第三話:Know Your enemy
《シャンタク》
月の光は闇を照らす。
確かにその神秘的にも感じられる光は全てを満ち照らすと思わせる美しさを感じることができるかもしれない。
聳え立つ山も。
山を埋め尽くすほどに茂る、緑の木々も。
山の中で静かにせせらぎ、流れる川も。
その静かな自然の中で、弱肉強食を謳う動植物も。
その川の近くの砂利で赤い血を垂らし続ける、首のない男の死体も。
その死体に抱きつき、泣き叫ぶ背丈の低い少年の姿も。
その背丈の低い少年に抱きつき、必死で慰める母親の姿も。
その親子の近くで、枯葉や小枝を焚べられ、僅かな命の灯火のように燃ゆる小さなキャンプファイヤーも。
その火の近くで、自らに火を付けた剛腕の左腕を握りしめて構える《グレティネイト・ワン》の姿も。
鮮血をべったりとつま先の刃に付着させた馬面の仮面を被る
今この場には悲しみと憎悪、そして殺意の感情が渦巻いている。
その負の感情さえも月明かりは怪物たちを照らしながら、くっきりと浮かべているようにも見えた。
炎が結晶化し、人の死の象徴の骸骨と深海を蠢く不定形の蛸を彷彿とさせる仮面を被る、巨大かつ剛腕の左腕の戦士、《グレティネイト・ワン》。
左腕には月の光さえも遮るほどに赤い炎を纏わせ、目の前の怪物に制裁を喰らわせようとゆらゆら蠢く。
一方。
馬に似た面長の仮面を被った体長2mで細身かつ二足歩行の体型をした、月光が反射して白銀に輝くほどの大きく白い翼を携えた
人間の死体からこそぎ落とした赤い血を《グレティネイト・ワン》に見せつけながら。
───次はお前がこうなる時だ。
《シャンタク》は決して、口には出さない。否、喋る口はない。
しかしその攻撃姿勢と、物言わぬ態度、そして付着した赤い血がまるでそう発した雰囲気を醸し出している。
《グレティネイト・ワン》は、その雰囲気に怯むことはない。
むしろその驕り高ぶったような空気に、感情を膨大させようとしてしまっっている。
つまり───怒り。
怒り、とは人間にある感情だ。
無論、誰だって感じる。
顔の無い死体に泣きつく少年は、涙を流しながら、父の血を勲章のように付けた
その悲しみという感情を燃え上がらせ、怒りとするように。
涙を流し、
震えた少年の体を包み込むように抱きながらも、自分の感情を吐露するように、母親もまた震えていた。
そして人間以外のものも怒りは感じる。
『………くたばれ、外道が』
《グレティネイト・ワン》は震えた声で、直接的にそう言った。
『ーーーーーーーー!!!!!』
怪物は、鳴いた。
───出来るものなら、やって見ろ。
この
ただ一人、怪物の生殺与奪を握るこの怪物、《グレティネイト・ワン》のことを。
だから───《シャンタク》は動いた。
月光の光を白い翼で乱反射させながら、片足を軸に勢いをつけて回転させ───一蹴。
じゃりじゃりじゃり、じゃり、という音が砂利の地面を踏み躙る。
血を垂らした《シャンタク》の脚部は突き出され、まるでワルツを奏でるように月光に照らされる。
この奇怪なワルツは、人間であれば、頭部が跳ね上がるグランギニョルの立役者に様変わりしてしまうことだろう。
しかしこの《グレティネイト・ワン》は違う。
まるでイントロのタイミングを合わせるドラムスティックの音のように、砂利の大地を右足で踏み出す。
構え。
《グレティネイト・ワン》はその左拳を、引いた。
人間の赤い血を撒き散らすほどの、勢いある《シャンタク》の刃。
突き出された脚のつま先は一瞬で《グレティネイト・ワン》の心臓を突き刺す───はずだった。
「休んでいろ、永遠にな」
炎は、月光の輝き以上に燃え上がった。
まるで自分の敵を知り、見つけるように。
それを例えるならば……《Know Your Enemy》。
炎は同じサビを歌い続けるように、燃え続ける。
紅蓮の炎は、そのままタムを力強く叩くように、左拳とともに解き放たれた。
そして月光はついに、それさえも照らし出した。
───火の付いた剛腕の拳が、《シャンタク》の脚部を、そして胴体を、顔を、燃やし尽くした。
月光が照らし出したのは刹那の出来事だった。
《グレティネイト・ワン》の拳は、タムの力強い音で周りの音を掻き消すかの如く、《シャンタク》の脚部を燃やした。
