第3話 告白

 頭が、ぼうっとする。暑い。いまにも体が、溶け出しそうだ。チクチクチクチクと、体中が、注射針で刺されているように、痛む。

 頭上の梢から差し込む、太陽の光に、沙里は眼を瞬く。

 どれくらい、意識を失っていたのだろう?

 一体、何があったのだろう?

 なぜ、自分は、こんなところに、いるのか。沙里の記憶は、粉々に分解されたパズルの断片のように、頭の中に散らばり、容易に思い出せない。その中の一つのピースを、光り輝く、その断片を沙里は記憶のスクリーンの中央に映す。

 小百合先輩――。

 記憶は、小百合先輩とだけ、つながっている。

 切れ切れのピースが、再び、つながりだす。

 そう、小百合先輩と、ごく自然に二人きりになれる場所として、沙里が選んだのが、山だった。ここ最近、登山は女子の間でも流行っていたので、沙里のお願いは、それほど不自然なものではなかったはずだ。

 病室で、まるで、告白でもするかのような緊張感で、沙里はお願いしたのだった。

 二人だけで。

 小百合先輩と、沙里と、二人だけの登山。

 その願いは、叶って。


 あの日。


 「先輩、今日は、しっかり手作り弁当作ってきました。食べてくれますか?」

 「え? もちろんじゃない。手作りって、沙里、料理出来るんだ」

 「え、あ、はい。そんなに上手ではないですけど・・・・・・」

 それは、本当だった。小百合先輩のために、料理雑誌を片手に、見よう見まねで作ってきたのだ。本当のことを言えば、人のために、お弁当を作るなんて始めてだったけど。

 「はあ。それにしても、暑いわねえ。登山なんて、子供のとき以来だから、ほんと、何年振りかなあ」

 少し、斜面の角度がきつくなってきて、二人ともペースが落ちてきていた。沙里は、盗み見るように小百合先輩の横顔を見た。頬から首筋にかけてうっすらと、汗が滲んでいる。太陽の光に反射して、小粒な宝石のようにきらきらと反射している。それを見て、沙里はドキッとしてしまう。淫らな妄想を抱いてしまう。

