第二話:Basket Case

《ギャリク・シャンゴ》

 ……


 カーテンを買うほどの金銭すらないのか、ベランダから差し込む太陽の光を浴びるほど受けていた男はうつ伏せになり、敷布団を爪が食い込むほどに掴みながら、苦しみ、そして強く破壊の衝動をぶつけていた。


 六畳ほどある畳ばりの部屋。

 部屋の中央に白く、そして何年も洗っていないのか人の形のように汗の染みと黄ばみがくっきりと付着した敷布団。

 そしてその周りには都市を築くように、縦積みされた本がある意味でビルを建築するように並べられていた。

 その本というのは小説であり、近代文学から現代の文学まで足の踏み場が確保できないほどに種類がある。

 

 そこまでの本を買う金銭がありながら、男はその他のことには無頓着であった。


 それほどまでに男は本、すなわち物語に固執していた。


 非日常を思い起こさせる物語の数々に。

 

 だから、だろうか……男が今まさに非日常を体感しているのは。


 しかし怪物グレティオルドという非日常が今の世界を跋扈ばっこしているにも関わらず……どうして男は今のこの状況にいるのだろうか?


 それは怪物グレティオルドのことを小説のように絵空ごとだと思っていたのだ。人は実際に体験しないことには実感は難しい。どれを例に挙げても、それは言えることではないだろうか?


 では男の非日常とは何か?


 ……それは、声。


 男はある日、ある場所で、からを受け継いだ。


 けたましく笑っていた少女がどうして、そのようなものを男に渡したのか、それは一切分からない。


 しかし闇を受け取ってから、男の日常は変わってしまった。


 闇が宿された瞬間、男の耳では無く、脳内で頭痛のように響く声が繰り返し流れてきた。


 ───怪物グレティオルド、殲滅。


 全く持って分からない文字列であった。

 特に男が持ちうる知識を持っても、繰り返す流れる二つの単語が分からずに、たまらず気持ちが悪く頭の中がもやもやするような感覚に陥る。だがそれ以上に、まるで命令するような言葉に耳を塞ぎたくなる。


 だから耳を塞いだ。


 何も考えることをしないように、思考をシャットアウトした。


 しかし繰り返し聞こえる。

 しかし繰り返し聞こえる。

 しかし繰り返し聞こえる。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も。


 だからふと思った。


 


 まずは、この声を壊したい。聞こえなくなるまで殴りつけて、スピーカーから電子部品がはみ出たラジカセのようになるまで壊したい。

 その次は……この耳を壊したい。

 何も聞こえなくなるまで。この声のみならず、この声を助長するようにくっきりと聞こえる外観の声も破壊したい。

 その次は……この脳を破壊したい。

 脳がなくなれば、何も感じなくなる。この垂れ流される何者でもない声に邪魔されなくなる。


 そうだ。そうだ。


 


 男は、ふと思った。


「異常、発見。危険、危険。即刻、排除」

 

 その言葉は間違いなく男が発した言葉。

 自分の喉から発した声が響き渡る、それは自分の脳内にも響くほどに。


「異常。異常。異常。異常。異常。異常」


 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。

 

 男はそう言いながら───自分の頭を、肉が陥没して、ぶよぶよになり、頭蓋骨が割れるまで打ち付けた。


 ……男がふと読んでいた小説の紙に徐々に血が染み込み出していた。


 その本の名は


 男の心境を表すように、最初のページがめくれていた。


 ♢


「ご苦労だったな」


 《ゴジュラ・モラソム》の戦闘から、さほど日も掛からなかった。


 そこは組織ウィアード・テイルズが所有する施設のとある一室。

 

