く開いた隙間に、履いているローファーの先を突っ込んでいる。そうして再びドアを開けようと、力のこもった震える声。


「ここを・開けて・くだ・さい。神は・いる・の・です!!」

「いや、いや、いや、そんなの俺、別にどっちでも、いいんで!」

 言葉をさえぎり、なんとかドアを閉めようとするが、この女、意外と力が強い。逆に俺の方が引っ張られて徐々にドアが開いていく。


 そのままドアが半分ほど開いた隙に、ここぞとばかり素早く首を突っ込んできた彼女が、ムッとして俺を見上げて言った。

「どうして、閉めちゃうんですかぁ? 鳴神なるかみさぁん!」

 ドア横の表札でも見たのだろう。今度は俺の名を呼んだりして、少々馴れ馴れしい。

「ど、どうしてって・・・」


 二十歳そこそこだろうか、モニターの画面で見るより、ずっと可愛らしい顔をしていた。上目遣いで口を尖らせ、まるで恋人にねて恨み言を言うような女の様子に、こちらがあっけに取られていると、「あら? 何か、いい匂いがしますね」と言いながら、女は目を閉じて、クンクンと匂うような素振りを見せた。


「あっ、いや、今から晩飯を食うところで…。なんで、悪いけど…、――帰って・くだ・さい!!」

 視線を逸らし、女が一旦首を引っ込めた隙に、今度は俺の方がドアを閉めようと足を踏ん張る。

「まあ!! そうなんですねぇ。道理で・・・」

 そうはさせまいと女が再び扉を引っ張る。

鳴神なるかみさん! あの…、よろしければ…、ご一緒させていただいても?」

 

――こいつ、タカリかぁ〜! 

 心の中で叫び、一応は俺も踏ん張ってはみたのだが、なんて馬鹿力だ。とうとう抗しきれずにドアが開いた。

「ふうっ!」と一つ肩で息をき、開いた勢いに任せ、彼女は嬉しそうに目の前に顔を寄せて来た。

 そのあまりの近さにこちらが一瞬のけぞると、そのまま勢いよく俺を押し退け、結局玄関の中に入って来てしまった。

「え~~? あっ、ちょっと!」


 あっけに取られていると、「とってもいい香り。何をつくってらしたのかしら? この匂い、もしかしてビーフシチューとかいうものですか?」部屋の奥を覗く素振りでそう言うと、女は一瞬振り返って笑顔を見せた。そうしてそのまま「お邪魔しま~す!!」と言って、部屋の中へ入って行こうとする。


