第10話 地天流【後編】

「どなたですか?」


 いつの間にか現れ、奥義書に目を通す仮面の少年にラヴニールは一瞬警戒した。集中していたとはいえ、まるで存在を感知させることなくここまで近づいていた少年にただならぬ力を感じ取っていたのだ。


 ラヴニールの問いに少年はゆっくりと顔をあげ、巻物をひらひらと持ち上げる。



「これ、お前が書いたのか?」

「え?」


 ラヴニールが疑問で返すと、少年は仮面の奥にある視線を巻物に向ける。


 

「これだよこれ。この落書き」

「失礼ですね。私の字はそのように汚くありません」


「そうなのか。じゃあ誰が書いたんだ?」

「大昔の英雄ですよ。巻末に記されているでしょう?」


「ダイン・ブレイブハート……字を書くのが苦手な英雄だったんだな」

「故人の書いた字を貶めるものではありませんよ」

「お前もさっき汚いって言ってたじゃないか……」



 巻物を巻き直し、岩から下り立ち上がった少年にラヴニールは少し驚いた。同年代くらいだと思っていた少年は思いのほか背が高く、しなやかに伸びた手足には鍛え上げられた筋肉が備わっていた。

 毛皮で作られた衣装を着ていることから、この少年がティエンタの民であることはラヴニールにも分かったのだが、ここに来た理由が分からない。



「それで、こんなところで何してるんだ?」

「その巻物に書かれている地脈の力について勉強していたところです。あなたこそ、こんなところに一人でどうしたんです?」


「音が聞こえたから気になって来てみたんだ。なるほど……落書きみたいだけど、この巻物に書かれていることは正しい」

「え?」



 見た人全てが落書きだと評する巻物を、初めて肯定されたことにラヴニールは驚いた。



「俺たちティエンタの民も、小さい頃から地脈の力を感じ取る練習をする。地脈の流れと一体となって獲物を探したりするんだよ」

「なるほど。索敵にも使えるというわけですか」


「言っとくけど、すぐに出来るもんじゃない。一日中集中して何年もかけて初めて掴めるものなんだ」

「あなたはどうなんですか?」


「できるからここに来れたんだ。お前の位置を把握してな」



 キッパリと言い切る少年に、ラヴニールは成程と心の中で頷いた。“きっとこの少年は自分の力を誇示したいのだ。大人になって初めて成し得るその技を、子供である自分が持っているということを見せびらかしたいのだ“ と、ラヴニールは推測した。


 とはいえこの少年が自分の求める先にある技能を習得しているのは事実。時間も限られている……この少年に教えを請うた方が手っ取り早いかもしれない、と結論付けた。



 このラヴニールの推測は半分正しかった。少年はラヴニールが何をしているのかを理解した上で近づき、半分は自慢したいという少年心、そして半分は教えてあげようという親切心だった。


 そんな2人の間に齟齬が生じるはずもなく、自然な流れで少年が見守る中、ラヴニールは修行を再開した。



「地脈の力は掴んでいるんです。でも、どうにも弱くて……」

「も、もう掴んでるのか?」


「私、魔力の扱いには慣れているんです」

「なるほど。でも、今お前が掴んでいるのは支流にすぎない。弱くて当然だ」


「支流?」

「地脈っていうのは言い換えるなら星の血管だ。今お前が掴んでるのは細い血管。掴むなら太い血管を探さなくちゃいけない」


「太い血管……」

「俺たちは、それを【龍脈】って呼んでいる」



 少年の言葉を聞き、ラヴニールの鼓動が早くなる。難解なパズルのピースが難なくはまっていくような快感……ラヴニールの頭の中では、既にこの修行の成功を確信していた。



(龍脈────星の血管。だとするなら全ての血管は繋がっていて、支流を辿れば龍脈へ行き着く)



 地脈へと魔力を同調し、支流をさかのぼり龍脈を探し始める。


 

(地脈を流れる力────星の魔力……言うなればそれは【星の血液】)



 人間なら誰しもが持つ血液。血液とは酸素だけでなく、魔力をも全身に行き渡らせる役割を持つ。つまり、血液とは魔力溶水の一種。



(そして……私の共鳴魔力レゾンは【血液】。なら、星の血液を操れない道理はありません)



 血液を共鳴魔力として持つ……そしてラヴニールは血液を生成し、操作し、吸収することができる万能状態。

 それは強化常態オリジンと呼ばれる存在であり、人ならざる力と魔力を有していた。更にラヴニールは魔力溶水とも言える血液を共鳴魔力に持つことで同じオリジンと比較してもその魔力は強大であり、智慧の女神ルミナラの加護と相まって並々ならぬ知性を獲得していた。

 生まれてすぐに自我を持ち、自分の共鳴魔力を自覚していたラヴニールにとって、一度認識してしまえば龍脈を掴み取る事など容易であった。


 今までとは比べ物にならない程の魔力が、虹色の光となってラヴニールの全身を覆っていく。その光景に少年は驚愕した。放たれる圧に後退り、背筋が凍る程の冷たさを感じていた。



