第35話 清算
「僕が知っているのはこれくらいだ」
父の話はそう締めくくられた。
悠馬は絶句する。黒峯ヶ丘でそんな陰惨な出来事が起こっていたなんて想像もしたことがなかった。
加えて、父がこれだけのことを知っているのだ。
きっと、あの集落に住む他の人間も知っていたはずだ。
もしかすると記者を、ことだま様を殺した人間だって、何食わぬ顔で生活していたかもしれない。
そして、疑問が湧いた。
「どうして、そんな場所に住もうなんて思ったの?」
「それは……」
悠馬の問いに父は言葉を詰まらせた。
当然の疑問だった。
そんな恐ろしいことがあった土地なんかに住みたくない。
父が気まずそうに口にする。
「母を、いや、おばあちゃんを一人にさせるのは可哀想だろう?」
「それだけ?」
確かに親孝行な理由だ。
だが、悠馬には納得できない。
「母さんは? 友梨佳は? 俺は? そんな場所に何も知らずに連れていかれて可哀想だと思わなかったの?」
「……」
「ねえ」
悠馬の口調は詰問のようになっていく。
父は背を丸くする。
「……黒峯ヶ丘でおばあちゃんを一人にしたら僕が責められるんだ」
「は?」
「世間体が悪いと言われた。実際そうだった。それにやっぱり年老いた母を一人にするなんて」
「ねえ、母さんも友梨佳も俺も引っ越しに反対したよね」
「……ああ。そうだったな」
「それでも、父さんにとっては俺たちより自分と自分の母親の方が大切だったんだね」
ひどいことを言っているのは分かっている。
だが、感情を取り戻した今、止まることはできなかった。
「母さんが追い詰められていたのも知っていたんでしょう? どうして、何もしなかったの? どうにかできるとしたら父さんだけだったんじゃないの? ねえ――」
「清美が死んだのはことだま様のせいだ」
「は?」
悠馬の言葉に被せるように父は言った。
その訳の分からない主張に悠馬の声は低くなる。
父が頭を抱える。
「違う。僕のせいじゃない」
何度も何度も首を横に振り、やがてうなだれる。
「よく母が言っていたんだ。清美が早く死ぬように唱えていたんだ。『ことだま様、お願いします。早く嫁を殺してください』って」
「何を言っているの?」
「ことだま様に呪われたんだ。だから清美はあんな風になってしまったんだ」
そんなことがあるはずがなかった。
だいたい、ことだま様が死んだと言ったのは父だ。
母が死んだことの責任を認められない父を唖然と見やる。
言葉も出なかった。
「それは違います」
静かに話を聞いていた高梨が口を開いた。
「さっきの話で納得しました」
「何を……」
父が怯えた目で高梨を窺う。
そんな彼に高梨は落ち着いた声で語り掛ける。
「きっと、そのおばあさんの言葉を悠馬のお母さんも聞いていたのでしょう。当然疑問に思うはずです。ことだま様とは何か」
孫である悠馬たちの耳には入らなかったが、祖母のことだ。
きっと、嫁である母の耳に入るように大声で言っていたに違いない。
「覚えていますか? はじめは悠馬の家族を皆、歓迎していたんですよ」
「え」
悠馬のあげた声に高梨は苦笑する。
そして、話を続ける。
「でも、悠馬のお母さんはきっと尋ねてしまったんです。ことだま様のことを。私の母がある日、態度を一変させました。その時の母は怯えていました」
高梨は幼かったがそれを奇妙に思った。
「黒峯ヶ丘の人々は怖かったのかもしれません。集落の人間以外がことだま様を知っていることが。あの事件が再び明るみに出るんじゃないかと疑心暗鬼に陥った」
言葉が途切れ、沈黙が部屋を満たす。
再び高梨が口を開く。
「今のは私の推測にすぎません。ですが」
彼女は静かに告げた。
「悠馬のお母さんと妹さんを殺したのは私たちです。黒峯ヶ丘の人間なんです」
どこまでも落ち着いた態度の高梨だったが、その目は鋭く父を射抜く。
「失礼ですが、あなたはそれを知っていたんじゃないですか?」
父が目を泳がせる。
やがて、視線を落とし、どこまでも微かな声を発した。
「すまない」
それ以降の言葉はなかった。
悠馬は立ち上がる。
「高梨さん、帰ろうか」
父が悠馬をすがるような目で見上げる。
悠馬は一つお辞儀をした。
「話してくれてありがとう」
そして、放つ。
「俺はきっと、一生父さんを許すことはないと思う」
高梨と共に玄関に向かった。
部屋の奥で父のすすり泣きが聞こえる。
それでも黙って扉を開け、外に出た。
「ごめん、余計なことをした」
高梨の言葉に悠馬は首を横に振る。
「これでよかったんだ」
父を許せない。
それを口にしたことにより、一つのわだかまりを清算できた。
消えたわけじゃない。これからも背負っていくだろう。
だけど、それでもよかった。
見上げた空は見事なほどに青かった。
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