 重要書類が保管される錠前付でガラス扉の棚が壁沿いに並び、上から目線の似合う木製の机と、さも偉ぶっていそうな椅子がある部屋。


 その椅子に座る、やや痩せた白髪混じりで、尚且つ還暦を間近に控えた黒縁のメガネの男、彼こそが組織ウィアード・テイルズ司令、会陰寺貞治えいんじじょうじ


 会陰寺えいんじは厳しい面持ちで、目の前で上官の命令なぞくそくらえと言わんばかりの男たる黒スーツの大字おおあざに労いの言葉を送った。


「どうもどうも。ま、俺の手にかかればこれぐらいの仕事は朝飯前って感じで───」

「死者5名。怪物グレティオルド殲滅に時間をかけた。挙げ句の果てにはグレティネイト・ワンの手を借りた」


 それは、嫌味だった。

 大字おおあざは目の前の男が司令だと言うのにも関わらず、ヤジを飛ばす観客にドラムスティックを投げつけるように、深いため息を吐いた。


「別にカズキの手を借りても、勝ちは勝ちじゃないですかね。あいつは悪い奴じゃない。いい奴だ。俺たちの仲間が死んだ時も自分の事のように怒り、そして戦った。一体何が不満なんです?」

「奴は怪物グレティオルドだ」

「いいや、カズキは仲間グレティネイト・ワンだ」


 会陰寺えいんじもまた、意固地のような大字おおあざの発言に酷くため息を吐いた。


「いいか、いずれは《グレティネイト・ワン》も殲滅対象に入る。お前に奴を監視させているのも、奴がいつ裏切るか分からんから、そうさせていることを忘れたか?」

「あぁ?俺がいつ、グリニッジ標準時で何時何分何秒にその指令が来て承服しましたかねぇ!?俺はな、そういうスパイ染みた作戦が恋愛がらみで解散するバンドぐらい大嫌いなことをお忘れで!?」


 途端、大字おおあざは声を荒げて激昂した。

 それは自分の過去に由来する激昂。

 司令官と隊員という立場さえ忘れるほどに。


「お前の感情は今、関係ない。お前の経歴を見込んで、この部隊に入れたことを忘れるなよ?」

「お言葉ですがね。逆に俺が抜ける可能性があることだって忘れないで貰いたいね」

でそれが出来るとでも?お前が普通に暮らせているのも、この部隊のおかげということを忘れるなよ?」

「あー、はいはい、パンクロックからグランジに路線変更を進めるプロデューサーぐらい口うるさいぜ、クソ野郎さんよ」

「お前もな」


 大字おおあざの罵倒を気に留めず、会陰寺えいんじは机の上に用意した一枚の辞令の紙を渡した。


「だがお前の実力は評価している。怪物グレティオルドを前に恐怖することなく戦う意思、そして戦闘力。強化外骨格レプリオルターの研究開発もお前のデータが蓄積され、次の段階に進めることが出来る。これはその報酬だ。喜べ、来月から給与をはずんでやる」

「チッ、死体を積み上げて出来た昇級なんて嬉しくもなんともねえよ」


 大字おおあざはその書類を奪い取り───細切れに破り捨てた。


「それはただのコピーだ。元データの改竄も不可能だからな」

「へいへい」

「期待してるぞ。《グレティネイト・ワン》の監視も含めて、な」


 会陰寺えいんじの言葉に大字おおあざは……中指を見せつけるように立てた。


「話は嫌味だけなら行きますよ、ポンコツプロデューサー殿。昇級するってなら、戻らないと仕事が溜まっていきますからね」


 大字おおあざが振り返り、部屋から出ようとした時だった。


「待て、大字。先ほどから気になっていたが、カズキとは誰だ?」

「誰?あんた方がすっかり毛嫌いしてるやつのことだよ」

「《グレティネイト・ワン》のことか。やつのことをペットか何かにしてるのか?まぁ、いい。その方が管理しやすいだろうな。気に入らないが許可しよう。頼んだぞ」


 大字おおあざは承服の言葉の代わりに、背を向けながら中指を立てた。


 ♢


「大字部隊長、か。似合わないな」


 一般道路を走行中のセミトレーラー内部。

 カズキはを触りながら、隣に座る大字おおあざに言った。


「俺もそう思うよ、カズキ。正直なところ、上の立場っていうのは好きじゃない。責任も重くのしかかるし、部下がやらかしたら全部が俺の責任だ。ドラムのタイミングがずれて、どれほどよかった演奏も全て無駄になるみたいな感じ」

