第5話 最後の共同作業



 離婚式は智久に離婚用紙を渡された日から二週間程度過ぎた頃に行われた。結婚式の時のようにもっと時間が掛かるものかと思ったら、案外そうでもなかったらしい。

 智久曰く「今回は二人だけだし、それに離婚届を書いて指輪を壊す程度だから、割と早く離婚式場が借りられたんだよ。式場と言ってもお寺だけどね」と言っていたので色々とオプションを省いた末の事だろう。式場が早く借りられたのは運のおかげもある智久は言っていたが。


「離婚式を開くのに運が良いとかどうとか関係あるのかな……」


 自分で言っていて首を傾げつつ、石段を一つずつ上って離婚式場に使われる寺を目指す。

 ちなみに今日の事は竜二にも伝えておる。離婚式が終わったら迎えに来ると言っていたので、あとでまた連絡する必要がある。


(どうせならそのまま結婚指輪を買いに行こうって言ったけれど、あれって本気なのかな……)


 いや、竜二ならやりかねないか。何故ならプロポーズを受けると言った次の日には婚約指輪を送ってきた人なのだから。結婚指輪を買う最良も迷いなく高そうな店を選びそうで、今から気が引けそうである。気持ちは勿論嬉しいが。

 そうして石段を最後まで上り終えてみると、比較的新しく感じる漆塗りの寺の屋根が見えてきた。山門に掲げられていた看板には寺の名前だけで宗派のようなものは何も書かれていなかったが、これが普通なのだろうか。普段寺院にも行かなければそこまで仏教に敬虔でもない自分にはよくわからないが。

 慣れない場所に恐々としつつも山門の前で一礼して中に入ってみると、綺麗に整備された境内が視界に映った。写真やテレビでよく見る石通路と砂利で敷き詰められた参道だ。

 そのまま本堂へと続く石通路を歩いていると、階段の下で黒のパンクスーツを着た若い女性が一人佇んでいた。


「千冬様、お待ちしておりました」


 千冬が本堂の前へと辿り着いたと同時に会釈するパンクスーツの女性。誰だろうと見知らぬ人に名前を呼ばれて戸惑う千冬に対し、パンクスーツの女性は微笑みと共に顔を上げて、


「わたくし、離婚式プランナーの冴島さえじまと申します。本日は智久様のご意向の元、わたくしが離婚式式の進行役を務めさせていただきます」

「あ、はい。よろしくお願いいたします……」


 ペコペコと千冬も頭を下げつつ、冴島と名乗った女性から差し出された名刺を見てみると、確かに『離婚式プランナー』と記載されてあった。


「離婚式プランナー……」

「馴染みのない言葉ですよね」


 胡乱に聞こえてしまったのだろうか、名刺に書かれてあった肩書きをそのまま口にしてしまった千冬に、冴島は気分を害した様子もなく、もはや慣れたとばかりに笑みを浮かべた。

「まださほど周知されていない職業なので、千冬様のように首を傾げる方も少なくないんですよ。簡単に言ってしまうと、ウエディングプランナーのようなものだと思ってもらえれば十分かと」

「ウエディングプランナー、ですか」

「はい。ちなみに、智久様からはどこまで聞いておりますか?」

「と、とりあえずスーツでいいから、あとは当日にこの寺に来てもらえばいいとだけ。あの、本当にスーツでよかったんですか? 他は化粧道具とか簡単な小物くらいしか持ってきていないんですけど……」

「問題ありませんよ。今回のプランはあくまでも形式的なもので、友人知人を招いたセレモニーをやるわけでもありませんから」


 それでは早速行きましょうか、と先導する冴島の後ろを言われた通りに静々と付いて行く。

 そういえば、こうしてお寺の中に入るのは初めてだなと所在なく周りをちらちら見ながら本堂の廊下を進んでいると、不意に冴島がこちらを振り返って、


「これから千冬様には別室に行って頂いて、そこで本日の離婚式の段取りなどをご説明させて頂く事になります。何かご不明な点やご不満な部分はごさいますでしょうか?」

「えっと、実は私、あんまり詳しい説明を受けてなくって……離婚式ってこういうものなんでしょうか? なんと言いますか、結婚式と違って私だけ何もしていないなあって思って……」