「えっ、おい! ちょっと待て!!」

 驚いて後を追い、部屋に入った女の肩に手を掛けた瞬間、彼女は不意に立ち止まり、ゆっくりと顔だけこちらに向けた。

 今までの愛想の良い笑顔と違って、振り向いた彼女は、眉を吊り上げ、何やら険しい表情に変わっている。

「えっ?」

 彼女に触れたのがまずかったのかと、慌てて肩に掛けた手を離す。


「まさかと思ったけど・・・、鳴神なるかみさん。あなた、やっぱり・・・」

 そう言って振り向いた彼女の視線の先にある、胸元のリブラが微かに金色こんじきの光を放っている。


「・・・魔人!!」

「えっ!? な、何を言って…」


 次の瞬間、女はひらりと身をひるがえし、背後に回って俺の右肩、右腕を掴んでグイッと捻じ上げた。

イタタタタ…、思わず声を上げた。


「ふんっ!!」

 女はそのまま後ろから俺のひざの裏を蹴って床に押し倒し、腕を押えたまま背中の上に馬乗りになった。勢いでスカートのすそが少し捲れている。

「覚悟なさい! この魔人!!」

 背中に向かって罵声を浴びせる。

「よ、よせ、いきなり何すんだ!!」

 腹這いになったまま、俺は顔だけ振り返り、苦しげに声を上げた。


「大人しくしなさい! あなたが抵抗しなければ、痛くないように、――めっしてあげるから・・・」

 見上げると、彼女の顔が妖しく笑っている。


「魔人って、一体何の話だ?」

 言いながら身を起こそうとすると、もう一度女が掴んだ腕を強く捩じ上げた。

「うあっ! イッテ!! やめろ、離せ、俺は魔人なんかじゃない!!」

「ウソおっしゃい、捕まった魔人はみんなそう言うわ。あなた達はみな、平気で嘘をつく!!」


「何言ってんだ、お前、ふざけんな! もしお前の言う通り、俺が魔人だって言うなら、証拠を見せろ!!」

「ふんっ、魔人達のいつものセリフ。――仕方ないわね、往生際の悪い。そんなに言うなら見せてあげる。見なさい、これが証拠よ・・・」

 そう言って女は、右手で掴んでいる俺の腕は離さずに、左手で自分の胸元にきらめくリブラを手に取って見せた。


「あら!?」

 見ると、天秤てんびんを象った銀の数珠の先端が、弱々しく、今にも消え入りそうな、微かな光を発している。

「それがどうした? そんなのただのリブラ(天秤)じゃねえか!」

「おかしいわね、さっきはもっと光っていたのに・・・」

「はあ?」


 女は掴んでいた腕を離し、立ち上がって俺を解放すると、ロザリオを自分の首から外し、両手で目の前に捧げ持ち、リブラを不思議そうにじっと見つめた。少し前まで発していた金色の光は、今や完全に消えてしまっている。

「そんなはずは・・・」


「ああ、イッテぇ~~」

 ようやく自由になった右腕を軽く回しながら立ち上がった。

「てめえ、いきなり人んに上がり込んで何すんだ!!」

 そう言って意気込むと、不意に女がロザリオのリブラを目の前に突き出した。

「これは、――神器なのよ…」


「じんぎ? なんだそりゃ?」

 言いながら俺はそのリブラに顔を寄せた。慌てて女が手にしたロザリオを引っ込める。

「これは聖女さまからたまわったもの。魔人を見つけ、それを打倒し、めっするもの。――それが神器・・・」


「だから?」

「だ、だから・・・、魔人に触れたり、近くにいたりすると、このリブラが反応して金色に輝く・・・」

「ほお~」

 言いながら、もう一度よく見ようと、屈んで女が胸元に捧げ持つロザリオに顔を近付けた。女が一歩後ずさる。


「光ってないな・・・」

 顔を上げ、屈んだまま女を見上げて言った。

「そ、それは・・・」

 女が言い澱む。

「光ってないよな、それ!? てことは、俺は魔人じゃないってことだよな?」

「ひ、光っていたのよ、さっきまでは・・・」

 女が目を逸らし、横を向く。

「見間違いじゃないのか?」言いながら女をにらんだ。

 慌てたように、女が言い訳がましく言う。

「そ、そんなことない。――そうだ、私と一緒に教会に来て! 私の神器には今何か問題があって、聖なる力が不足しているのかもしれない。教会の神師しんしさまの神器でもう一度確かめれば・・・」


「お断りだ!! とっと出て行け、警察呼ぶぞ!!」

 俺は女の目の前に顔を突き出し睨みつけた。

「何言ってるの、ダメよ! このまま魔人の疑いのある人を放置できないわ!!」

 女も両手を腰にあて、睨み返す。


「お前こそなにわけの分からないこと言ってる。ふざけんな、このクソヂカラ女が!」

「なんですって!! ――いいから来なさい!!」

 女が腕を掴んで連れて行こうとした。

「おい、やめろ、離せ!!」

 手を振り払った瞬間、抵抗すると見て取った女は、コートの中から何やら冷たく黒光りする鉄の塊を取り出し、ぐいっと俺の懐に押し付けた。


「両手を挙げて頭の後ろに組みなさい!!」

「お、お前、なんで、こんなモノを・・・」

 驚いて慌てて両手を挙げた。

「あらっ、知らないの? 教会で魔人の対策にあたる者には、銃の携行が許可されているのよ」

「そ、そんなの誰が知るかよ・・・。大体、魔人なんて、吸血鬼や狼男みたいに、存在自体が伝説、空想の産物だろ・・・」

「違う! ――いるのよ、魔人は」

 真面目な顔で反駁はんばくする彼女の顔は、とてもふざけているようには見えない。


「あなただって『旧約神書しんしょ』くらい読んだことがあるでしょ?」

「ねえよ、そんなモン!」

「あなた、本当に神を信じていないの?」

 呆れた様子で女は銃を下ろした。そうして、「もう・・・、――ホントにばち当たりねぇ」と、罵るような、しかし、どこか色気のある声でそう言った。


「私ははなぶさ舞花まいか。神に仕えるリブラ教修道院のエスタよ。――いいわ、私が説教してあげる。あなたのような、不信心な迷える子羊を教え導くのも、私たち修道女、エスタの役目」と呆然とする俺を見てにこりと笑った。