「確かにな。つまりお前は全員を引っ張るボーカルのような立ち位置か?」

「いいや、曲の演奏を引っ張るリードギターが俺の立ち位置。俺が出だしをしっかりしないと、何も上手くいかないからな。だろ、兄弟姉妹たち」


 壁沿いに並ぶ椅子に座る他五人の隊員たち。

 すでに頭部以外を《レプリオルター》の鎧を身に纏っていた。

 誰も彼もが、異常な目つきをしていた。

 ……目線はカズキに送られている。


「しけた面だな。初めてライブハウスで演奏する若手みたいな感じだ」

「どういう意味だ」

「初陣ってことだよ」

「……そうなのか?」


 カズキもまた、隊員たちにその目線を向けた。

 見合ったその目は、実に様々な感情があった。

 カズキを睨むもの。カズキから視線を逸らすもの。カズキに羨望の眼差しを向けるもの。それぞれに。


「おいおい、そんなに見てやるなよな、カズキ。お前はこの部隊においては一人だけ異常にうまいギタリストみたなものなんだよ」

「そうか……例えはよく分からんが。今回の《グレティオルド》にここまで人数が必要か?俺だけいればいい」

「そうもいかねえよ。はぶっちゃけ、人間が怪物グレティオルドを倒すべきだと考えている。カズキの存在自体が気に入ってないし、処理方法にも納得がいってないことは知ってるだろ?」

「無論承知している。だが……方法はあれしかない」

「それは俺が十分分かってるよ。怪物グレティオルド強化外骨格レプリオルターじゃどう頑張っても倒せねえからな。だからカズキのやりたいようにやってくれよ。なに、報告書は俺がやっとく」


 カズキと大字おおあざにしか分からないやり取り。

 それに異を唱えるように、一人の男性隊員……山桐やまぎりが手を小さく上げた。


山桐やまぎり隊員、どうした?発言は許可制じゃないから俺が部隊長をしている間は勝手に質問してくれたまえよ?」

「お言葉に甘えますが……お二人の言葉通りだと、我々は作戦行動に関与しない、ということになりますが……」

「察しがいいな。その通りだ」


 部隊長らしからぬ発言に隊員たち五人が一斉に驚愕の表情を浮かべた。


「俺の着ているこのもそうだが、《レプリオルター》の装備ではまだ《グレティオルド》に勝てる事はできないし、《シャンタク》みたいな尖兵も殺す事はできない。前回も俺とカズキを残して、みんな死んじまったからな」


 その言葉にカズキの表情が、一瞬だけ曇る。


「俺はな、正直無駄に人が死ぬのは嫌なんだ。お前らが人類の為になら死ねるっていう使命感を持ってたら俺がぶん殴って止める。あと、もし自分の死が次の誰かに活かされるって考えを持ってるやつがいたら手をあげろ。男女おとこおんな関係なく、ぶん殴る。誰かに活かすな、自分に活かせ。《グレティオルド》と戦うなら、まずはてめえらの心に火を付けろ」