《シャンタク》とは
唯一、《グレティネイト・ワン》が喰えない相手だと言っていい。
邪悪を焼き尽くすこの炎は《シャンタク》の肉体を、金色の粒子へと変換していく。
月光に浮かび上がり、夜空の星とともに輝く金色の粒子がまさにそれだ。
炎により粒子状に燃やし尽くされながらも《シャンタク》の勢いは止まることはない。否、止まれない。
その砂利の大地で勢い付けてしまったから、急に止まることはできなくなってしまった。
左拳でそのつま先の刃を破壊され、肉体を燃やされ、止まることなく拳の射程上に存在する脚部も、すぐさま胴体も、その顔も消えていく。
そこから派生するように炎は《シャンタク》の全身を覆い尽くしていく。
その炎さえも止まることはない。
その為、《オルティネイト・ワン》の体と燃える《シャンタク》の体が衝突しようとした時、すでに《シャンタク》の体は全て金色の粒子に変換され、夜空へと消えていってしまった。
《グレティネイト・ワン》の体を、《シャンタク》の刃が引き裂くことはなかった。
ただし残されたものがある。
前述した通り、《グレティネイト・ワン》の炎は邪悪を燃やす炎だ。
邪悪に染まらないものは、その炎の燃ゆる影響は受けることはない。
決して、死んだ人間の血であっても……。
『…………』
《グレティネイト・ワン》はその拳を突き出したまま、動くことはしなかった。
その骸骨と蛸が入り混じった怪物の顔で、その貫かれるはずだった胸部を見つめる。
月光の光もまた、結晶体の装甲を照らす。
人間の赤い血が浮かび上がった、その胸部を。
「…………すまない」
《グレティネイト・ワン》はその漆黒の怪物の姿から、炎を全身に纏って、タムを叩き終わったドラマーのように変身を解いてから人間の姿になると、元の大きさに戻った人間のような左手で胸部を触る。
変わらず残る人間の血を。
その白衣の上着にも、赤い血は残ったままだった。
まるで何か言いたげで、儚く残る血の跡を。
月光は全てを照らす。
無論、そのくっきりと残る血さえも。
だから《グレティネイト・ワン》は……カズキはその目で親子を見つめた。
……いまだに感情を増大させる親子を。
「大丈夫か?」
生きていようが死んでいようが、その体に触れ続ける親子の元にカズキが歩み寄ろうとした、その時だった。
「だいじょうぶなわけないじゃない」
月光は音もなく突如として現れた役者を照らし出した。
───黒いワンピースに身を包んだ、長い黒髪の幼児たる少女を。
「すこしはにんげんのことをしったらどう?クトゥルギア」
少女は無邪気に満面の笑みでそう言った。
相手の心を踏み躙る邪気を感じさせながら。
カズキが一瞬でその自分の感情を増大させるように、その身を炎で包むことは想像に難しくなかった。
『なぜその名前を知っている……!?』
カズキ……変身した《グレティネイト・ワン》は怪しく月光に照らされる少女に対し、少女のように扱わず、怪物であるかのように言葉を吐く。
「しってるよ?なんでも、あなたのことならなんでも。例えば……QN-1、とか」
くすくすと、少女は笑った。
目の前にいる怪物を嘲笑うように。
その文字列は他者から見れば、アルファベットと記号と数字の羅列しかない。
少なくとも、突然目の前に少女が現れたことで疑いの目を向ける親子にはその言葉の意味が分かってはいないだろう。
だが彼女は知っているのだ。
《グレティネイト・ワン》にとってそれは、実験動物であることの印だということを。
そして彼女はこう告げた。
「でもかいぶつはかいぶつらしくしなくちゃ。じゃないとあなたがうまれたいみがないとおもうの」
まるで舌足らずのような言い回しで黒髪の少女は、くすくすと笑う。
しかしその言葉は少女が吐くような言葉ではない。
それはさも役者。デウスエクスマキナのように全てをひっくり返すしょうな舞台装置。
「あなたをもっとかいぶつらしくしてあげる」
少女はそう言い放ち───変貌した。
───美しき月光の光にくっきりと浮かぶ漆黒の体の怪物に。
しかし少女だった怪物は《オルティネイト・ワン》と同等の体長になっている。そしてその皮膚も炎の結晶を纏う怪物と同じく漆黒へと変質していた。
異なる点はその身体的特徴だろうか?
