第3話 幼馴染からのプロポーズ



吃驚びっくりした。まさかこんな所で千冬に会えるなんてな」

「私も。竜二がこの街に来ていたなんて」


 近くにある噴水広場のベンチ。そこで千冬と竜二は横並びに座っていた。

 昔は自由奔放というか、落ち着きがなくていつも遊びほうけている印象だったが、今はいくらか大人びて見える。高校の頃よりも背が伸びてガタイが良くなったせいもあるかもしれないが、高級そうなスーツ姿が様になるくらいには精神的に年数を重ねたのだろう。それでも瞳の奥に悪戯めいた光が浮かんでいるように見えるあたり、未だ野生的な部分は失くなっていないようだ。

 竜二とは高校卒業して以来になるが、そういう昔の面影がほんの少しでも残っていてくれた事がどことなく嬉しい。竜二には一度だけ結婚の知らせを実家の方に送った事があるのだが、どうやらちゃんと読んでくれていたようで「なんか優しそうな旦那だったよな」と微笑みながら言ってくれた事も、まるで自分も含めて褒めてくれているような気がして気分が良かった。たとえ時期に別れる相手だったとしても。



「竜二はここに住んでるの?」

「いや、俺は仕事で偶々たまたまこの街に来ただけ。千冬は結婚してこの街に住んでるのか?」

「うん。でもすごい偶然。竜二と再会できるなんて」

「そうだな。高校を卒業して以来になるから、もうあれから十年近くは経ってんだな」


 そうね、と千冬は相槌を打った。

 眼前で水が勢いよく噴き上がる。それに合わせて近くにいた子供達がキャーキャーと歓声を上げた。そばのいた母親達はずぶ濡れにならないかどうかと冷や冷やした表情をしているが、それでもある程度は仕方なくないと諦めが付いているのか、はしゃぐ子供達を見守りながら苦笑を浮かべていた。


「覚えてるか。小学生の頃、結婚したら子供は何人欲しいかって話」


 噴水のそばで喜色満面に走り回る子供達を見つめながら、竜二がふと囁くように呟いた。その言葉に千冬は横目で竜二を一瞥して、


「子供の頃の話でしょ」


 と淡白に応えた。


「まだ付き合ってもいなかった頃の、遊びの延長線上のような他愛のない話よ」

「そうだな。けど高校の時は実際に付き合った。結婚だって決して夢じゃなかった」

「卒業する前に別れちゃったけどね」

「あの時は受験が重なってゴタゴタしてたせいもあるだろ。それまでは上手くやってた。まあ受験だけのせいとは言わんし、他にもすれ違う理由はあったかもしれんが、少なくとも歪み合っての別れじゃなかったはずだ。どちらかと言うと自然消滅に近いっていうか、一度の喧嘩でなんか気まずくなってしまったていうかさ」

「うん。そんな事もあったね」


 あの頃は若かったのだ。互いに譲歩する事を知らなかった。幼馴染という関係性もあって、そういった気遣いをいつの間にか忘れてしまっていたのだと思う。だからちゃんと話し合う事もできず、自然と心が離れていってしまったのだろう。

 なんて事はない。よくある別れ話だ。


「だからってわけでもねぇけど、もしも千冬が結婚する前にこうしてまた出会えていたら、また違った結末があったんじゃないかって思うんだ」

「もしもの話でしょ。あんまり思い付きの話で人を口説くのはどうかと思う」

「思い付きじゃない。こうして出会えたのは本当に偶然だけど、千冬を想わなかった日はなかった」


 竜二が真剣な面持ちで千冬を見つめる。その瞳に嘘偽りの気配は微塵も感じさせなかった。


「千冬と別れてから、何人か付き合ったけど、結局千冬の事が頭から離れなくて、気付いた時には自然と恋人解消ってパターンばかりだった。たぶん俺が他の女と比べていたのをなんとなく察してしまったんだろうな。それからはずっと独り身だ。連絡先も知らない幼馴染の事を想いながらな」

