第4話 王妃様はバーサーカー

 修練所でひと勝負を終えたエルヴァールとラヴニール。その戦いで出来た傷を誤魔化す……もとい癒すために、2人は王妃ツキナギの元へと向かっていた。侍女にツキナギの居場所を聞き、道中色々なことを喋りながら王宮の奥にある庭園へと到着した。


 ひっそりと佇む庭園は、まるで別世界のような静寂に包まれていた。その空間を囲む石壁は外界の喧騒を遮り、緑豊かな蔓が絡まり季節ごとに色とりどりの花を咲かせる。

 庭園の中央には大理石で作られた美しい噴水があり、噴き出す水が陽光を受けてキラキラと輝きながら心地よい音を立てている。


 そして庭園の一角には藤棚があり、淡い紫色の藤の花が咲き誇っていた。垂れ下がる藤の下にはベンチが置かれており、周りには数人の侍女、そして白いドレスを着た女性が目を閉じながら腰掛けていた。


 眠るように座るその女性は微笑みを浮かべており、木漏れ日によって輝く銀の髪が相まりまるで妖精のような雰囲気を醸し出していた。声を掛けるのも憚られる程の神聖さ……だがエルヴァールは迷うことなくその女性に声をかけた。



「母上!」


 エルヴァールの声に気付いた女性が目を開け、ゆっくりとエルヴァールの方へ顔を向ける。


 

「あら、エルヴァール。あなたも幻闘?」



 ニッコリと微笑むその女性を見て、ラヴニールの頬に一筋の汗が伝う。


 

(この方が王妃ツキナギ様……天津国最強の戦士。ただ座っているだけなのに、まるで戦っているかのような気迫を感じます。……それにしても、幻闘とは何でしょうか?)


「いえ、実はケガをしまして。母上に治してもらおうかと。今、忙しかったですか?」

「大丈夫、ちょうど終わったとこよ。1匹じゃ相手にならないから、熊を5匹に増やしてみたんだけど……全然ダメね。集団の戦闘には向いてなかったわ。狼の方がよかったかしら?」

(い、イメージトレーニングでしょうか?)


 ラヴニールの予想は大当たりで幻闘とはイメージトレーニングであり、王妃ツキナギは暇を持て余すと、この静かな庭園で仮想敵を相手に修練に励んでいた。戦闘民族であるシロガネ族のツキナギにとって、この幻闘はささやかな楽しみでもあった。


 

「さすがです、母上!」

「ふふ、ありがと。それでエルヴァール、どこを怪我したの?」

「ここです」


 エルヴァールが髪を捲り上げると、真っ赤になった額が顕となる。その傷跡を調べるようにツキナギが優しく指を添える。



「あらら、これは……木剣の跡? 誰にやられたの?」

「はい! 実はラヴニールと勝負をして、一撃でやられました!」


 包み隠さず嬉しそうに告げるエルヴァールを見て、ツキナギは少しキョトンとした表情になる。だが、すぐにその顔は微笑みを携えラヴニールと視線を交わす。



「お初にお目に掛かります王妃殿下。本日付を持ちましてエルヴァール殿下の従者となりました、ラヴニール・ラクタと申します」

「まぁ、こんなに小さいのになんてしっかりしてるのかしら……ラヴニールちゃんは何歳なの?」


「今年で5歳となります」

「ご、5歳でこんな礼儀作法をッ…………私が5歳の時は山で魔猪と戦ってたわ」


 それはそれですごいのでは……という言葉をなんとか飲み込むラヴニール。2人の会話を聞いていたエルヴァールが、不思議そうにツキナギへ質問する。



「あの、母上はラヴニールのことは知らなかったのですか?」

「知らなかったわ。ラヴニールちゃん、従者の話を持ち掛けられたのはいつ?」

「今日です」


 そのラヴニールの答えに、ツキナギはため息を吐いた。

 ラヴニールの神童ぶりは、城下では以前から噂にはなっていた。そして人材好きのグスターヴがその噂を聞きつけ、ラヴニールの通う私塾へと足を運んだ。そしてそのまま従者へと勧誘し、その日のうちに王宮へと勤めに来たのだった。



「まったく陛下は……一度決めたら突っ走るんだから、困ったものね」

「私はラヴニールと知り合えて嬉しかったけど、ラヴニールは迷惑だった?」

「そんなことはありません」


 悲しげに問うエルヴァールに、ふるふると首を振るラヴニール。

 周りにいる侍女たちにツキナギが手で合図をすると、侍女たちはその場から離れていってしまった。この場にいるのが3人になったのを確認して、ツキナギは再びラヴニールに質問する。