その顔は仮面を被ることはせずに、頭部には触覚をまるで月まで伸びるのではないかと錯覚するほど細長く伸ばしていた。そして顔。
その顔は表情を読み取ることはできない。そう、虚空。虚空の穴。全てを飲み込むと感じさせる虚空が顔全体に広がっていた。
『お前は……』
《グレティネイト・ワン》が少女だった怪物に、その名を問いかけようとした時だった。
───コ゛ク゛ア゛ァァア!
その声は響き渡った。
しかし、その声は月光が見てらす大地に響き渡っているわけではない。
《グレティネイト・ワン》の内側にのみ、響き渡る怨念の叫び声。
自らの罪、そして復讐の念を込めた叫び声。
───コ゛ク゛ア゛ッ!コ゛ク゛ア゛ァァァッ!
『《ベムティ・ラーリア》……!?どうしたんだ、いったい……!』
《グレティネイト・ワン》はその声を止めるように、そして《ベムティ・ラーリア》の感情を宥めるように、結晶体の装甲を抑え付ける。
だがその内で、その声は止むことはない。
まるでドラムスティックを叩かずとも、振動で響き渡るシンバルの音のように。
『《ベムティ・ラーリア》……?あぁ、ジュンおじさまのことね』
漆黒の怪物は異形の姿を纏いながらも、その
『《ベムティ・ラーリア》もかわいそう。けっきょく、ふくしゅうもとげられずに、そんなかいぶつもどきのなかでとじこめられて。そうだ、もういちど、あたしのなかにもどる?そうすればいつでもふくしゅうを───』
───フ゛サ゛ケ゛ル゛ナ゛ッ!コ゛ク゛ア゛!
コクアと呼ばれる怪物の声を遮るように《グレティネイト・ワン》の内側で《ベムティ・ラーリア》の声が響き渡る。
無論、その声がコクアに聞こえることはない。
それはコクアも知っている。
知っているから……《ベムティ・ラーリア》のことを見透かすように「くすくす」とわざとらしく笑う。
『コクア……?』
《グレティネイト・ワン》はその名前に気付く。
《ベムティ・ラーリア》の因縁たる怪物の名を。
『お前……《ナイアルラトホテップ》か……?』
『ごめいとう』
《ナイアルラトホテップ》なる混沌の名を呼ばれた少女は、その手で拍手するように乾いた音を鳴らした。
その両手を叩くごとに、ねちゃりと粘質的で不快な音と、淀んだ体液を砂利の大地に散らしながら。
『《ベムティ・ラーリア》からきいたのね?』
『あぁ。《ベムティ・ラーリア》掃討作戦の報告書にもお前の名前は記載されていた。悪趣味で無邪気な子どもよりもタチの悪い、サイコゴアマンを服従させた少女にクソを塗りたくって100倍性格を悪くした奴だと』
『れでぃにそんなことを言うなんて、最低ね』
苛立ちを隠そうとはしない無邪気な声に耳を貸さず、《グレティネイト・ワン》はその剛腕の左腕に火を付けた。
『お前のような女がいるか。喰われるか、殺されるか。どっちがいい?』
『ぷっ』
コクアはまたわざとらしく、今度は鼻で笑い飛ばした。
そして、べちゃりとその両手で腹部を触り、俯き……笑った。
『あはははははははは!あたしを《グレティオルド》とかんちがいしてるの!?あたしは《グレティオルド》でも、《ベムティ・ラーリア》のようにまわりのめもみえなくなってあなたにたべられちゃうような、そんな《グレティオルド》とはかくがちがうのに!』
───コ゛ク゛ア゛……!コ゛ロ゛ス゛ッ゛!
