第5話 蒼空亭
日が落ち、夜の帳が静かに降りると、昼とは異なる光景が城下町に広がり始める。石畳の通りは、柔らかな月明かりに照らされ銀色に輝き、家々と街角に飾られた照明が温かな光を放つ。
商人たちの雑貨店は閉じられ、昼間の喧騒はどこかへと消え去っているが、代わりに夜市が開かれ、道端の屋台では多くの人々が集まり賑わいを見せている。
俺は三番通りにある【蒼空亭】という店に向かって歩いていた。肉に魚とあらゆる料理を取り揃えており、その味はすこぶる評判が良い。料理好きとして、一度は味わっておきたいと思っていたのだが、ちょっと料金が……。
店主がこだわり抜いた材料、熟練の技を惜しみなく用いた調理、教育の行き届いた店員のサービス──高くなるのも納得なんだけどな。
父さんは副団長ということもあり、そこそこ金はもらっている。でも、その金のほとんどをオーラント修道院に寄付している。その父さんの行いを誇りに思っているからこそ、俺も父さんから金をもらうのは拒否し、自分で色々と仕事を見つけ稼いでいるのだが、まぁ貧乏だ。
……とはいえ、今日はプラームが奢ってくれるという。ここはありがたく蒼空亭の料理を堪能させてもらうとしよう。
店の前に立ち、少し緊張しながら扉に手をかける。力を込め扉を開くと、来客を告げる鈴の音が響き、中から胃袋を刺激する芳香と共に、お客たちの幸せそうな歓談が漏れ出てくる。
「おーいシン! こっちこっち!!」
中には既にボルとプラームが席についていた。物怖じしない大きな声で、店員さんより先に俺に呼びかける。その様子を見た店員のお姉さんは、にっこりと笑い “どうぞ” と俺に言い、他の客の元へと向かっていった。
「よっし、主役の登場だな!」
「遅いぞ。何時だと思っているのかね」
「七時だろ。悪い悪い、片付けにちょっと時間がかかっちまってな」
団体用のテーブルの上には、既に3つのジョッキが置かれていた。2人とも口はつけておらず、俺の到着を待っていてくれたようだ。
「よっしゃ! んじゃ乾杯といこうぜ!! シンの正騎士叙任を祝って……かんぱーい!!」
「おいボルフェル! ここはひもじ屋とは違うのだぞ! もう少し行儀よくしたまえ!!」
「はは! かんぱーい!!」
プラームの小言を無視して一気にジョッキをあおる。プラームが “まったく……” としぶりながらも、遅れてジョッキを傾けていく。
「ぷっはー! うんめぇーー!! なんだこれ!?」
「ぷはあ! ……うま。マジでうま!!」
「せいぜい味わって飲みたまえ……って、もう空じゃないか!!」
エールというものは仕込む人と場所によって味が変わるものだが、ここまで美味しいエールは初めて飲んだ。ひもじ屋のうっすい酒……あれはあれでいいのだが、この芳醇な香りとコク、そして口と喉を刺激する炭酸の爽快さを味わってしまうと、とても同じエールとは思えない。
「お姉さんおかわりー! 3つね!」
「待て! 私はまだ飲んでる途中だ!」
「えーと、メニューがあるのか。どれどれ」
俺は手書きで書かれたメニューに目を走らす。ひもじ屋にも壁にメニューが掛けられているが、ほとんどが【パン】とか【木の実】みたいに単語だけだ。だが、ここのメニューにはそのような単調さがなく、様々な言葉でメインである食材を彩っており、客の想像を掻き立てる。一体どんな味なのだろう、と期待せずにはいられない。
「お、食い物も頼んどくか。すいませーん、高いもん順に持ってきてもらっていいすか!?」
「ふざけるな! ちゃんとメニューを見ろ!」
「そうだぜボル。見ろよ、うまそうな料理ばっかりだぜ」
メニューをボルに見せてやるが、めんどくさそうに手を振り、よく分からんから決めてくれとジョッキを傾ける。プラームに目をやると “貴様が決めろ” と言い放つ。
じゃあお言葉に甘えて、俺が決めようかな。
悩んだ末にいくつかの料理を注文し終えると、店の扉が開かれ見知った顔がなだれ込んできた。
「おぉ来たか! こっちこっち!!」
ボルの声に気づいたそいつらが、こちらへとゾロゾロやってくる。
ヴェルオン、バジク、ランシラス、コランド、オーラン。ボルやプラームと同じく、みんなが従士の同期だった。