 その観客に対して、マイクパフォーマンスで激情をぶつけるボーカルのような言葉に、全員が、そして山桐やまぎりも声を黙らせた。


 大字おおあざは……したり顔でカズキを見つめた。


「……こっちを見るな」


 カズキは思わずため息を吐いてしまう。


 そのやり取りに五人の隊員たちは……苦笑いするしかなかった。


 ♢


 都内。


 とある公園がある。


 端に遊具が備えられ、そして所々で木が裂けた危ないベンチがある。


 そこに一人の男が座っていた。


 今どきのカジュアルな服を着込んだ男は、黙って俯いてた。


 ただ……今この公園にいる人々と違うのは、頭と耳の中から黒い血を流していること。


 そしてベンチに投げ捨てるように、開いたドグラ・マグラがあった。


 ドグラ・マグラ。


 それは


 男もまた狂気していた。


 何度も頭を壁に打ち付けた。

 何度も耳腔を貫いた。


 だが、声が止むことはなかった。


 ───破壊。破壊。破壊。


 そしてその言葉の種類も変異していた。

 まるで男の気持ちを代弁するように。


 ───破壊。破壊。破壊。


 もはや外界の声は聞こえない。

 人間としての思考も機能していない。

 喋る口も、空気を飲み込む鼻も、全てを感じる肌も機能はしている。

 だがそれを伝える脳は───停止している。


 だから、ある意味では気付いていなかったのかもしれない。


 ───白衣を身につけた男と、機械の装甲を纏った者が目の前にいることに。


 すでに公園内は強化外骨格レプリオルターの面々によって封鎖され、人々は逃げていた。

 野次馬のような人々は公園に群がろうとするが、それもまた強化外骨格レプリオルター隊員と組織ウィアード・テイルズの別動隊の面々が規制し、追い返していく。


『カズキ、こいつは怪物グレティオルドとしての力を使ってはいない。このまま吸収するか?』

「あぁ。早い方がいい」


 男の目の前にいる《白衣の男》。……カズキは一瞬でその身を炎に包み、変身した。剛腕の左腕を持つ、骸骨の仮面を纏ったに。


「───!!!!」


 その時。


 男は目を見開いた。


 それは、怪物。


 


 ───異常、発見、破壊。異常、発見、破壊。異常、発見、破壊。

 ───破壊。破壊。破壊。破壊。破壊。破壊。破壊。破壊。破壊。

 ───破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!


 内に宿る声は、コールを叫び続ける観客のように男を唆した。


 男は……そのコールに導かれるまま、声に応じて、部隊に立ち上がるバンドマンのように立ち上がった。



 男の脳は損傷し、その声をしっかりと発音する事はできない。

 だがカズキと大字おおあざは理解し、一歩退いた。


!』


 人間ではない獣のような叫びを放ち、男は黒い血を一気に出血させながら全身を包みこみ、変身した。


 ────三つの顔を持つ、怪物の姿に。


 黒い血が地面に流れ込み、その姿は出現した。


 頭部に手で耳を隠すような装飾をあしらった、悲鳴を上げた猿の顔。

 胸部に口を包帯で巻きつけたような、目を大きく見開いた猿の顔。

 腹部には眼球がひび割れたような装飾をあしらった。口なしの猿の顔。


 人間ほどの大きさであり、二足歩行であるが、人間にはあらず。


 正真正銘の怪物グレティオルドは金槌のような手を振り回し、大字おおあざに近づいた。


『あ!?』

『イジョウ!』


 奇声を上げながら《グレティオルド》たる《ギャリク・シャンゴ》は金槌を振り上げた。


『ハッケン!』


 しかしその前に《グレティネイト・ワン》は大字おおあざの前に瞬時に飛び出る。

 そして頭部の顔目掛けて、その左拳で───殴りつけた。


『ハカイ!』

『させるか』


 破壊の言葉を叫びながらも、よろけて倒れそうになる《ギャリク・シャンゴ》を右手で掴み、で頭部を殴りつける。


『イジョウ!』

『それはお前だ』


 全力の力を持って、《グレティネイト・ワン》は剛腕の左腕でストレート、ストレート、そしてアッパーカットを怪物の顎に直撃させる。


『ハッケン!』

『どこを見ている?』


 されど《ギャリク・シャンゴ》は倒れることはない。

 炎を受けた箇所はジリジリと焦がされるばかりで、火が燃えうつることはない。


 ただ攻撃されるままに《ギャリク・シャンゴ》は後退していくだけだった。


『硬いな』


 その左ストレートを、《ギャリク・シャンゴ》の巻かれた胸部を目掛けて撃ちつける。


『ハカイ!』


 されどもその包帯が燃えて、口が解放されるばかりで、には実のところ、効いてはいなかった。


『ちっくしょう!こいつ、アンコールを求める観客ぐらい意固地だな!カズキ、さっさと吸収しちまえ!!』

『あぁ』


 渋々と言った感情で《グレティネイト・ワン》は左腕をすする。

 その触手にまみれた左肩のくちを、に向けた。


『───!イジョウ!ハッケン!ハカイ!』


 だが解放されたのは《グレティネイト・ワン》のだけではない。


 


