第31話 その日々はあまりに幸せで
二か月が経った。
二人は図書館に通い、噂の元をたどり、人々に話を聞いた。
今まで亜里沙が調べた分を含めるとファイルは十冊分になった。
悠馬の家でそれを一つずつ検証する。
「黒峯ヶ丘での事件のこと知っているかな?」
悠馬は首を横に振る。
昭和四十八年の地方新聞の片隅にその記事は掲載されていた。
『黒峯ヶ丘で変死体』という見出し。
あるフリーライターが黒峯ヶ丘の住人に殺されていた。
「次はこっちを見てほしい」
古文で書かれた文章だった。
文学部にも関わらず、真面目な学生ではない悠馬はその文章が読めない。
亜里沙はそれを呆れもせず説明してくれる。
それは郷土史だった。
悠馬はその内容を知っていた。
かつて亜里沙と調べたものと同じ内容だった。
何でも願いを叶えてくれる神がいた。
その神から与えられるお神酒を飲むことにより、人々はその御利益を得たというものだ。
「このお神酒というのが悠馬の血じゃないかと思っているんだけど……」
亜里沙の推測はあの時の亜里沙のものと同じだった。
ページをめくろうとする彼女と手が触れ合う。
あの時、うまく笑えていればよかったのだろうか。
「休憩しようか」
亜里沙の提案に顔を上げる。
「顔色が悪いよ」
悠馬は苦笑し、頷いた。大きく伸びをして立ち上がる。
「何か飲む?」
「アイスが食べたい」
「いいね」
二人は財布とスマホだけを手に、部屋を出る。
八月の外はうだるほどに暑い。
蝉がやかましく騒ぎ、命を燃やしている。
「近くにかき氷のおいしいカフェがあるけど、どう?」
「お金がないから無理」
亜里沙が指で小さくバツマークを作った。
現在亜里沙はバイトを辞めて、全ての時間を黒峯ヶ丘の調査に使っている。
バイトで貯めたお金はそれなりにあるが、悠馬の元に通う交通費、食事代、家賃などを考えると贅沢はできないそうだ。
悠馬は財布を確認する。
「俺がおごるよ」
「お父さんのお金で?」
「言わないでほしいな」
カフェに入ろうとした悠馬を亜里沙が止める。
かくいう悠馬もバイトなどしていなかった。
父の仕送りは相変わらず多く、お金に困ったことはない。
「じゃあ、コンビニのアイスはどう?」
「一番安いのだったらおごられよう」
亜里沙が歯を見せて笑った。
その笑顔はやはり亜里沙のもので、昔と何も変わらなかった。
そうやって、何日も何日も共に日々を過ごした。
今日も悠馬の家で紅茶を飲みながら資料と向き合う。
「あのおじさんの話、どう思う?」
「嘘だと思う」
「私もそうだと思った」
なかなか決め手になる情報は出てこない。
せめて、あの廃神社さえ何か分かれば先生を止める方法が明らかになるかもしれない。
「やっぱり実際行かないと駄目かな」
「無策で行っても取り込まれるだけだと思うよ」
真っ当な意見を悠馬は口にした。亜里沙も頷く。
それにほっとした自分がいることに悠馬は気付いていた。
「ねえ、寂しくない?」
「え?」
「ここは悠馬の世界じゃない」
悠馬はあの日、先生が支配する世界から山を下った。
つまり、この世界は先生と目の前の亜里沙がいた世界であり、悠馬の元いた世界ではない。
「寂しくないよ」
目の前で眉を下げる亜里沙に笑って見せる。
流すテレビからお菓子のCMが流れた。
悠馬は何げなく視線を移す。
「これのサツマイモ味、好きだったよね」
「うん」
「今は?」
「もちろん好きだよ」
沈黙が訪れる。
時折、共通の過去を見つけてしまう。
当たり前だ。
悠馬があの化け物を喰らった日から世界は分岐したのだから。
少なくとも悠馬と亜里沙はそう仮定している。
目の前にいる亜里沙は亜里沙ではない。
だが、同じ記憶を持つ亜里沙であり、また、彼女にとっても悠馬は狂ってしまう前の悠馬と同じ記憶を持つ悠馬だった。
「やっぱり、このままじゃ駄目だね」
亜里沙が小さくこぼした。
「明日、あの場所に行かない?」
「あの場所?」
「黒峯ヶ丘のふもと」
悠馬は黙って首を横に振る。
「お願い」
どこか切羽詰まったような目に悠馬はやはり断ることができなかった。
終電に乗る亜里沙を駅まで見送る。
改札を通っていく彼女の背中を見ながら、はっきりと思った。
亜里沙と共にいることができる。
それが悠馬にとっての幸せだった。
彼女が隣にいてくれれば、寂しくなんてなかった。
この日々がずっと続けばいいのに。
そう思っていた。
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