第30話 旅立ち

 広がる戦火────国王自らが戦地に赴く戦乱の中、遂に三人は村を出た。王都を留守にする国王グスターヴに別れを告げることができなかった為、一通の手紙にオウガは今生の別れと両親への愛、そして国を守る決意をしたためた。


 オウガ、ラヴニール、そしてペンダントの姿となったディアの三人が向かうのは “貿易都市パラディオン” 。王都より北東に位置するこの都市は海沿いに位置し、ライザールとの国境近くに存在していた。


 大城塞と化したゲヘナの近くに位置するパラディオンの滅亡を誰もが疑わなかった。だが死の翠星ルジーラによる大虐殺の後、ゲヘナ城塞は沈黙を保っていた。何故ゲヘナが沈黙しているのか……その理由は誰にも分からず、沈黙の不気味さに怯えながらも人々は仮初の平和に安堵した。



 パラディオンへと続く道に馬が二頭。一頭はツキナギの使い魔ユニオンであった精霊馬 “輝夜” 。白銀の騎士であるオウガと同じく、銀の鎧を身につけた美しき精霊馬であった。もう一頭の馬は少し小柄な普通の馬。背の低いラヴニールが選ぶと自然とこうなってしまったのだ。



 旅を続ける三人が道中で目にした光景────それは想像を絶するものだった。王都を離れるほどに、戦争というものの悲惨さが浮き彫りになってきた。

 どこを進んでも焼け焦げた臭いが漂ってくる。崩れた家、夥しい数の血痕、異常に多いカラスなどの野鳥たち。だがそんな凄惨な光景の中でも、人の死体はほとんど見なかった。


 その原因はライザールの魔導具 “地獄炉” によるものだった。殺された人間の肉体と魂は地獄炉によって吸収され、新たな死兵レヴェナントの材料となる。いまや王国の騎士を含めた国民の十分の一以上が地獄炉に取り込まれ敵となっていた。



「ここまで酷いとはな……」

「これはほんの一部です。国境の反対、南に位置する都市を預かる貴族ほどライザールに寝返っているそうです。戦火に巻き込まれる前に命乞いをしているとのことなのでしょうが」

『死を恐れる生物の防衛本能としては当然のことだろう。だがこのままでは王都を取り囲むように敵の包囲網が完成してしまうな』


「急がなくてはなりません。ですが、ここまで悪化しているとなると切り捨てることも必要です。まずはパラディオンを安寧の地とすることが重要かと」

「……見捨てなければならないか」



 そう呟いたオウガの視線の先には、家を失い、家族を失った村民が手を取り合い助け合う姿があった。三十人ほどの集団の中には母を求め泣きじゃくる幼子の姿もあり、皆が協力してその子を励まし生き延びようと努力していた。



「……オウガ、彼らを助けることはできません。一人助ければまた一人と増えていきます。今の私たちには彼らを養うことはできないのです」

『ラヴニールの言う通りだ。しかも奴らがどのような人間かも分からないのだ。秘密を抱えるお前の特性上、余計な火種を招き入れるべきではない』



 ラヴニールもディアも、難民を助けることで起こる二次被害を懸念してのものだった。もし助けた者の中に悪人が存在したら……その者の手によって悲劇が起きてしまったら。恐らくオウガはそれらを自分のせいにして心に刻むだろう。戦乱という異常な状況下の中では何が起きてもおかしくはない。オウガの魂を傷付ける恐れのあることは極力避けたいという二人の考えではあったが────



「ラヴィ、食料を出してくれ」

「オウガ、食料を渡しても一時凌ぎにしかなりません。これから先も自分の食料を分け与えながら進むつもりですか?」

『泉を離れた時点でお前の肉体と魂は削れ続けているのだぞ。ラヴニールの地天流による補給があるとはいえ、食事はお前にとって重要な生命線。それを分け与えるなど自殺行為だ』


