第26話 鬼ごっこ

 白紙になった頭。

 悠馬に先生が向かってくる。彼はこちらに微笑みかけた。


「大丈夫。それでいいんだよ。俺はお前を責めない。だってそれが当然だからだ」


 目の前の彼は誰よりも自分を理解している。

 そんなものにそんな言葉をかけられる。


「俺を不幸にした奴らに復讐をして何が悪いんだ? 悠馬、こっちにおいでよ」


 そうだ、そうすれば楽になれる。

 悠馬は気付く。

 

 もう感情を隠さなくていい。

 一人の時間に襲ってくる怒りや憎しみに耐えなくていい。

 悩むことがなくなるのだ。

 

 悠馬の思考はそちらに傾いていく。


「そう。篠倉悠馬はこちら側にやってくる」


 どくん、と心音が鳴った。

 それはあの化け物に初めて出会った日と同じく悠馬を惹きつけてやまなかった。


「駄目だ!」


 叫び声にぎこちなく振り返ると、亜里沙が悠馬の手を強く握って引っ張っている。


「ヤダ! 嫌だ! そんな奴に惑わされるな!」


 染まりかけていた考えが揺らぐ。

 もう楽になってしまいたい。そう強く思う悠馬を引き留める。


「たとえ悠馬がそちらの方がよくても、ボクは嫌だ! 嫌なんだ!」


 まるで子どもが駄々をこねるように泣きじゃくる亜里沙を見て、悠馬は強く唇を噛んだ。

 

 自分が自分でいるために亜里沙と共にあるのか。

 本当に亜里沙に幸せになってほしいと願っているのか。

 分からなくなっている自分がいる。


 それでもやはり、アレにとどめを刺し、先生と違う道を選んだ悠馬は亜里沙を殺したくなかった。

 それを確認するように悠馬は亜里沙の手を取り、強く握った。


「やっぱり、篠倉悠馬を邪魔するのは亜里沙か」


 つまらなさそうに呟いた先生を強く睨む。先生が口角を上げた。


「じゃあ、悠馬から亜里沙を取り上げないとな」


 悠馬は亜里沙を持ち上げ、そのまま走り出した。

 足が重い。息もすぐに切れる。

 亜里沙に促され、彼女を下ろし、二人で走る。


「山を下りるぞ」

「え」

「もうあれはボクたちの手に負えない」


 亜里沙の言う通りだ。

 だが、素直には頷けない。

 

 犠牲を増やしたくない。

 それでも亜里沙を奪われるわけにはいかなかった。


 悠馬は亜里沙の後ろに続く。

 目の前に黒い血が飛んだ。


「山は下れない」


 前方で先生が己の腕にナイフを這わせ、笑んでいた。

 血の落ちた地面から、大きな壁がせりあがってくる。

 

 方向を変える。だが、それも行く手を阻まれる。

 先生はわざとらしくゆっくりと足音を立てて歩みを進めてくる。

 

 負けの決まった鬼ごっこだった。

 

 壁に阻まれ、導かれるようにたどり着いたのは踏切の前。

 遮断機は開いている。だが、向こうは先生の世界だ。

 もうどこにも逃げることはできない。


「楽しかったね、鬼ごっこ」

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