そうして一度目を閉じ、――う、うん! と一つ咳払いをしてから再び目を開き、頼みもしないのに何やら勝手に語り出した。



「そもそもは、天地創造の初め・・・。

――天上の大御神おおみかみ、アモルは双子の弟神リブラと共に、自分たちの姿をかたどって、初めてヒトというものをお創りになったの。それは姿形だけでなく、その力も、命も、神々と等しいがゆえに、真のヒト。真人と呼ばれた。

けれど一つだけ神々とは違って、真人たちの持つその心だけは、とても醜悪なものだった。やがて真人たちは、天上界で神をも恐れず、暴虐な振る舞いをするようになった。神々は真人たちのその醜い心を忌み嫌った。それゆえ、真人たちは神々によって天上界から追放され、それ以降、その名も真人ではなく、魔人と呼ばれるようになり、地下の奥深くへと墜とされていった。

――つまり、魔人は今の人類、私たち人間より前に、この地球に誕生した最初のヒトである。そう書かれているわ」


 舞花は語り終わり、どう?と言った感じで、横目で俺を見た。


「な、なるほど。だけど、その『神書』のことばってのも、言ってしまえば、伝説みたいなもんだろ? だったら、魔人っていうのも伝説なんじゃ」

 俺が率直に感想を述べると、「本当に、そう思う?」舞花の眼が、急に真剣なものに変わった。

「ち、違うと言うのか・・・?」

 その眼に引き込まれるように、俺の顔色も変わったように思う。


「そう、それなら、見せてあげるわ、本物の魔人を。だから、やっぱり私と一緒に教会へ来なさい!!」 

「い~や、いや、いや、なんでそーなる? 新手あらての勧誘かよ。別に見たかないわ、魔人なんて!」

「だけど、自分の眼で見なきゃ、あなた信じないでしょ? 鳴神なるかみさん」

「あたり前だ!!」

「あれ~? なに? もしかしてあなた、魔人を見るのが怖いの?」

 舞花はそう言って俺を小馬鹿にするように、ニヤリと笑った。

「そ、そんなことあるか! 大体、いるわけねえし、魔人なんて。馬鹿馬鹿しい」


 と、その時、彼女のコートのポケットから携帯の呼び出し音が聞こえてきた。おもむろにスマホを取り出した彼女が、応答しようと耳にあてた瞬間、大きく怒鳴る若い女のキンキン声が部屋中に響いた。舞花が慌てて耳からスマホを遠ざける。


「ハナブサ!? もしもし、ちょっと、舞花!? アンタどこにいるの!?」

 通話をスピーカーで受けたわけでもないのに、慌てた様子で叫ぶ相手の声が俺にもはっきりと聞こえた。


「なぁに? 夕美? あなたこそどうしたの、大声出して」

 舞花は再びスマホを耳に当てようとしてやめ、スピーカーフォンに切り替えた。通話の内容が俺の耳にも聞こえてくる。


「アンタどこにいるのよ!? 勝手に一人で先に行っちゃったくせに、どうしてここにいないの?」

「何言ってるの、私は情報のあった、401よんまるいち号室にちゃんといるわよ。例の魔人だってここに・・・」

 舞花がチラリと目の前の俺を見た。


「バカなこと言ってないで、早くこっちに来て!! 私たちのチームで神器持ってるの、アンタだけなんだから! 私たちを見たら、ここの家のご主人が急に暴れ出して・・・。一緒にいた家族にまで襲い掛かって・・・。今、美咲が取り押さえようと・・・」

 

 その言葉が終わる前にスマホからブツっという音が聞こえ、そのまま通話が途絶えた。


 舞花はスマホから目を離し、恐る恐る上目遣いで俺の方を見て尋ねた。

「あの。ここって、何階?」

「5階・・・」

 俺の返事と共に、彼女の顔が驚きの表情に変わった。

「ここって、ヨンマルイチ(401)号室じゃぁ・・・」

「い~や、ウチはゴーマルイチ(501)号室だ」

 呆れたようにそっぽを向いて俺が答えた。

「ええっ~~!! 大変、すぐ行かなきゃ!!」


 そう言うと、舞花はコートのポケットから手錠のような拘束具を取り出し、いきなりガチャリと俺の両手に嵌めた。

「えっ!? ちょっと、なんだ、これ!?」

「あなたが魔人だという疑いが晴れたわけじゃないから。念のためよ」

 そう言って微笑んだ舞花は、「さっ、行くわよ! 見たいんでしょ、魔人!!」と勢いよく俺の腕を掴んで引っ張った。

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