「そんな話、急にされても……」

「分かってる。でも俺の気持ちだけは伝えておきたかった。迷惑だとわかっていても」


 ふと少し強めの風が吹いた。近くの木々に止まっていた数羽の小鳥が驚いたように空を飛翔していく。

 その風を気にする素振もなく、依然として竜二が千冬の揺れる瞳を覗く。心の奥を探るように。


「本当に困るよ……」


 逃げるように竜二の視線から顔を逸らした。幼馴染で、かつての元カレだった人が、今再び男の顔を想いを告げてきているという状況に、頭が追い付かない。


「私達、今はもうただの幼馴染でしかないんだから。告白されても、何も応えられない……」

「それも分かってるつもりだ。でもこうして出会えたのも何かの縁かもしれないだろ。だってお互い、何の連絡先も知らなかったのに偶然出会えたんだから。それも長年想い続けていた女と。もうこうなったら告白しないわけにはいかないって思ってな」

「単なる偶然だよ……」

「かもな。だが、この機をどうしても逃したくなかった。二度とないチャンスだったからな。この先後悔しないためにも」

「後悔……」

「おう。まあでも、別に離婚してほしいわけじゃないから安心してくれ。千冬はもう旦那がいるもんな。いくらなんでも人妻に手を出すつもりはねぇよ」

「……もう人妻じゃなくなるけどね」


 無意識に吐露してしまった言葉に、千冬はハッとした顔で口を塞いだ。

 だが時既に遅かった。耳聡く先の言葉を聞き逃さなかった竜二が「人妻じゃなくなる?」と怪訝に繰り返した。


「どういう意味だそれ。もしかして、近々離婚するつまりでいるのか?」

「えっと、それは……」


 どうしようかと少しの間逡巡したあと、今更誤魔化しても無駄だろうと思い、仕方なくこくりと頷いた。


「そうか! そうか! あ、いや喜んじゃいけない事だよな。うん。千冬だって色々あった末の離婚だもんな。すまん……」


 こういうデリカシーに欠けたところが俺の悪い癖なんだよな、と気まずげに苦笑する竜二。確かに昔からデリカシーに欠けるところはあったが、こうして自分から気付く事はなかなかなかった。千冬と会わなかった間に気遣いを覚えたという事なのだろう。


「別に、そんな骨肉の争いがあっての離婚ってわけじゃないから気にしないで。単なるすれ違いみたいなものだから」

「離婚届はもう書いたのか?」

「ううん。まだ相手の引っ越し準備とかあるから、ある程度落ち着いてからになると思う」

「そっか。じゃあそれさえ書いたら完全にフリーになるわけだな」

「まあ……」


 おずおずと首肯する。期待に満ちた目で見てくる竜二に「これは改めて告白してくるな」と己の失言に後悔しながら。


「なあ千冬。さっきも言ったけど、俺、まだお前の事が好きなんだ。俺の事を嫌いじゃないのなら、一度考えてくれないか?」

「考えるって、恋人同士になるかどうかを」

「いや、俺と結婚するかどうかを」


 付き合いという過程を超えて結婚という話が突然浮上した事に、千冬は目を見開いた。


「結婚って、急過ぎない……?」

「急じゃない。少なくとも俺はこれまでずっと千冬と結婚する事を考えてた」

「そう言われても、仕事とか生活面で色々考えなきゃいけない事もあるし……」

「衣食住なら問題ない。これでも俺、IT企業の社長やってんだぜ。それも年商一億の」


 その言葉に、千冬はまたしても瞠目した。まさか竜二がそんなすごい存在になっていたとは思ってもみなかった。道理で質の良さそうなスーツを着ていたわけだ。


「社長がこんな所にいていいの? 社員の人が心配したりしてない?」

「みんなには既にメッセージを送ってある。それに社長だって偶にはこういう息抜きも必要さ」


 それよりも、と竜二はそれまでの微笑から真摯な面相へと変えて、千冬の正面に立った。


「すぐに答えが欲しいとは言わない。だが離婚したあとでもいいからちゃんと考えてくれ。俺と結婚するかどうかを」


 噴水が再び勢いよく水飛沫を上げる。

 子供達の歓喜する声が、どこか遠くに感じられた。


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