『イジョウ!ハッケン!ハカイ!』

『イジョウ!ハッケン!ハカイ!』


 頭部の口と胸部の口がそれぞれ叫び、コールの声が重なり合う観客の声のように公園の内外に響き渡る。


 そして胸部のから……コールに応じないバンドマンにツバを吐きかけるように、黒く淀んだ吐瀉物がぶち撒かれた。


『おえッ!?』

大字おおあざ!!』


 そのドス黒く粘着質で人間が許容量を超えて吐き出す胃液のような吐瀉物は全てを破壊する。


 砂利の地面を焦がし、黒く染め上げていき、一番近くにある遊具を溶かし、子を傷つける拷問器具のように変えていく。そして木々もまた溶かされ、その命を散らす。


 まるで子どもの自由を奪う、ろくでなしの大人共のように。


 大字おおあざにもはぶち撒かれようとしたが、寸でのタイミングで《グレティネイト・ワン》が背を向けるように庇う。


『すまねえ!』

『大丈夫……だ……』


 しかしその声とは裏腹に……吐瀉物をかけられた肌は焦がされ《グレティネイト・ワン》は負傷する。


 肌は再生していくも、次々にぶち撒かれる吐瀉物の影響でその痛みは蓄積していく。

 まるで観客の罵倒する声に傷付く、ボーカルのように。


『本当に大丈夫なのかよ、カズキ!?』

『心配……するな……。俺は…………怪物だ』

『んなこと関係あるか!?こっちは気にすんな、カズキ!伊達に激戦を潜り抜けてきたわけじゃねえ!』

『……大丈夫なのか?』

『心配すんな!』


 大字おおあざのその言葉に、《オルティネイト・ワン》は罵倒まみれの舞台へ振り返った。


 いまだに吐瀉物をぶちまける《ギャリク・シャンゴ》に構えるようにして、触手を広げる。


 吐瀉物の雨を受け止めるように触手を展開し、《オルティネイト・ワン》は一歩一歩、前に進んでいく。


 無論痛みはある。


 当然だ。皮膚を剥き出してにして防御しているだけなのだから。


 だが《グレティネイト・ワン》は進むことを止めない。


『イジョウ!ハッケン!ハカイ!』


『異常なのはお前のほうだ。だが相対したのが俺でよかったな。喰らってやる』


 そう言って《グレティネイト・ワン》は触手を閉じ、収束させ───解き放った。


 ───わずか1秒。その間に怪物の胸部は触手に巻かれた。


『イジョウ!ハッケン!ハカイ!』

『ーーーー!ーーーー!ーーー!』


 胸部の口はもごもとさせながらも吐瀉物を吐き続ける。

 触手もまた焼き焦がれていく。

 吐瀉物が撒き散らされる事は無くなったが、代わりに《グレティネイト・ワン》が負傷し続けることになる。


『……ッ!大人しくしろ……!』

 

 だが《グレティネイト・ワン》の声を聴く耳はない。

 一方的に言葉を吐き、吐瀉物を撒き散らす《ギャリク・シャンゴ》を止めるには───。


『一気に決める───』


 巻き付いた触手で、一気に引き寄せた。


 罵倒する観客を舞台に無理やり上げるように、《ギャリク・シャンゴ》を、その左腕のに飲み込んだ。


『大人しく入れ!!』


 大蛸が獲物を噛み砕くように、《ギャリク・シャンゴ》を内部で閉じ込めようとしているが、その抵抗は激しい。


 なにせ止まることのない黒い吐瀉物が《グレティネイト・ワン》の内部にさえ浸透しようとしていた。


『まさか俺の中にまで攻撃してくるとは……!』


 その時、《グレティネイト・ワン》の脳内で声が響いた。


 それは……今まで吸収した《グレティオルド》たちの悲鳴。

 彼らにさえ痛みを負わせ、抵抗しているのだ。


 ───出ていけよ!

 ───ゴオォォォォォォ!


