第6話 桜ノ華
ラヴニールがエルヴァールの従者となって3年の月日が流れた。季節は再び春────エルヴァール9歳、ラヴニールは8歳となり、成長した2人が並んで歩く姿は人々の目を否が応でも釘付けにした。
王子としての風格、専属侍女としての気品──まだ子供であるにも関わらず、2人からはそれらがひしひしと感じられた。
2人は光の象徴として国の未来を暗示しており、未だ国境沿いでライザールとの小競り合いが続く中、国民は安堵していた。この王子がいればライヴィアの未来は明るい、と。
そして、ラヴニールも王都ブロスディアでは噂になっていた。元々が目を引く美少女ではあったが、それに加えスワルギアの賢者たちが舌を巻く程の見識、王女ツキナギの地獄の特訓を乗り切る力……智勇を兼ね備えた少女の噂は井戸端会議や酒場のネタでは常連となっていた。
そして、名声が高まるほどに変な噂も立つ。この3年でラヴニールは禁書エリア以外の蔵書をほとんど読破していた。無論、興味がない内容のものには軽く目を通す程度だが、知識欲を満たしてくれるものには積極的に目を走らせた。
さすがは賢者の国と言われるスワルギアの出身。そう讃えられるラヴニールに立った変な噂、それはこんな噂だった────
────“源泉を失った知識の探究者は、また新たな源泉を求めて旅に出る” と。
この噂は王宮内にも伝わり、もちろんエルヴァールの耳にも入った。
この3年で2人の関係は王子と従者の関係には留まらず、生涯の友と呼んでも差し支えがないほどに進展していた。
噂を耳にしたエルヴァールはひどく狼狽した。従者としては特権とも言えるラヴニールに与えられた読書のための休日。その休日が来るたびにエルヴァールは焦り、怯えるようになった。
現に、今までは一日中王立書庫に入り浸っていたのに最近では2時間ほどで戻ってくる。読むものが無くなったのだとエルヴァールは思った。
本人に直接聞いてこの胸のつっかえを取り払おうと思い立つが、その答えが噂通りだったらと考えるとどうしても聞くことができなかった。
噂に悩むエルヴァールの変化に無論ラヴニールは気づいていた。その理由がなんなのかは分からないが、自分が原因で悩んでいるのだと察していた。
そしてある夜、久しぶりにエルヴァールと寝所を共にしたラヴニールは自分からエルヴァールに尋ねることにした。
「ふふ、久しぶりだね。一緒に寝るの」
「はい。エルヴァール様がオネショしたのを私のせいにしたから、一緒に寝てたのがバレてしまったせいです」
「あははは! …………墓場まで持って行ってね?」
「仕方ありませんね」
くすりと笑うラヴニールを見て、エルヴァールが安心したように微笑む。
「エルヴァール様、何を悩んでいるのですか?」
「────ッ」
ラヴニールの問いに、身体をびくりと震わせ目を伏せる。明らかに動揺するエルヴァールの手を、ラヴニールが両手で優しく包む。
「私にも話せないことですか?」
「…………」
しばらく口を閉じていたエルヴァールであったが、自身の手を包んでくれるラヴニールの手を握り返し、恐る恐る口を開く。
「ラヴィはさ……もうほとんどの本を読んじゃった?」
「……そうですね。めぼしいものにはもう目を通しました」
「そっか……」
「……? それがどうかされたのですか?」
「噂を聞いたんだ。読むものがなくなったからラヴィは別のところへ行っちゃう、って……」
「その噂は私も耳にしました。根も葉もない噂ですよ。それに、私はまだ禁書エリアの本を読んでいません」
「じゃあ、そこの本も読んじゃったら……どうする?」
「この国で得られる知識はもうないと判断したかもしれません……昔の私なら」
「昔の?」
不安げに問いかけるエルヴァールの手を、ラヴニールが優しく握り返す。
「エルヴァール様。私が今、どんな本を読んでいると思いますか?」
「え……うーん、歴史書とか?」
「いいえ。大衆が読む流行り物や、エルキオンのゴシップ誌ですよ」
「ラヴィもそんなの読むんだ?」
“読むものがないからそんなのに手を付けてるんだ“ とエルヴァールは考えた。だが、そんなエルヴァールの考えを見透かすかのようにラヴニールは静かに首を振った。
「貴方と話すためです」
「私……と?」
「エルヴァール様は女の身でありながら男として育つことを義務付けられた。城下の女性達が嬉々として話す、世間の俗事など触れる機会もなかったでしょう。そして、私もそのような事には全く触れてきませんでした」
「…………」
「だから色々読みました。この話をしたらエルヴァール様は喜んでくれるだろうか、笑ってくれるだろうか? そう考えながら雑誌を読み、帰路につきました。残念ながらまだそこまで面白い本には出会っていませんが」
「ラヴィ……」
「エルヴァール様。私には友達というものは1人もいません。常に大人と混じって勉学に励んできた私にとって、当然と言えば当然のことなのですが。私達……似てると思いませんか?」
「そうだね。私にも友達はいない。ラヴィだけなんだ……だから────」
「一緒ですよ────安心してください、私はどこにも行きません。私の持つ知識も、力も……全て貴方の為に使うと誓っているのですから」
特別な力を持ち生まれてきた2人の少女に、常人としての生活は許されなかった。それ故に友と学び、友と遊ぶという普通のことすらできない日常。彼女らにとってはそれこそが非日常だった。────そんな非日常を取り戻すことを誓うかのように、2人の少女は手を力強く握り合う。
「面と向かって、そんな恥ずかしいこと言わないでよ……」
「オネショを押し付けられた時に比べたら、大したことないです。ふふ、共有する秘密も多くなりましたね」
嬉しさ、恥ずかしさ……色々な感情が混ざり合い、必死に涙を堪えるエルヴァール。震える身体を落ち着かせ、目を伏せながら語りかける。
「ねぇラヴィ。私ね、もう一つだけ秘密があるんだ。これが最後の秘密────」
エルヴァールの言葉の続きを、ラヴニールはただ静かに待った。ゆっくりと上体を起こしたエルヴァールと共に、ラヴニールも上体を起こす。
「私ね、もう一つ名前があるんだ。これは母上と私だけしか知らない名前。母上の故郷、天津国の……シロガネ族としての名前……女としての名前────」
開かれた窓から、少し冷ややかな風が舞い込んでくる。月明かりに照らされたエルヴァールの銀髪がサラサラと揺れる。それはさながら、風に揺れる花のようだった。
「────
エルヴァールが窓の外へ視線を向ける。実物の桜を見たことのない少女は、一体どのような花を想像しているのだろうか。
「ねぇ、ラヴィ。2人っきりの時はさ、私のこと……オウカって呼んで欲しいな」
せめて2人の時は女友達として……そんなエルヴァールの想いを理解したラヴニールは再び手を握り微笑んだ。
「────はい、オウカ」
“敬称はいらないよ“ 。そう言おうとしていたエルヴァールは少し驚いた表情をし、自分の名前を呼んでくれた親友に満足そうに微笑み返した。
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