《ベムティ・ラーリア》は再び叫んだ。
しかしその声は聞こえない。聞こえるはずがない。
《グレティネイト・ワン》の左腕は解放されてはいないのだから。
だから、その左腕の火を消して《ベムティ・ラーリア》は……意思を操るように、《グレティネイト・ワン》のその左腕を触手蠢く左腕へと勝手
に変異させた。
『やめろ、《ベムティ・ラーリア》!』
《グレティネイト・ワン》は止めるようにその右腕で触手を全て掴み取ろうとした。
しかし開いた不浄に続く左肩の
《ベムティ・ラーリア》たる
『あら、ひさしぶりね。あいかわらずひどいかお。くす、おくさんをころしたふくしゅうもできずに、えさをもとめてすいめんにうかぶこいみたいになっちゃって。ほーんと…………けっさく!』
なおもコクアは笑った。
その実に無様で滑稽な姿に。
なにせその体を《グレティネイト・ワン》に囚われ、その身の全てを解放することができないのだ。
《グレティネイト・ワン》の生命が燃え尽きるまで、永遠に。
その暗黒の牢獄に囚われ続けなければいけない。
そのことをコクアは知っている。
だから腹を抱え、その不浄の滴を撒き散らし、大笑いした。
『あはははははははははは!』
『コ゛ク゛ア゛ァァァァッ!』
《ベムティ・ラーリア》はその口を開いた。
涎に塗れた口内を糸引きながら開き、その奥側から青白い光を登らせていく。
『やめろ!まだ人間がいるんだぞッ!?』
《オルティネイト・ワン》は激昂した。
まだコクアの後ろ側に互いを支え合う家族がいたから。
人間を守ることが使命のはずなのに、その人間の命を奪うほどの光を、この左肩から顔を覗かせる《ベムティ・ラーリア》は放出しようとしている。
『やめろと言っている!』
その左肩の触手を《グレティネイト・ワン》は不定形であることを活かすように、左肩の口の方へと集中させ《ベムティ・ラーリア》へと巻きつける。
『ハ゛ナ゛セ゛───』
しかし《ベムティ・ラーリア》の怨念は、五本の触手如きで止められるものではなかった。
コクア。その言葉をかき鳴らすように心の内で唱え続け、《ベムティ・ラーリア》はついに収束した触手に風穴を空け、月光の輝きに覆い被さるようにして、その直線的な光を放った。
はるか昔からの因縁。その敵を貫かんとする光が。
少年はその光に顔を俯かせるように、父だった顔のない死体に蹲った。
お父さん、助けて、と。
母親はその光から庇うように、少年の体を抱き寄せた。
せめて息子だけは助けなければ、と。
『おばかさん』
されど、その青白い直線的な光線にもコクアは態度を崩すことはなかった。
侮蔑の言葉を吐き捨て、その直線的な光線にその虚空の顔を向けた。
刹那。
───光線は全て、コクアの顔からコクアの体内へと流れていってしまった。
『やめろ、《ベムティ・ラーリア》!あいつにお前の攻撃は効かない!あれは
しかし《ベムティ・ラーリア》は吐き続けた。
自分の敵を殺す為、積年の恨みを果たす為、吐き続けた。
自分に溢れる力が無くなろうとも必ず殺そうと。
だから《グレティネイト・ワン》は、叫ぶしかなかった。
かの
『───
そう言って《グレティネイト・ワン》は殴りつけた。
ぐにょり、そう形容できそうなほどに《ベムティ・ラーリア》の頭部は凹む。
そしてシンバルの音をドラムスティックで抑えるように、その光線はぴたりと止んだ。
月光にその青白い粒子を浮かばせながら。
『………ソ゛ウ゛ジ゛』
《ベムティ・ラーリア》はその言葉を思い出し、そして悔やむように、その左肩の口の奥へとひっそりと戻っていく。
───ソ゛ウ゛ジ゛。
いまだに自分が新田ジュンたる人間だった頃、自分が忘れ去ってしまった息 の名前を呼びながら。
その光景に青白い光を虚空から漏れさせながら、コクアはその顔を手で抑えるように嘲笑した。
『ぷぷっ。やっぱりこんぽんはかわってないのね。あたしにたいするふくしゅうのこころは』
『……いったいお前の目的はなんだ?』
《グレティネイト・ワン》の問いかけを無視するように、コクアは背後にいる家族を見やった。