「ラヴニールちゃんは、エルヴァールのことをどこまで聞いてる?」

「もし王子殿下のお身体の事を仰っているのなら、全て聞き及んでいます。王子は女性……陛下はその事も含めて、女である私を従者として任命されたのです」


「……あなた本当に賢いのね、5歳とは到底思えないわ。私の代わりに王妃になってくれない?」

「あの、母上。できれば先にケガを治して欲しいのですが……」


「あら、ごめんなさい。私、壊すのは得意だけど治すのは不得手だから少し時間をちょうだいね」


 この緩やかな空間で気が落ち着き、傷が痛み始めた為に治癒を懇願するエルヴァール。物騒な言葉を口にしながらも、ツキナギがその美しい指を額の傷跡へと優しく添える。

 ツキナギの指に微かに光が宿り、その光がエルヴァールの傷を癒していく。



「まぁ、これくらいなら2分もあれば治るかな? ところでラヴニールちゃんはどんな条件を出されたの?」

「条件?」


 そのツキナギの問いに疑問で返したのは、エルヴァールだった。



「だって急に従者になってくれだなんて、見返りがないと無理でしょ? 私だって嫁に来た時は考えたもん」

「え、母上も何か思惑があったのですか?」


「ライヴィアはライザールと国境沿いで睨み合ってたからね。ライヴィアに嫁げば、王国側の人間として思いっきり前線で戦えるんじゃと思ったのよ」

「そ、そんな理由で結婚したんですか!?」


 母のカミングアウトに、エルヴァールが目を大きくして狼狽する。だが、そんな娘を見てツキナギは口を開けて大笑いする。



「あっはっは、冗談よ冗談! まぁ半分は本当だけど。陛下が私に一目惚れしたように、私も一目惚れしたのよ。この人の力になりたい、ってね」

「そ、そうですか……」


「でも、現実は非情よね。戦いどころか狩りにすら行かせてくれない。毎日毎日重臣たちの小言聞かされて、空いた時間で仮想敵相手に妄想する日々…………あぁ、槍が錆びちゃうわ」



 どんよりとした表情を浮かべるツキナギ。そんな母を見て、エルヴァールは複雑な心境になっていた。母は、ここへ来るべきではなかったのだろうか? だとするなら自分は……そう考えていた。しかしそんな娘の心境を見透かしたかのように、ツキナギが両手をエルヴァールの頬に添え、優しく語りかける。



「でもねエルヴァール、私は今のこの生活も悪くないと思ってるわ。あなたという子供の成長を感じられる……母親としての喜びを知ってしまったのだから。私は陛下と出会ったことを少しも後悔していない。むしろ最高の幸運だったと思っているわ」


 そのツキナギの答えに、エルヴァールの顔が明るくなる。既に治癒は終わり、額は白く美しい肌へと戻っていた。そっと手を離し、含みのある笑いを浮かべながらツキナギがラヴニールへと視線を向ける。



「とはいえ、身体が鈍るのは事実。ラヴニールちゃん、今度手合わせしてくれないかしら?」

「い、いえ。遠慮しておきます」



 えー、と口を尖らすツキナギ。おもむろに立ち上がり、視線をラヴニールに合わせるようしゃがみ込む。



「あなたが相手なら、安心してエルヴァールを任せられるわ。エルヴァールは性別を隠して王子として育てられたから、友達なんて1人もいなかったの。この子と仲良くしてあげてね、ラヴィちゃん?」



 ラヴィちゃん──王妃に唐突に呼ばれたこの愛称を、ラヴニールは反芻していた。出会ったばっかりの自分を信頼し、王子であるエルヴァールを任せられるとまで言われた。身分という垣根の違いを感じさせない親しみを込めたツキナギの配慮にラヴニールは感動し、ある想いに駆られていた。────この人たちの力になりたい、と。



「はい。お任せください、ツキナギ様」



 親しみを込め、決意をもって答えた。その答えに満足そうに笑みを浮かべる母ツキナギ。



「さて、と────」



 おもむろにツキナギが歩き出し花壇に手を突き入れる。花と土と共に引き抜かれた手には、布に包まれた何かが握られていた。何が何だか分からない2人の視線を尻目に、ツキナギがその布を解いていく。

 中から姿を現したのは、大人用の2本の木剣だった。その木剣を2人の前に投げ、高らかに宣言する。



「さぁエルヴァール、ラヴィちゃん! 剣を取りなさい!!」

「「えッ!?」」


「折角人払いしたんですもの、久しぶりに稽古をつけてあげるわ。ラヴィちゃんの実力も見ておきたいし」

「母上……今ケガを治してもらったところなのですが──」

「あの……私は遠慮すると言ったのですが──」


「また治してあげるわよ。ごめんねラヴィちゃん。この国の王女として、王子を任せられるか確かめる必要があるの……」

「さっき任せられると仰っていたではないですか────」


 ラヴニールの言葉を遮るように、ツキナギの身体が光に包まれる。光から姿を現したのは、白銀の鎧で全身を包み、陽光を飲み込むような輝きを放つ月光の槍を持った戦士だった。

 風にたなびくマントをバサリと腕で返し、仁王立ちの構えで2人を迎え撃とうとしている。



「さぁ、2人まとめてかかってきなさい。あなた達が目指す高みがどれほどのものなのか、教えてあげましょう!」


 別に目指していません、とラヴニールが言う前にエルヴァールがまるでサイズの合っていない木剣を拾い上げる。



「あれが母上のレガリア……魂を具現化した武具……くッ、母上は本気だ! ラヴニール、私は左から攻める。君は右をお願い!」

「…………」


 “あぁ、親子なんだな“ と納得し、観念したように木剣を拾い上げため息を吐くラヴニール。



「はぁ……もう、仕方ないですね」



 ニヤリと笑うエルヴァールが合図となり、白銀の戦士へと突撃する2人。この戦いは、騒ぎに気付いた衛兵が駆けつけるまで続けられたという。

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