「そうですね。本来の離婚式だとお二人の意見を伺ってから段取りを決める事が多いのですが、今回は格安プランという事もありまして、間違いなく離婚式に出席するというご意志さえ確認できれば、こちらとしては特に支障はありませんでした。一週間ほど前に弊社から千冬様にメールを送らせて頂いたのもそのためです」


 言われてみれば確かに一週間くらい前に、冴島から受け取った名刺の会社名でメールが届いていた。その時は離婚式の日取りと出席の有無を確認する欄があったが、あれは最終確認だったというわけか。


「あの、格安プランだと片方だけの意見が通ってしまうものなんでしょうか?」

「必ずしもそうとは限りませんが、今回のプランは離婚届の記入と結婚指輪を潰す作業のみという事もありまして、敢えて千冬様に確認を取りませんでした。智久様からも特に確認を取る必要ないと伺っておりますが、今からでも協議されてみますか? 結婚指輪を潰す作業だけならまだ変更は効きますよ?」

「あ、いえ、そのままで大丈夫です」


 どうせ離婚するのには変わりない。だったら結婚指輪なんて大した額で売れもしない物を持っているだけ枷になるだけだ。だったら智久の意向通り、一思いに潰してしまった方がいい。


「承知致しました。他にご不明な点はございますでしょうか?」

「他のプランナーの方は?」

「私とは別に、智久様の方にも弊社のプランナーが付き添っております。友人知人を招かない簡単な式という事もございまして、今回は私とそのもう一人の担当者のみとなっております」

「それも格安プランだからですか?」

「そうですね。なにぶん人手がほとんどいらない簡単な式ですから」


 まあ確かに、離婚届を書いて結婚指輪を潰すだけなら、大仰な準備なんてほとんどいらないだろう。式を行うための会場さえ押さえられたら。

 そう思うと、なんだか自分が安く見られているような気がしてきた。勿論離婚式の費用を全額で負担しているのは智久なのであまり文句を言えないが、とはいえ心情的には面白くない。

 などという不満が我知らず表に出てしまっていたのか、ふとこちらを振り返った冴島が少し困ったように苦笑を滲ませながら、


「格安プランと言うと聞こえは悪くなってしまうかもしれませんが、あくまでも他のプランに比べたら断然安いというだけで、金額的に見たらそれなりに値は張る方なんですよ? ですので、決して相手方を見下しているという意図はないと思って頂けた方が何かとよろしいかと」

「……そうなんですか?」

「ええ。そもそも格安プランを利用される方のほとんどは、あくまでもケジメを付けたいだけで結婚式のような目立つ真似はしたくないという人向けのものなので。中にはご祝儀が集まるわけでもない式で無闇に費用を重ねたくないという方もいらっしゃいますが」


 思わず「なるほど」と口に出して頷いた。言われても見ると離婚するのにあまり目立つような事はしたくない気持ちは千冬も理解できる。実際、結婚式の時のような派手な催しは一切したくないし、したいとも思わない。


「着きました。こちらが千冬様の控え室となっております」


 あれからと話し込んでいた内に、いつの間に冴島が言っていた別室とやらに到着してしまった。進んで襖を開けてくれた冴島に目礼しつつ、通された八畳ほどの和室に足を踏み入れる。


「式までにはまだお時間がありますので、その間にお手洗いや身嗜みのチェック等、事前に所用を済ませておくようお願いいたします。こちらの準備が終わり次第、またお声掛けして外陣へと移動してもらいます」