「やぁ、遅れてすまないな」
爽やかな笑顔に白い歯を輝かせながら、ヴェルオンが俺の隣に着席する。
「今料理頼んだところだからよ。ヴェルオン、ケガの方はもういいのか?」
「あぁ、シンがうまいこと蹴ってくれたからな。もう平気だよ」
決勝ではヴェルオン相手には手加減の余裕などなく、思い切り攻撃してしまった。だがそんなことは気にするなと言わんばかりに、笑顔で力こぶを作って見せてくる。
「待て待て、なんなんだ貴様ら。どうしてここが分かった」
何故かプラームが困惑している。
「なんでって、みんなで祝勝会しようって言ってたじゃねぇか」
「わ、私は3人で予約したんだぞ!」
「そうだと思ったからさ、俺が8人に変えてもらったんだ。っていうか、3人でこのテーブルはありえねぇだろ」
ボルがしてやったりとした顔でプラームに言い放つ。まぁ10人くらいで取り囲むテーブルだしな。もしかしてプラームは、高貴な自分にでかいテーブルを用意してもらったとでも思っていたのだろうか。
「プラームの奢りだってな!? ゴチになりやす!!」
「さーて死ぬほど飲むっすよー」
「あ、すいません……僕は水でお願いします」
コランドとオーランはメニューを読み漁り始め、バジクは水を注文している。バジクのやつ、俺たちの中で一番身体が大きいくせして、気が弱くて下戸なんだよなぁ。
「く、くそ……手持ちで足りるだろうか……」
「大丈夫だよプラーム、私もそれなりに持ってきている。足りなければ私が補おう」
「お、軍資金が増えたみたいだな。じゃあ遠慮なくいくとするか」
プラームとヴェルオンのやり取りを見て、ランシラスがニヤリと笑う。
俺たちのいるテーブルが、この店で一番騒がしいだろう。でも、それに負けじと他の客も店員も声を張り上げ、店の中は大盛り上がりだった。
お姉さんが器用に持った全員分のジョッキをテーブルにドンと置く。それぞれがそれを手に取り、改めてヴェルオンの音頭の元に乾杯した。エールを飲み干しジョッキを置くと、みんなが俺の身体をバンバンと叩き、祝いの言葉を投げかけてくれる。
おめでとう やったな 俺たちの誇りだ ────まるで自分のことのように喜んでいるみんなを見て、胸と目頭が熱くなる。気づけば、店の中にいた他のお客たちまでもが、俺に向かっておめでとうと賛辞を送ってくれていた。
俺は気恥ずかしくなって、泣きそうなのを悟られないよう、届いたばかりの料理に手をつける。
口にした料理は、どれもが素晴らしいものだった。
同じ肉を使った料理でも、これほど変わるのかと感心した。あるものはスプーンで割けるほど柔らかく、口に入れると繊維状にほぐれ、まるで溶けるように旨みだけを残して消えていく。あるものは肉本来の食感を残しつつも、固すぎず、噛むほどに肉汁が溢れ、香ばしい肉の香りとハーブの香りが鼻腔を突き抜けていく。
素材そのままの味……とは違う。素材の持つ味、食感、色、香り────それらを最大限に引き出し、際立たせることが料理人の仕事。これが料理人の力なんだ、と感動に打ち震えると共に、自分の調理法に少し反省した。
その料理の味に感銘を覚えつつ、熱気の高まった店内を見渡す。みなが笑顔で料理を口に運び、その感動を同卓の者と分かち合っている。あくせくと働く店員も、みなが笑顔で店内に元気な声を響かせている。
もし……もし俺が料理人となって店を持つなら、こんな店を作りたい。目の前で楽しそうに笑う仲間達を見て、そんな夢をふと想像した────
────たらふく飲み、たらふく食い、大いに騒ぎ、大いに笑った。結局プラームの手持ちだけでは足りず、ヴェルオンにも支払ってもらった。夜もふけ、街の灯りが消え始めている。俺たちはその場で解散し、それぞれが帰路についた。
家へと到着し、そのままベッドに横になる。
父さんは、まだ帰ってきていない。きっとうまくやっているのだろう。
未だ冷めぬ熱を全身に感じながら、俺を祝福してくれた仲間達、父さん、アラテアさんに思いを馳せ、俺は心地よい眠りへと落ちていった。
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