まるで《グレティネイト・ワン》のことを怪物だと言わんばかりに、顔を上げ、怯えた表情をした家族の目を。
『いいかおね』
コクアはそう言った。
まるで自分が見そめる存在を見つけたように。
そして、その歩みより、黒く淀み、泥のような感触の手で触れた。
……いまだに父の体にしがみつく、涙目の少年の顔に。
少年の頬はどよりとした黒い手によって汚される。
コクアは何も気にすることなく問いかけた。
『ねぇ、きいて』
少年はその言葉に酷く怯えた。
だがコクアは何も気にすることはない。
『そこにある、くびがなくなったばかみたいなものがあるでしょ?』
少年の表情は一瞬歪んだ。
父の死体を物扱いされたのだから。
だが、その表情はもっと歪ませることになる。
『そのげんいんをつくったのはね、あたし。あたしなの』
少年の瞳は黒く澱んだ、ように見えた。
愛する父を無くした原因を見つけた、その幼き怨念をぶつけるように。
『あ、わかってくれるのね。うれしいな。あなたみたいにせけんをしらずにのうのうといきてるこどもでもわかってくれるのね』
その無邪気な少女の声は、笑っていた。
おそらく少女の姿であれば、その顔も分かるかもしれない。
だが今の少女の顔は
コクアは少年の顔を両手で掴んだ。
その幼い少年の顔はますます黒く汚れていく。
それはコクアの最も望むことだった。
世間を知らないながらも、自身の
だからコクアは────喰らった。
その虚空の顔ですっぽり隠すように、少年の顔を丸ごと飲み込んだ。
『離れろ!』
《グレティネイト・ワン》は左腕にその炎を握りしめ、思考し、結晶を形成した。
『…………じゃま』
確かにその炎が結晶化した銃弾はコクアに撃ち込まれた。
撃ち込まれただけだ。
ぐちゃ、と音を放つだけでコクアは全く怯むことはなく、少年の顔から、その胴体を、その脚部を飲み込んでいく。
必死で掴んでいた母親の手をあっさりと引き離しながら。
『うん、やっぱりこのあじはていきてきにたしなまないとね。たとえるなら、そうね……こどもをうんでも、ぜんぶしょくにくになって、いかりにくるってるかちくのにくを、れあなすてーきにしてけつえきをそーすがわりにしてたべちゃうような、そんなきぶん?わかる?』
少年を飲み込み、いまだに青白い光をその虚空から覗かせている時だった。
───コクアの顔を、炎に塗れた剛腕の左腕が掴んだ。
『………話に聞いてた通りだな』
『………ぶすいね』
『お前に何を言われようと、どうも思わない。醜悪な奴にはな』
『しゅうあくですって!?なによ、そのいいかた!?わたしをだれだっておもってるの!?』
『サイコゴアマンとやらに出てくる糞女だろう』
その左腕の握力は徐々に強まっていく。
さらにはその炎さえも、月光の輝きに負けぬように、そしてその不浄な漆黒を蒸発させるように、強くなっていく。
だが、コクアは死ぬことはない。
その炎を顔に浴びながらも、コクアは《グレティネイト・ワン》の力にもまるで昼間ず、少しずつ振り向いた。
その青白い顔を向けながら。
『どうやらあたしをおこらせたいようね』
『お前の感情は知らん。それに……とっくに俺の火は付いている』
怒りを増大させたその声と共に、《グレティネイト・ワン》はその右腕を───青白い虚空にぶち込んだ。
『あぁ!?な、なにするのよ!?れでぃはかおがだいじなのよ?』
『黙れ、怪物が。お前が人間を語るなよ』
『あなたがそれをいうの!?かいぶつにしかなれないのに!にんげんにはなれないのに!どうせあなたは───』
『どうやらまだお仕置きが足りないらしいな、クソガキ』
それはおそらく誰も見たこともない怒りだった。
まるで諸悪の根源、真の
怒り、怒り、怒り。
しかしそれはコクアも同じこと。
『くそがきですって……!あなたよりもいきてるねんすうははるかにうえなのよ!?それを、それを!?』
コクアもまた怒り狂っていた。
自分の目的を止められたこともそうだ。
だがそれ以上に、自分を侮辱されたことが腹立たしかった。
まるでチンケなプライドを傷つけられたことが。
『出来損ないの怪物の癖に!!』
その声色は少女のものではない。
