第一章【乙編】 As フラウエル

第1話 もう1人のプロローグ

 ある国に、一つの物語があった。


 その物語は、子供達に道徳的な教訓を与える為か少々過激な内容であり、親達からは少し不評だった。

 物語を聞いた子供達の中には、“そんなバカな“ と笑って強がる子もいた。……だが、老人の中には顔を強張らせ、身体を震わせる者もいた。


 そんな物語の内容を簡単に説明するとこうだ────



 満月の夜、2体の魔物がやって来る。魔物が狙うのは悪しき魂。


 片方の魔物については、翼を生やしたその姿から、神の御使いではないかとも噂された。だが、その魔物は高笑いを上げながら、人々を地獄へと引きずりこむ。

 魔物の体を覆い尽くす黒い闇から、無数の子供の手のようなものが伸びてくる。それに捕まったものは、まるで眠るように息絶え、闇へと消えていく。


 その光景を見た生存者から、その魔物は【黒い祝福】と呼ばれた。

 


 もう片方の魔物は、何をやっても死なない。


 剣で斬っても、銃で撃っても、大砲で吹き飛ばしても、決して死なない。


 周りにある物を取り込み、地形を変えながら再生する。その魔物の後には、何も残らない。


 人も、魂も、土地も、全て食べられてしまう。



 悪事を働くな、改心し罪を清算せよ、さもなくば────



 【星喰らいのセレスティア】がやって来る。



 ────そんな内容だった。

 



────────────────────



 空が、炎によってオレンジ色に染め上げられている。村の家々からは煙が立ち上り、人々の悲鳴や泣き声が響き渡っている。


 ……頭が痛い。こめかみから熱い液体が流れてるのを感じる。歪んだ視界の中で、男性が2人……更に顔を歪ませている。

 私の上にのしかかる男性。私を剣の柄で殴打し、押し倒したこの男性……その顔には見覚えがあった。



────────────────────


 

 私の名前は【フラウエル】。医師である両親と共に、戦時下にある “ライヴィア王国” に派遣医師団としてやって来た。私の祖国 “ソレイシア” は、医療大国として多くの医師……そして世界にとっては希少な存在 “A・Sオールシフター” を有している。



 魂とは魔力の根源──そして魂には人の数だけ型がある。型が合わない魔力は相いれず、場合によっては猛毒となる。

 A・Sは自分の魂を── 魔力を他者に適合させることができる千変自在の魂を持つ存在。女性にしか存在せず、その割合は100万人に1人とも言われている。もっとも……自分がA・Sだと気付かずに一生を終える人達もいるらしいけど。


 他者に魔力を与える事ができる……それは自分の命のエネルギーを与える事ができるのと同義であり、熟練のA・Sになると瀕死の人間ですら治す事が可能だ。それ故、A・Sは主に “治癒士“ として重宝されている。



 ソレイシアでは見逃しがないよう、産まれたばかりの赤子に、すぐA・Sではないかの検査が行われる。その検査方法とは、微量ながら他者の魔力を溶かし込んだ “魔力溶水” を注射するという、少し乱暴なものだ。

 拒絶反応が出れば不合格、何事もなければ更なる検査が行われる。


 聞いた話だと、私がA・Sだと分かった時の両親の喜び様はすごかったという。

 ソレイシアは、主に他国への医師団の派遣で国益を得ている。自分の所属する医師団にA・Sが誕生すれば、その医師団は一生食べて行くには困らないだろう。

 


 でも────父の想いは違っていた。


『この子なら……僕よりもっと多くの人を助ける事ができる』


 そんな聖人の様な考えを、父は屈託のない笑顔で母と赤子の私に話していたという。



 ────ライヴィア王国に来ても、私たちはいつもと変わらぬ働きをしていた。ライヴィア王国は今、多くの都市が反乱・独立を宣言……いわゆる内乱状態だ。そしてそれに乗じてか、隣国のライザールにまで攻め込まれている。


 ……私は戦争が嫌いだ。戦争をする人も嫌いだ。でも……戦争の下では何の罪もない人たちが傷を負い、苦しんでいる。父の想いを知っているからこそ、私はこの国で怪我した人達を治癒士として分け隔てなく治療している。


 私達はとある小さな村に拠点を置き、戦争で傷付いた人達を治療していた。


 父が診断、処置をした患者を私が癒す。そんな私達を母が懸命にサポートしてくれている。それが私達の変わらないスタイルだった。



────────────────────



 20人程の若い兵士の一団が、私達のいる村にやって来た。彼らはライヴィア王国の正規兵らしい。


 クレセント騎士団と名乗った彼らの中の1人は、ライザール軍との戦いで腕を酷く怪我していた。父の診断では、剣で斬られたことによる裂傷・打撲で神経が損傷しているとのことだった。