 そしてその内側で怪物グレティオルドたちは抵抗した。


 その結果。


『ッ!!!???』


 左腕のが大きく開いた。

 まるで産まれるように、脚部から腰の顔、胸の顔、頭部の顔が並びながら、その《グレティネイト・ワン》のから出てくる。


 《グレティネイト・ワン》がその内部の傷からふらふらとよろけ、相反して、怪物グレティオルドは地面に倒れながらもすぐに立ち上がった。


 ───体中が黒い血にまみれた《ギャリク・シャンゴ》が再び目の前に出現した。


 怪物は……再び『イジョウ!ハッケン!ハカイ!』と叫びながら、《グレティネイト・ワン》を睨むように立っていた。


『厄介だな……』


 カズキは……その痛みに耐えきれず、黒い血にまみれた地面に膝をつく。


 痛みを感じない怪物さえ屈服させる怪物。

 それに勝てるものはいない。

 そう感じさせるほどに。


 だが……罵倒し吊し上げられた観客が、舞台から振り下ろされるように。


 ───怪物の胸部を一筋の粒子光線が貫いた。


『イ───』


『隙だらけだな。ライブ終わりもアンコールを待つのが観客の務めだぜ?』


 《ギャリク・シャンゴ》の胸部のをくり抜くように、大きな風穴が空いた。


『カズキ、立てるか!?』

『あぁ……』


 されど《ギャリク・シャンゴ》はその空いた穴を埋めるように、削れた部分を黒く粘着質のある体液で満たそうとする。


 だが大字おおあざの言うとおり、アンコールは待つものなのだ。終わりではない。


『しばらく俺の中で休日でも過ごしていろ……!』


 《グレティネイト・ワン》はその左腕の触手を大きく開き、そのさえ大きく開きながら───エレキギターを逆手で持って振り下ろすように跳びかかり。


 ───再びの全身を一瞬で飲み込んだ。


 先ほどは吐瀉物を撒き散らすがあった。

 しかし今は大字おおあざの一手により、無くなった。


 すなわち、抵抗する術を失っていた。


 すっかり破壊された公園の中央で……《グレティネイト・ワン》は腰から滑り落ちるように、地面に仰向け倒れ込んだ。


 そして力を使い果たしたように、その姿を白衣の男たるカズキに……。


「まだの方が楽だったな」


 カズキは呟き、ふと自分の内から消こえる声に傾ける。


 ───イジョウ!ハッケン!ハカイ!

 ───………ゴォオオオォォォォォ!

 ───《ベムティ・ラーリア》、キミもこいつで遊ぶかい?

 ───…………キョウミナイ。

 

 どうやら仲良くやっているようだ。

 カズキはそう思いながら、なんとか立ちあがろうとするものの、どうにも力が入らない。

 やはり自分のを負傷したことが大きいのか、と推測するが


「よ、お疲れさん。カズキ」


 ふと空の青すぎる光景にヘルメットを外した大字おおあざの顔が割って入る。

 その顔はライブではギターを鳴らし過ぎて筋肉痛になったバンドマンを見るメンバーのような顔だった。


「笑ってくれるな。だが大字おおあざのおかげで助かった。ナイスフォローというやつか?」

「ナイスプレーと言ってほしいね」


 大字おおあざがその右手を差し出すと、カズキは左腕を上げ、その手を掴み、大字おおあざの力に引っ張られるようになんとか起き上がる。


「しかし今回も強敵だったな」

「あぁ、怪物グレティオルドなりたてにしては恐ろしいやつだった」

「んあ?」


 大字おおあざはカズキの左腕を自身の首に引っ掛けるようにして回しながら、驚く表情を見せた。


「あいつも初めてライブハウスで演奏する若手だったのかよ?」

「あぁ。今、それを俺ので勝手に垂れ流されている」

「そういうことか……。可哀想にな。俺たちが怪物グレティオルドから人間に戻す手立てがあれば助けてやれたんだがな……。ま、でもこのまま悪さなんかされるより、カズキの中にいとけば大丈夫だろ。ちなみに怪物グレティオルドになっちまったやつはなんて?」