「外陣というのは?」

「先ほど階段を上った正面にある広間の事ですね。この寺の御本尊が祀ってあります」

「あの、今更なんですが、仏様の前で離婚式なんてやっていいのでしょうか? 罰当たりとかになりませんか?」

「問題ありませんよ。こちらのお寺は縁結びと縁切りと扱っている所なので」

「そうでしたか……」

「はい。それではお声を掛けるまでゆっくりお過ごし下さい」


 言って、楚々と襖を閉じる冴島。それから静々と遠ざかっていく冴島の足音を聞きながら、千冬はテーブルの前に腰を下ろした。

 はあ、と緊張の糸が解けたように深い息を吐いたあと、千冬は見るともなしに未だ薬指にはめられている指輪を眺めた。

 もうじきこの指から無くなる事になる、智久との誓いの指輪を。 



  #



「智久様、千冬様両名による離婚届のご記入を確認させて頂きました。この離婚届は式が終わるまで、わたくしどもが丁重にお預かりしておきます」


 御本尊が祀られている外陣の中、そこで先ほど脚高めの木台の上で書き終えた離婚届を手にする冴島を前に、千冬は小さく嘆息を吐いた。

 隣りにいる智久をそれとなく横目で窺うと、向こうも胸を撫で下ろすように安堵の息を零していた。それだけ緊張していたという事かもしれないが、それはこれまでの結婚生活を振り返って感傷にでも浸っていたからなのだろうか。だとしたら智久との生活がすべて無為ではなかったと思えて多少は救われる。

 それにしても、離婚式とはこういうものだろうか。想像していたより淡々としているというか、離婚届を記入した際もまるで事務的な作業に近いものがあってか、なんとなく離婚式とやらをしている実感が持てない。お寺にいるはずなのに、住職や僧侶が見当たらないせいもあるのだろうか。


(これが結婚式なら、教会で神父さんに祝福を受けるところなんだろうけれど)


 冴島の話ではあくまで一時的に寺を借りているという事らしいが、てっきり説法のひとつでもあるとばかり思っていた。別段離婚する事がいけない事でも不幸な出来事というわけでもないと思うが、どことなく据わりが悪い。褒められるような事でもないので、笑顔で迎えられてもそれはそれで微妙ではあるが。

 まして、少し前にネットの動画で見た離婚式のような、参加者同士でパイをぶつけ合うような騒々しい真似事だけは絶対に御免被りたいところである。


「続きまして、最後の共同作業となります」


 冴島の言葉と共に、もう一人の離婚式プランナーである若い男がトンカチと叩き台を運びながら千冬と智久の元へと歩んできた。


「それでは、お二人の結婚指輪を叩き台の上へお願い致します」


 笑顔で言う冴島に、千冬はついにこの時が来たかと生唾を嚥下した。

 こんなもの単なる儀式でしかないはずなのに、離婚届を書く時よりも動揺が大きい。離婚届のような紙切れよりも、いつも身に付けていた指輪の方が自分の一部のように感じられるせいだろうか。この指輪を外した瞬間に己の半身を失うような、そんな強迫観念めいた何かが千冬の中で渦巻く。

 ちなみに智久は離婚届を書いた時と同様、緊張したように眉根を寄せつつも黙々と指輪を外そうとしていた。もう少し躊躇ってほしかったと内心残念に思いつつも、千冬も意を決して指輪へ手を伸ばし、ゆっくりじっくりと薬指から外した。

 そして智久に倣うように、先に叩き台の上に置かれている指輪の横へと添えた。


「次はお二人でトンカチをお持ちください」


 男性の離婚式プランナーから渡されたトンカチを、まずは先に智久が受け取る。それからそっと千冬の方へ柄の部分を向けた。

 その無言で差し出されたトンカチの柄を、千冬はじっと見つめる。具体的には柄というよりも、柄を握っている智久の右手を。


(最後の共同作業……智久と直接触れ合うのも、これが最後になっちゃうのね……)


 先ほど離婚届に名前を書いたばかりだというのに、まだ自分の中で恋愛感情が燻っている。この期に及んで智久との関係修復を捨てきれない自分にほとほと呆れ返る。どれだけ未練がましいのだと。

 しかしながら、どれだけ智久の事を想っていようがいまいが、この関係が終わってしまうのは既に決定付けられている。いつまでも智久の手を凝視していられない。

 そこでようやくとばかり、千冬は空いている柄の部分へと手を伸ばす。その際、上部を握っている智久の手にどうしても触れなければならないのを気まずく思いつつ、柄の下部を握る。


「では、3、2、1のカウントダウンのあとにトンカチを振り下ろしてください。3、2、1──」


 1という掛け声が聞こえたと同時に振り上げたトンカチを、智久と息を合わせながら叩き台の上に鎮座されている結婚指輪目掛けて勢いよく振り下ろした。


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