 父の診断に従って、私はその兵士の腕に手を当て、自分の魔力を流し入れる。その傷はみるみる消えていき、変色していた腕は生気を取り戻した。


 その兵士は涙を流しながら私達に感謝していた。『これでまた……戦うことができる』と──



 ──その兵士が今、私の上にのしかかり、下卑た笑いを浮かべている。

 

 人とは……たった1日でここまで醜くなれるものなのか。


 私の隣では、両親が力無く倒れている。恐らく、医師団の仲間達も…………。


 父の想いを無下にした……それだけで私の中の何かが沸騰しそうになる。でも、意識の朦朧とした私には、この兵士を跳ね除ける力も残っていなかった。



 怒り、悲しみ、そして絶望が私の心を埋め尽くした頃……私の意識は暗い闇の中へと沈んでいった────



────────────────────


 

「おいおい、火がまわってるんだッ。早くしろ!」

「まぁ待てよ。A・Sの女なんて初めてなんだ、楽しませろよ」


「しかしよぉ、昨日そいつに腕を治して貰ったんだろ? よくそんな事ができるなぁ!?」

「だから、腕の “お礼“ をしてやろうとしてるんじゃねぇか。それに……今は戦争中なんだ、これ位みんなやってるさ」

 

 2人は、常にニヤニヤとした笑いを浮かべていた。そして男が、傷のない腕を……穢れた手をフラウエルの身体へと伸ばす。



「──ぐッ……」


 突如胸に感じた違和感に、男は声を漏らし、視線を下に向ける。自身の血で濡れた槍の先端が胸から飛び出していた。


 

「は……はぁ?」

「お、おい、どうしたッ」


 

 ──男達が後ろを振り返るとそこには多くの騎馬兵達がいた。その兵士達は皆 “真紅” の鎧を身に纏い、鋭い眼光で男達を睨みつけている。


 そして男を貫いた槍の持ち主──その騎士だけは特に異質だった。


 皆が真紅に染まる中、白銀に輝く兜に鎧。そして彼の乗る馬さえもが、月光の如き輝きを放っている。



「お前達も……このライヴィアには不要だ」


 そう言い放った白銀の騎士が槍に力を込めると、男はそのまま空中に持ち上げられる。騎士が槍を振り抜き、男の身体は槍から勢いよく抜け出て行く。そして、その勢いのまま燃え盛る家に叩きつけられた。


 

「な、なんだお前ら!? 俺達はライヴィアの正規軍 “クレセント騎士団” だぞ!! こんな事をして──」

「 “こんな事” をして、タダで済むとは思っていないよな?」


 騎士の鋭く、冷気を纏ったような声に、男は萎縮する。



「くッ、くそッッ!!」


 男が脇目も振らず走り出す。


 

「ガウロン」

「…………」


 騎士の横にいる、“ガウロン“ と呼ばれた仮面の男が、無言のまま弓に矢を番える。


 スラリと伸びた身体・腕……そして絹のような黒髪。まるで自分自身が弓であるかの様な力強さと柔軟性を併せ持っている。ギリギリという音と共に、弦が限界まで引き絞られる。ガウロンの身体は震える事なく、静かに標的を見据えている。

 ガウロンが弦を放すと、矢が空気を切り裂くように男に向かって飛んでいく。その矢は鉄の鎧を貫通し、男を地面に伏せさせた。



「オルメンタ」

「はい」


 “オルメンタ“と呼ばれた、グレーの髪の女性が前に躍り出る。凛々しい表情に、左右で色の違う目──そして右目の泣きぼくろが特徴的な美しい女性だった。



「お前は部隊を率いて生存者の救出にあたれ」

「はッ」


「ガウロン、お前もオルメンタと共に行け。略奪に加担している者は敵味方問わず皆殺しにしろ」

「……分かった」


「オウガ様は?」


 オルメンタが白銀の騎士の名を呼ぶ。



「俺はこの少女を幕舎まで運ぶ。……治癒士はいないがな」

「分かりました。よし、行くぞガウロン!」


 オルメンタの掛け声と共に、ガウロン達が走り出す。

 馬から降りたオウガは、優しくフラウエルの身体を抱き上げる。



「────すまない」


 

 それは誰に対する謝罪だったのか。誰の耳にも届かない懺悔の声は、虚しく炎の音に掻き消されていった。

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