。俺は悪くない……だそうだ」


 大字おおあざかの如く、深く、深くため息を吐いた。


「《ベムティ・ラーリア》の時もじゃなかったか?」

「《ゴジュラ・モラソム》の時もらしい。報告書にまとめておいただろう」

「報告書を見るのはクソッタレプロデューサーの仕事だ」

「お前の仕事でもあるだろう。大字おおあざ部隊長」

「部隊長はやめてくれよ。お前のことを《グレティネイト・ワン》って呼んでやろうか?」

「お前のそのケツに火をつける必要があるが、問題はないか?」

「冗談だよ」


 二人はそうして公園から出ようとした時。


 カズキはふとベンチを見つめる。


 そこには……本が一冊、転がっていた。


大字おおあざ

「ん?どうした?」


 カズキはその本が落ちていることに気付いた。


 ……怪物グレティオルドとなった人間がだった頃、最期に読んでいた本、ドグラ・マグラを。


「……《ギャリク・シャンゴ》が読んでいた本か」

「《ギャリク・シャンゴ》って誰だよ」

「さっきまで戦っていた怪物グレティオルドだ」

「あー。そういうことか」


 大字おおあざに支えられながら、カズキはそのベンチまで歩いていく。

 そして辿り着き、カズキは大字おおあざと一緒にしゃがみ込み、右手でその本を手に取った。


「ドグラ・マグラ……?」

「うへ。よくこんな本読めるな」

「知ってるのか、この本を」

大分だいぶ昔に映画をやってたからな。そんでなんとなく本屋で見つけて、眺めてみたが……俺が読めるもんじゃなかったな」

「……報告書をろくに読まないからそうなる」

「それ関係ねえだろ」


 大字おおあざを罵倒しつつ、右手だけでなんとかその小説のページを開いていく。


「《ギャリク・シャンゴ》はどうしてこの本を読んでいたんだろうな」

「ま、映画だけの感想だけだしなんとも言えねえが……自分が自分でいられなくなったからじゃないか?」

「自分が自分でいられなくなる?」

「あぁ。ドグラ・マグラっていうのは最初は記憶をなくした主人公っていうのが自分の正体を追い求めていくんだ。だけど結局、その正体は視聴者含めて分からずじまいってこと。ま、あれは理解するもんじゃないから、俺は考えることをやめたけどな。あれを見るぐらいならTENET見て考察してた方がマシだ」

