第34話 黒峰ヶ丘

 父が子どもの頃、黒峯ヶ丘の山頂には神社があった。


「正しい名前は知らない。何が祀られていたのかも分からない。だが、皆あの神様のことを『ことだま様』と呼んだ」


 その神は人の形をしていた。

 だが、目の色が反転していて、身体は墨汁をこぼしたようなまだら模様だった。

 幼い父の目には化け物に映った。


 村人たちはそんなことだま様に願いを口にした。

 ことだま様がその願いを聞き入れ、口に出せば、その願いは叶うというのだ。


「僕が五歳になった時、お神酒を受け取った」


 黒峯ヶ丘の住人は五歳になると、お神酒と呼ばれる黒い液体を飲むことになっていた。

 それはことだま様から頂いたありがたいお神酒だったが、父はそれを口に含んだ後、大人に隠れて吐き出した。


 やけに鉄くさかったのを今でも覚えている。


「僕が小学校に通う前のことだと思う。ことだま様が死んだ」


 代替わりの儀というものが行われる。

 大人の噂話を聞きつけた子どもたちは興味半分でその儀式を覗きに行った。

 大人には決して行ってはならぬと言われていたが好奇心を押さえることはできなかった。


「見なければよかった」


 父の顔が青ざめる。


 その光景は陰惨極まるものだった。

 死んだとされていたことだま様はまだ動いていた。

 その首を鉈で落とし、身体の肉を切り刻むと、縄で繋がれた人間の口に肉が詰め込まれた。

 

 繋がれていた人間は見たことがない顔で、おそらく集落の人間ではなかった。

 肉を喰わされた彼は何度もそれを吐き出そうとしたが身体に鞭を打たれ、やがて静かに喉を鳴らした。


 彼の身体に異変が現れる。横顔に見えた瞳が白黒反転した。

 そして、身体に黒が広がり、奇声を発した。

 

 子どもたちは恐怖に動けなくなっていた。

 

 縄で繋がれた彼は血を吐き、呻きを上げ、身体から骨が折れるような、肉が断たれるような、奇妙な音を立ててのたうち回った。


「そこからどう逃げ出したかは覚えていない」


 その後、新たなことだま様の誕生の祭りが行われた。


 あの時、肉を喰わされた彼だった。

 彼はぐったりとした様子で笑い声をあげていた。

 皆がこぞって願い事を口にした。

 

 そんな中、一九七〇年代が訪れる。

 その頃、世間は空前のオカルトブームを迎えていた。

 UFOや超能力、心霊写真など超常現象が流行していたのだ。


「そんな時、ことだま様のことを聞きつけた記者がやってきた」


 ことだま様のことは集落最大の秘密だ。

 それもそうだろう。大人たちが人殺しをしていたのだから。

 集落の大人たちは目に見えて慌てていた。


 記者の取材に知らないと一点張りをするがそれが余計彼の好奇心を煽ったらしい。

 何日も、何か月も黒峯ヶ丘に通う記者に対して、大人たちは恐るべき計画を立てた。


「その記者を殺したんだ」


 直接見たわけでも知ったわけでもない。それでも子どもは聡い。

 父だけではなく同級生たちの中にも気付いている者がいた。


 その中に一人、正義感の強い少女がいた。

 彼女はそのことを警察に報告し、事件が明るみに出た。

 ことだま様が露見することを恐れた大人たちは罪を重ねた。

 

 ことだま様を殺したのだ。


 それだけではない。

 記者殺しの罪を告発した少女にことだま様殺しの罪を押し付けた。

 集落中の人間が口裏を合わせ、彼女の家族を犯人に仕立て上げたのだ。

 

 その後、少女一家はどこかへ引っ越していったが、新しい住所を調べ上げたと誇らしげに言いふらす住人の姿を見た。

 きっと嫌がらせは続いていたのだろう。


 ことだま様のいなくなった神社は廃れていった。

 集落の人間は誰もそのことを口にしなくなった。


 二十年、三十年が経ち、世間はその出来事を忘れていった。

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