 自分は、おかしいのだと分かっていても、小百合先輩が、好きで好きでたまらない。

 吸いつきたくなるほどに、瑞々しくて綺麗なうなじ。

 「ねえ、ちょっと、休憩しようか」

 小百合先輩が、首を巡らせて、沙里の方をみた。その先輩の視線と、沙里の視線が絡まった。どくん、と心臓が、一度跳ねた。

 「どうしたの、沙里? 何か、怖い顔してるけど」

 小百合先輩が、わずかに首を傾げる。

 ああ、この仕草。なんて、可愛らしくて、素敵。

 くすくす、と先輩が、笑う。

 小鳥の、囀りのようだ。耳に心地よくて、脳をくすぐられているかのようだ。

 近くにあった、樹木の幹に背を預け、小百合先輩が、右手で頬を煽りはじめた。沙里も、すぐ隣で同じように。胸が、高鳴る。

 「先輩。あたしのこと、どう思ってますか?」

 思い切って、聞いてみた。数秒の沈黙が、辛い。小百合先輩の横顔を、見る。

 「どうって・・・・・・。いい後輩だよ」

 いい後輩。先輩の言葉の語尾が、ちょこんと跳ねるように、響いた。

 それだけの、関係で終わるはずがないと、沙里は確信している。沙里の好きは、いまや、もう愛情にまで昇華しているのだから。

 先輩、愛しています、なんて言葉は、さすがに言えなかった。そんな告白をしたら、一体、どんな顔をされるだろうかと思うと、怖くてたまらなかった。

 だけれど、このままずっと、自分の気持ちを抑えて生きていくことはできない。

 いつか、本で読んだ言葉を、思い出した。自分の気持ちに正直に、生きること。それが、願いを、叶える秘訣。絶対、叶う、と信じて。

 「ね、どうしたの?」

 沙里は、自分でも気づかずに、俯いてぶつぶつと言っていたらしい。小百合先輩が下から、覗きこむようにして、沙里の顔を心配げに見つめていた。

 あの時と――

 そう、沙里が転んで、足を擦りむいてしまったあのときのように、すぐ間近に、小百合先輩の顔があった。

 吐息が、鼻筋を掠めていく。びくん、と沙里は、体を震わせた。

 視線が絡んだ。

 沙里は、少しだけ、顔を突き出した。

 唇と、唇が、触れ合った。

 「え?」

 小百合先輩の、どこか、驚いた顔。

 「好きです、先輩のことが」

 もう、自分の気持ちを抑えることができなかった。自分の頭の中で、何度も繰り返した想像が、いま現実に、こうやって実現しようとしている。

 今度は、しっかりと。

 沙里は、ゆっくりと顔を近づけていく。

 「やめて!」

 小百合先輩が、一歩、後退った。

 どうして、どうして、そんなに汚いものでも見るような目つきで !

 沙里の中で、何かが爆発するように、弾けた。もう、欲望は、抑えられない。

 愛しているのだ。小百合先輩を。

 それなのに!

 「先輩、知ってるんですよ、万引きのこと。でも、黙っててあげます。二人だけの秘密にしておいてあげます」

 沙里は、自分でも何を言っているのかよく分からないまま、喚くように言って、小百合先輩をぐいと、引き寄せた。

 小百合先輩の瞳に、今度は、恐怖の色を、沙里は見たような気がした。

 それでも、構わずに、小百合先輩を抱きしめようとする。

 どん、と衝撃があった。何が起こったのか、分からずに、沙里はバランスを崩して横転した。小百合先輩が、両手で沙里を突き飛ばしたのだ、と理解したときには、どこかをごろごろと転がっていた。

 山の斜面を、転がり落ちているのだ。

 どこか、上の方で、悲鳴を聞いたような気がした。

 どしん、と身体に強烈な衝撃を感じた。激しい痛みが、一瞬にして、全身を貫いた。

 その痛みで、沙里は、気を失ったのだった。


 ああ、そうだったのだ。小百合先輩に、告白をして、強引に迫ってしまったのだ。だから、驚いた先輩が、反射的にあんなことをしてしまったんだろう。運悪く、すぐ近くに斜面があったのだ。

 少しの、後悔があった。もっと、二人の関係を深めてから告白をするべきだった。けれど、沙里の思いは、伝わったはずだ。突然だったから、小百合先輩も、心の準備ができていなかっただけなのだ。きっと、すぐに、小百合先輩が助けに来てくれるだろう。

 万引きのことを、言ってしまったのは、よくなかったかもしれない。まるで、脅すように迫ってしまった自分が、少し恥ずかしかった。だけれど、沙里の小百合先輩への思いは、それほどに強いものなのだ。

 そのことを恥じる必要は、ない。

 それにしても、時間の感覚が、まるで、なかった。目覚めてから、いったい、どれほどの時間がたったのか見当もつかない。頭でも、打ったのだろうか?

 もしかして、どこか、致命傷になるような傷でも負っているのだろうか。

 小百合先輩は、どうしたのだろう?

 いつまでたっても、来ないじゃない!

 沙里の、神経は、時間がたつにつれ、ささくれ立つように苛々してくる。

 我慢の、限界だ。いつまでもこんなところに倒れているわけにはいかない。

 沙里の倒れている場所の近くに、リュックがあり、せっかく作ってきた先輩へのお弁当の中身がそこら中に散らばっていた。プラスチックのお箸や、仕切り、銀紙・・・・・・。おむすびは、見当たらない。すぐそばに、一本の骨があった。沙里は、不思議なものを見るような目つきで、その骨を取り上げた。

 これは・・・・・・フライドチキンの骨だ。お弁当のおかずとして、入れたもののはずだ。でも、どうして肉が全くついていないのだろう?

 沙里が持っている側の、骨の根元に、ひび割れのような溝があった。その溝から、黒い小さな虫がずずずず、と無数に這いずり出てきて、さあっと広がるように拡散した。小さな蟻の群れだった。

 沙里は、骨を近くの樹木に投げつけた。

 小百合先輩は、どこ?

 小百合先輩に、会いたい。

 その、強い強い思いが、沙里を立ち上がらせ、前進させた。

 山の斜面を登り始める。

 さきほどまであった、体のありとあらゆる不快感が消え、いまや、情熱が波打つように、沙里の身体を躍動させる。

 早く、小百合先輩に、会いたい!

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絶対、叶う、愛 黒木 夜羽 @kirimaiyoru

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