「パラディオンまではここから二日で着く。そこまで持てばいい」

「まさか……彼らをパラディオンに連れていくつもりですか?」


「パラディオンには漁港がある。現地には食料ぐらいあるだろう」

「パラディオンは今過疎化が進んでいます。彼らの世話をする人材の余裕など──」

「ラヴィ、彼らを見てみろ」



 オウガの言われるままに、ラヴニールは難民に目を向けた。


 親を亡くし泣きじゃくる子供を、笑顔を作りあやす女性がいる。崩れた家屋を片付け、使えるものを皆の元へ運ぶ男たち。怪我をし動けないものはそれを悔しそうに眺め、何もできない自分を呪うように涙を流している。そんな怪我人を励ましながら、傷の手当てをする医師がいる。この地獄のような状況の中でも、彼らは決して歪んではいなかった。



「彼らは協力し合い、この苦難を乗り越えようとしている。彼らの世話をする者など必要ない。穏やかに眠れる場所さえあれば、彼らは自力で乗り越えるだろう。俺たちはその手助けを少しするだけだ」

「……分かりました。食料を分け、傷を治療してから希望するものをパラディオンに連れていきましょう」



 ────これから自分は多くの人間の魂を奪う。だからこそ、目の前にいる一人でも多くの人を助けたい。


 

 それはオウガなりの贖罪だったのかもしれない。その意図を察したラヴニールがそれ以上反論することはなかった。




「あ……あなたたちは?」

「俺の名はオウガ。こちらのラヴニール様に雇われている傭兵だ。ラヴニール様は今度パラディオンの都市長に任命されてね。その就任に向かう最中なんだ」



 突如近づいてきたオウガに泣いていた子供は泣き止み、女性が少し怯えた表情になる。首を傾げ、オウガの言葉に半信半疑といった状態だ。



「パラディオンって……あの貿易都市の? そんな子供が次の都市長って……」

「ラヴニール様は優秀でね、大人顔負けなんだ。エルヴァール王子の元専属侍女ラヴニール……聞いたことはないかい?」


「し、知ってる。幼少の頃からエルヴァール様を支え続けてきた天才児……でも、エルヴァール様が亡くなられてからはどこかへ行ってしまったと聞いていたけど。その青髪に翡翠色の瞳……じゃあ、本当にあなたが──」

「はい、私がそのラヴニールです。エルヴァール様が愛したこの国を救うために、及ばずながら私も尽力する所存です」



 かつて失われたはずの希望の片割れ────その存在が目の前に現れたことに女性は顔を伏せ涙を流した。オウガの正体がエルヴァールだと知る由もない女性にとっては、亡き王子の遺志を継いだラヴニールの存在こそが希望の象徴となったのだ。



「さぁ、僅かだが食料がある。その子にも食べさせてあげるといい」

「は、はいッ。ありがとうございます!」


「オウガ、怪我人が多数いるようです。私も治療に参加します」

『ラヴニール。治癒魔法が使えるのか?』


「微量ではありますが、ここでも龍脈の力を感じます。その力を使えば自然治癒力を増強し、ある程度の怪我なら治せるはずです。治癒士の足元にも及びませんけどね」

『ならば私が補助しよう。治癒士の得意とする治癒魔法は “魂の解析” を根幹としている。魂の解析は私の得意とするところ。私とお前が組めば肉体の再生も可能かもしれん』


「頼もしいな二人とも。俺の鎧はA・Sオールシフターとしての力を持っているが、他者の怪我を治すような繊細な真似はできない。怪我人は二人に任せるよ」

『不器用だからな。お前が治癒魔法を使えば肉体と魂を破壊する恐れがある。それが賢明だろう』

「…………」



 ディアの心無い言葉にオウガは背を向けその場に座り込んだ。ペンダント姿のディアの宝石ボディをラヴニールが鷲掴みにすると、手の中からパキパキと亀裂音が生じ始める。



「く……口を慎みなさいッ」

『ぐッ、し……死ぬ! 死んでしまうぞラヴニール!』

「……ふふ」



 二人のやり取りを横目に見ていたオウガが、たまらず笑いを漏らした。意図せず二人から元気をもらったオウガはスクッと立ち上がり、食料を持って難民の元へ向かおうとする。



「よし! じゃあ俺は料理を作る手伝いでもしてくるかな」

『それもめておけ。彼らを救いたいと思うのならな』

 

「……え?」


 オウガの呆けた声が出た次の瞬間、バキバキという何かが砕け散る音がその場にこだました。

 その後、瓦礫の撤去を手伝うオウガの背中はどこか寂しげだったという────。





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「……味は美味しいってラヴィが言ってたもん。そこまで酷くないもん」

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