「……変な話だな」

「あぁ。変な話だ。でも怪物グレティオルドになる人間の気持ちっていうのはそういうもんじゃないのか?俺は知らねえけど」


 大字おおあざの言葉に妙に納得しつつも、カズキには実のところ、分かってはいなかった。

 怪物グレティオルドになる気持ちを。

 なにせカズキは生まれた時から戦士オルティネイトであり怪物グレティオルドなのだから。故に《グレティネイト・ワン》と呼ばれる。


 だが……怪物の心は分かっているつもりではある。

 自分が怪物になれるのだから。


「……これを読めば、俺も理解できるだろうか」

「なにを?」

「人間の気持ち……というやつだ」

「……それ読むぐらいなら、もっと良いもの教えてやるよ。レオンとかどうだ?」


 大字おおあざのげんなりした表情に気に留めず、カズキはその小説の一片を読み始めた。


 胎児よ。なぜ踊る。母親の心がわかって恐ろしいのか、と。



 休日。


 誰にでも休みは存在する。

 カズキにだって、休みは存在する。

 だからカズキは……いつもの喫茶店を訪れていた。

 相も変わらず、白衣を身につけ、そして血の渇いたネクタイを締め、くつろぐように本を読んでいた。


「珍しい。カズキさんも本を読まれるのですね」


 白いマグカップに注がれた無糖の珈琲をトレイに乗せた清楚な女性、ハルカが二人掛けのテーブルで静かに読書に勤しむカズキにいつも通り声を掛けた。


 カズキは嫌な表情を見せずに本を、表紙のカバーで栞代わりに挟み込み、ハルカを見つめた。


「愛衣蔵ハルカは本を読むか?」

「人並みには読みますよ?最も愛読家の方々には構いませんが。今はどんな本を……」


 ハルカはその本の表紙を確認するように覗き込んだ。

 その表紙はまるでふしだらな女が股を開いたような絵だった。

 しかしハルカが気になったのはそこでは無い。

 そのタイトルだった。


「ドグラ・マグラ。あなたはそのような難解な本も読まれるのですね」

「この本を読んだことはあるか?」

「一度だけ拝読したことがあります。夢野久作という方の小説は、人間の影や闇を自然に表現することに長けていると思いますが、その本は最も人間の深い闇に触れているような気がします」

「人間の深い闇、か。……まるで俺のようだな。怪物には相応しいものだ」


 その言葉にふとカズキは物思いに耽るように、黙り込んだ。


「カズキさんは、まだご自分のことを人間だとは思わないんですか?」


 ハルカはカズキの悩みを見透かすように言った。。


「あぁ、俺はお前の知る通り怪物だ」


 ハルカの問いかけに、読んでいた本のページを開いたまま机に伏せると、カズキはハルカを見つめた。


「怪物、というのは残らずいなくなるべきだ、俺も含めてな。だがそれは……全ての怪物を俺が喰らった後だ。全部俺が喰らった後で、俺は死ぬ。必ずな」

「……私はカズキさんのことを怪物だとは思いません」

「……お前を助けたからか?」

「えぇ」


 ハルカはカズキにその慈しみある微笑みを向けた。


「でも、が無くても私はカズキさんのことを人間だと思っています」

「何故?」

「こうして私とお話してますから」

「怪物だって人と話す。げんにこうしている」

「本当の怪物はこうして私とお話しなんてしてくれません。あの件もそうでしたから」

「屁理屈だな」

「あら、ご存知ありませんでした?私はこう見えて屁理屈なんですよ?」

「あぁ、今知った」


 カズキはついついため息を吐いてしまう。

 だが……この和んだ雰囲気は嫌いではなかった。

 と錯覚させてくれるから。


 しかし、カズキは思う。


「……俺は人間にはなれない」

「どうして?」

「人間として過ごすには罪を重ね過ぎている。そして今も」


 そう言いながら自らの左腕をさする。

 怪物グレティオルドたちを喰らってきた、その腕を。

 元は人間だったものたちの牢獄を。


 ハルカはその言葉に対して……深く追求することはしなかった。

 だから一言だけ、言った。


「いつか……許される日が来るといいですね」

「……どうだろうな」


 カズキは口を閉じた。

 そしてハルカには言わず、思考した。

 許される日は来ないと。


 この薄暗い喫茶店の中でどうにも重苦しい空気が流れ出そうとした時、ハルカは思いついたように、言った。


「ケーキでもお持ちしましょうか?」

「……ケーキ?」


 カズキは首を傾げるしかなかった。


「頼んでないが」

「サービスですよ。このお店の店長さんは常連さんに優しいんですよ?」

「いや、しかし」

「大丈夫ですよ、お代は結構ですから」


 メガネの奥でお茶目にウィンクして見せてから、ハルカは厨房に言ってしまう。


 どうして俺の周りはこう……、とカズキは内心で呆れていた。

 だがそれでも、くだらなくて愛おしい日が続けばいいのに、と内心では思ってしまっていた。


 ♢


 喫茶店の入り口にある両開きの木造の扉。

 そこに密かに私服姿で帽子を深く被った大字おおあざがいた。扉にある小さな四角の四つ窓からカズキとハルカの姿を見つめ、そしてその場を後にした。


 本来であれば、監視の目的でカズキの席に着き、一緒に過ごさねばならない。

 だが大字おおあざはそれをしなかった。


 ……カズキにもライブ会場でボーカルのイケメンを応援する女性ファンが必要だ。

 そう思いながら、去っていった。


 ……ひび割れたスマートフォンで「問題無し」と会陰寺えいんじにメッセージを送りながら。


《完》

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