第2話 二人だけで
「先輩、具合は、どうですか?」
銀座の高級菓子店というわけには、いかなかったけれど、デパートのそこそこ有名な店のお菓子を右手に掲げて、沙里は、ベッドで寝ている小百合先輩に声を掛けた。
「んっ、うーんんん」
そんな、艶めかしい呻きを上げて、小百合先輩はうっすらと目を開いた。
「これ、ゼリーです。一緒に食べませんか?」
小百合先輩は、まだ、すこし寝ぼけ眼だ。お昼の、気だるい陽射しが病室の窓から差し込み、先輩の艶やかな髪を真珠のように輝かせている。
「んんんん――」
先輩は、上半身を起こし、気持ちよさそうに伸びをする。怪我の方は、順調に回復しているようだった。練習に励むあまり、足首をひねって転倒し、全治二週間ほどの怪我を負ってしまった先輩だったけれど、この調子ではもう大丈夫そうじゃない?
「また、きてくれたんだ、沙里。ゼリーか、気がきくね。わたしの好きなもの、全部、知ってるみたい」
もちろん、当然じゃないですか、先輩。だって、わたしは、先輩のことが大好きなんだから――そう、心で呟きながら、
「え、先輩もゼリーが好きなんですか、良かった。わたしが好きなものを、勝手に選んで買ってきて、もし食べてくれなかったらって思うと、ちょっと心配でした」
先輩は、サイドテーブルに置かれた紙袋を取り上げ、中を覗き込む。
「あ、それにこれ、三ツ屋のゼリーじゃない! あたし、大好きなの」
「えっ、ほんとですか? すごい、偶然」
「あっ、それにメロン味。あたし、メロン味が一番、好きなのよ」
小百合先輩の喜んだ顔が、眩しかった。この顔が見たかったんだよね。着替え室で、こっそり、小百合先輩の日記を盗み見しちゃったけど、許されるよね。
真面目な小百合先輩は、いつも練習のあと、ノートにその日の練習の内容やら、課題点やらを丁寧に書き込んでいた。そのついでに、メモみたいに、日記も書いていた。――はあ、今日は、練習でくたくた、三ツ屋のゼリーが楽しみ。疲れた時が一番、うまい。メロン味!
さすがに、万引きのことは書いていなかったけれど。
「あ、先輩、袋の中にスプーンも入ってますよ」
沙里は、そう言って、プラスティック製のスプーンを取り出し、丁寧に包装を解いて、先輩に渡した。小百合先輩の唇から、いまにも涎が垂れそうだ。
「ね、食べていい?」
「もちろん、いいですよ」
許可を取ってくる小百合先輩が、とても可愛らしくて、沙里は、ぷっと吹き出してしまった。
「何? 何がおかしいのよ?」
「だって、先輩、そんなに慌てなくても、ゼリーは消えてなくならないですよ」
「まあ、そうよねえ」
と、言いながら、小百合先輩は、ゼリーのプラスティック製の蓋を、ぱかんと開けて、中の艶々に輝くメロンゼリーを愛おしそうに眺めている。ぷるぷるの、そのゼリーは、小百合先輩のぷっくりとした唇の中に吸い込まれていき、小百合先輩は、ああ、と吐息を漏らす。
おいしい。
二人だけで、しばらく黙々とゼリーを食べた。ほどよく冷たくて、甘みがあって、張りがあって、口の中でぷるんと跳ねるようだった。
「ねえ、先輩。一つ、お願いがあるんですけど、いいですか?」
すでに、ゼリーを食べ終わっていた小百合先輩に、沙里は、恐る恐るといった風に切り出した。小百合先輩は、人心地ついた安らかな顔で、少しだけ首を傾げる。
ああ、なんて可愛らしくて可憐な仕草なんだろう。
沙里の心臓は、少し、ドキドキしている。
ドックン、ドックン、ドクドクドク。
もし、拒否されたらどうしよう。
沙里の真意を見抜かれて、拒絶されたら、どうしよう。
でも、大丈夫よね。こんなに好きなんだもの。この気持ちが通じないはずがないよね。
「ね、大丈夫? 何か、顔が赤いよ」
そう言われて、沙里は、かっと顔が火照る。反射的に、右手で、ぱたぱたと顔を扇いだ。その仕草がおかしかったらしく、今度は小百合先輩にぷっと吹き出されてしまた。
「ね、お願いって何よ?」
「えっと・・・・・・」
少し口ごもりながら、沙里は、上目遣いに先輩を見る。
うん? 小百合先輩は、また首を少しだけ傾げ、沙里を見返してくる。綺麗な瞳がお人形さんみたいだ。ふわっと、花の妖精のようなかぐわしい香りが漂ってくる。
「えっと・・・・・・」
じっと見つめられて、心臓が破裂しそうだ。
「何?」
「えっと・・・・・・」
小百合先輩が、またぷっと吹き出した。
「ね、さっきから同じこと、三回言ってるよ」
小百合先輩の笑顔のおかげで、沙里の緊張が瞬間、解放された。その勢いで、沙里は、やっと、言葉を紡ぐことができた。
――今度、一緒に、二人だけで
――山登り
――しませんか
片言の、言葉を話すように、沙里はゆっくりと言った。
言ったあと、俯いてしまった。
小百合先輩の反応を見るのが、怖かった。
――いいよ
その声は、とても柔らかくて、優しくと、いま食べたばかりのゼリーのように、ぷるんと跳ねて、沙里の心を有頂天にさせたのだった。
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