 光と共に放たれたラヴニールの拳が巨岩へとめり込む。全てを上書きするヒビが岩肌に刻まれ、パラパラと欠片が落ちる音が響き渡る。


 

「なッ────」


 驚きを隠せない少年とは対照的に、ラヴニールは冷めた目で自分の拳を見つめている。



「これでは駄目ですね」

「な、なにッ?」


 少年は耳を疑った。一体何をどう考えればこの結果が駄目になるのだろうか。少年の理解が及ぶ前に、ラヴニールは淡々と独り言のように話し始める。



「全ての力を一つにして打ち込むのが地天流の極意とあります。でも、今の攻撃ではただの三連撃……筋力・魔力・龍脈で別々に殴っているようなものです。力を織り交ぜる必要がありますね」

「そ、それはそうだけど……力を織り交ぜるってことは、全ての力を一度魔力に変換するってことだ。そんなことあの一瞬で出来るはずが────」



 ラヴニールの両足から再び虹色の魔力が吸い上げられる。完全にコツを掴んだラヴニールは当たり前のように龍脈を掴み取っていた。


 吸い上げられた魔力が昇っていくほどに色が変わり始める。ラヴニールの持つ魔力・魂の色と交わり、赤雷と化した破壊のエネルギーがラヴニールの右拳に集まっていく。

 そしてこの時……ラヴニールの翡翠の瞳は金色へと変貌していた。8歳という幼い年齢で、神域者ディビノスという領域に到達した証であった。



 稲光と共に放たれる破壊の一撃。けたたましい破壊音がこだまし、砕かれた破片がバラバラと散らばる。巨岩には大きな窪みが形成されており、今までの攻撃とは桁違いの威力であった。




「────ッッ」

「これでは駄目ですね」

「なにッ、またか!?」



 絶句していた少年は、まさかの駄目発言に叫んだ。一体何が駄目なのか分からず、わなわなと震えながらラヴニールの言葉を待つのみだった。



「今の攻撃では力が表面で弾けたに過ぎません。対象の内部に力を行き渡らせなければ……。それに、本来は両脚の膂力も攻撃に乗せなければならないと絵で記されています。素人の私には難しい技術なので後回しにしようと思っていましたが、コツを掴んできたのでやってみましょうか」


 するとラヴニールはその場で浅くジャンプをし始めた。


 

 トーントーン────脱力して何度もジャンプするラヴニールに、恐る恐る少年が疑問を投げかける。



「……何をしてるんだ?」

「戦いという一瞬の隙も許さぬ場で悠長に龍脈を探す暇はありません。両足を地面に付けた瞬間に龍脈を掴み、全ての力を攻撃力に変換して打ち込む練習もしておきます」



 言うは易し。そう思った少年はゴクリと喉を鳴らした。少年も理解し始めていたのだ。目の前の小柄な少女には、口にしたことを実現させる力があるということに。



 繰り返される跳躍。静まり返った空間に滝の音と跳躍する音だけが響いている。幾度目かの跳躍、ラヴニールが大きく息を吐き着地した……その時だった────





 ────踏み込まれた地面が陥没し、大量の魔力がラヴニールの身体を駆け上る。閃光の眩しさを伴う中、赤雷と化した魔力が全ての力を携え拳に集まっていく。



「はぁあッ!!」



 初めて叫ぶ気合いの声と共に拳が打ち出される。巨岩に直撃した破壊のエネルギーは雷の如く表面から内部までをも疾走し、轟音と共に巨岩を破砕した。山のように巨大だった岩は跡形もなくなり、破片や粉塵と化し周囲に漂う。


 この結果に、ラヴニールは満足そうに自分の拳を見つめる。



「────両足は大地に根差し、全ての力を一つにして拳で打ち込む。成程、単純明快ですね。ダイン・ブレイブハート……素晴らしい奥義書に感謝します」



 立つ瀬がなくなり押し黙る少年にラヴニールが視線を向ける。



「あなたにも感謝します。あなたの助言がなければ、ここまで行き着くことはできませんでした。お名前を伺っても?」

「……ティエンタの戦士、ガウロンだ。お前の名前も教えてくれるか?」



 ガウロンと名乗った仮面の少年に、ラヴニールは手を揃えぺこりと頭を下げる。



「申し遅れました。ライヴィア王国の王子エルヴァール様の専属侍女を務めます、ラヴニールと申します。ガウロン様、この御恩は忘れません」


 巨岩を砕いたとは思えない少女の振る舞いに、ガウロンは仮面の奥で笑いを漏らした。



「フッ……俺も覚えておくよラヴニール。お前という戦士のことを────」

「侍女です」





 後に仲間となるラヴニールとガウロンの初邂逅……そして────200年以上の時を経て、1人の天才少女の手によって【地天流】が完成した瞬間であった。

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