まるで酷く澱み、声も掠れた女の声。
その意思を汲み取るように……青白い光は───《グレティネイト・ワン》の右腕を掴んだ。
『なに……まさか、お前の中にも何かいるのか!?』
『私を誰だと思っているのよ……這い寄る混沌よ。そうよ。私は混沌そのものなのよ!?』
その主の言葉に呼応するように、《グレティネイト・ワン》の右腕を掴みながら、そしてコクアの虚空から溢れ出るように───青白い光を纏った
───青白い光で輝く《シャンタク》が。
『お前は───』
しかし《シャンタク》とはその姿はまるで違った。
確かに《シャンタク》の月光が反射するほどの翼は健在している。
だが───。
『《シャンタク》か………!?』
そのぬめりとした三本指の腕はそのまま《オルティネイト・ワン》を掴むと、一気に川の方まで加速し、その水流へと叩き込む。
ばしゃんとした勢いよく放たれる水の音と、ごおんという川の地の底が抉れる音が一斉に響き渡る。
川の水に濡らされ、月光の光で反射する《グレティネイト・ワン》の結晶の仮面は、その上空にいる未知の姿の《シャンタク》に驚愕した。
面長で馬面だった《シャンタク》の仮面は無くなり、代わりにあるのはリュウグウノツカイにも似た額が角張った顔。しかし目は無く、涎を垂らし続ける肥大な唇をつけた顔だけがそこにある。
馬のような性質は無くなったのか、脚部にも蹄鉄はなくなった。代わりにあるのは両生類の蜥蜴に似た三本指の脚部、そして水を弾き返すほどに硬くなった硬い皮膚。
それはまさに《ベムティ・ラーリア》の性質を持った《シャンタク》。すなわち
月の光はその戦士すら綺麗に照らしていた。
『驚いている場合ではないか……!』
《グレティネイト・ワン》は驚愕しながらも、すぐに戦う意思を示すようにして立ち上がり、左拳の炎を滲ませる。
『ーーーーーーー!』
川の趣ある静けさに似合わない
そして……その口内に青白い光を集中させた。
『…………』
《グレティネイト・ワン》は───駆け出した。
ばしゃん、ばしゃん、ばしゃん、と川の勢いに逆らい、その左腕を引きながら。
今目の前の
その炎を燃焼させる。
そして月光は照らし出した。
炎を纏った炎の左腕が
クロスカウンターを放つように
青白色の光は月光の光を、そしてその炎の左腕は肩を含め───一瞬で消し去った。
『それだけか……?』
だが、その青白色の光が左腕を消しながらも───火は付いた。
炎は一瞬で左肩を形成し、漆黒へと変色し、その腕さえも蘇られせる───《グレティネイト・ワン》たらしめる五本の触手が蠢く腕へと。
その光を開放した左肩の口へと飲み込みながら、《グレティネイト・ワン》は───喰らい付いた。
───ストレートをぶつけるように、その不浄に続く
しかしいまだに光は放たれているらしい、
《グレティネイト・ワン》の中で声が聞こえ続ける。
それは悲鳴。今まで吸収した
───ゴォオオオオッ!!!!
その声が。
『《ベムティ・ラーリア》、やれ』
───ア゛ア゛。
その内部の声が頷いた瞬間。
そこに悲鳴はない。
一瞬のうちに
月光が照らし出すのは川の地面に打ちつけた顔の無い胴体、そして混合物《シャンタク
だった金色の粒子。
青白い光線は止み、触手だった腕は元の剛腕の左腕に戻り、そして火を付けた。
『永遠に休んでいろ』
───ドラムスティックでタムを力強く叩くように、残された胴体を炎の拳で破壊した。
♢
戦いは終わった。
《グレティネイト・ワン》はその姿を人間の姿、つまりカズキへと変貌して辺りを見回した。
この地に残されたものは………何もない。
そう、何も無いのだ。
『チッ』
普段のカズキには似つかわしくなく、カズキは舌打ちした。
そう。
誰もいなくなっているのだ。
コクアたる
少年はもちろん、母親も。
そして首のない死体も。
全て。
『コクア……一体なにをしようとしている?』
月光の光はただ疑問に満ち、川に脚をつけたまま佇むカズキを晒すだけだった。
《完》
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