第25話 地獄
冬の枯れた木々には赤く濁った蔦が絡まり、ひびの入ったコンクリートからは間欠泉のように赤い液が噴き出ている。
空からは人間の手が生え、目の前に降り落ちた。
「あ……あぁ……」
亜里沙の呻きに悠馬は何も応えない。やはり実感が湧かないのだ。
だから、まだ踏み出せる。
どこを見ても景色は異常だった。だが、アンデッドはいなかった。
いるのはいつも通りの集落の人間だ。
「来たぞ!」
最近定年退職を迎えた溝口だ。彼は地域のリーダー的存在である。
当然悠馬を不気味がっている。
彼は小走りに悠馬の方へ駆けてくると、その胸ぐらを掴んだ。
「この化け物が!」
間を置かずして、溝口は悠馬の顔を強くぶった。
悠馬ははずみで尻餅をつく。
亜里沙が悠馬に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「うん……」
口の中が切れたらしい。血が顎を伝った。
痛みはあったがこれが当然のような気がした。
先生がしでかしたことだ。
ならば、それは自分自身のことだ。
「見つけたぞ!」
溝口の叫びで、集落の人間が集まってくる。
三人は五人になり、五人は十人になった。
彼らの叫び声が耳をつんざく。
「なんなんだ、これは!」
「どうにかしろ!」
「この呪われた子が!」
未だ立ち上がれていない悠馬に蹴りが飛ぶ。
亜里沙が悲鳴を上げ、再び足を上げる住人の前に立ちはだかる。
「やめないか!」
亜里沙の叫び声に恐ろしいほどの沈黙が訪れた。
血走った目が亜里沙に向かう。
彼らの照準が悠馬から亜里沙に変わる。
人々は言い放つ。
「僕は見た。こいつが城山さんを殺すのを!」
「血が黒かったのよ!」
「ケーブルカーの車掌を喰らったんだ!」
ただの事実を叫んでいた住人たちが次第に悠馬をかばう亜里沙を攻撃し始める。
言葉の袋叩きにあい、亜里沙は涙目になっていた。
腹から黒いものが湧いた。
悠馬は勢いよく立ち上がり、乱雑に人々を押しのけ、亜里沙をその中心から引き出す。
手を上げた人間の腕を掴んだ。
もう一方の手で殴りかかろうとしてくる相手の手を捻り上げ、乱暴に突き倒す。
「そんなことをしては駄目だ、悠馬!」
「いいんだ。それでいいんだよ、悠馬」
正反対の声が聞こえた。
一つは亜里沙の声。
もう一つは聞きなれた自分の声。
振り返るとそこには先生がいた。
その手は真っ赤に染まり、車掌帽を弄んでいる。
「暴力を振るってくる人間には暴力で返せばいい。正当防衛だろう?」
笑いながら先生は車掌帽を頭に載せ、ポケットを探り出す。
出てきたのは果物ナイフだった。それを悠馬に投げ渡す。
「ほらほら、殺し合いだ」
先生の後ろから現れたのは血肉のはみ出した城山の姿だった。
目の白黒が反転しているところを見ると、先生に血を飲まされアンデッドになってしまったのだろう。
人々が悲鳴を上げる。
当然、逃げ出そうとする者もいる。
「待ってよ。せっかくだから見ていきなよ。黒いドームの中でさ」
先生が言うや否や、そこに円形のドームが現れた。
肉塊のような壁は黒く、なのに、中は薄ら明るい。
悠馬は手に持った果物ナイフでその壁を刺すが効果はない。
ナイフを抜き取ると、黒い血が噴き出した。
「さあさあ、皆さんお待ちかね。篠倉悠馬の殺人ショーです!」
先生が高らかに宣言する。
アンデットとなり果てた城山が悠馬の方に一歩一歩近づいてくる。
悠馬はそれから逃れるように、ドームの淵を沿うように歩く。
「殺さないと殺されるよ?」
先生はさも愉快というように笑みを絶やさない。
周りの住人たちは固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。
「駄目だ、今すぐナイフを捨てるんだ」
亜里沙の言う通りだ。
アンデッドとはいえ、城山を殺すわけにはいかない。
「ほら、正当防衛だ。何も恥じることはない」
先生の声の後、アンデッドの動きが変わった。
素早くこちらに踏み込んでくる。
悠馬は身を翻すが、体勢を崩し、地面に片手をついた。
腕を振りかざしてくるそれに悠馬は自身をかばうようにナイフを構える。
感触があった。血が噴き出した。耳が肉を破る音を拾った。視界に赤が広がった。
沈黙が訪れた。
城山はしつこく襲ってくる。
やがて命の危険を感じた悠馬はナイフを振り回し始めた。
アンデッドに痛みは通用しない。
悠馬の攻撃をわざと受けるかのように突撃してくる。
頭が真っ白になった。
それが恐怖によるものか、はたまた違うものか。
悠馬は無心になってアンデッドを刺した。
何度も何度も刺した。
悲鳴が遠くに聞こえる。
亜里沙の声のような気がした。
だけど、止まれなかった。
口が軽く、噂好き、人を貶める口から出まかせを吐いていた。
そんな城山を悠馬は機械のように淡々と刺し続ける。
「はーい、ショーはおしまいです!」
明るい声に手を叩く音が聞こえた。
黒いドームが崩れ、人々が逃げるように散っていく。
自然光が悠馬を照らす。
黒い血に染まった手をありありと見せつけてくる。
「悠馬に何をした!」
亜里沙の声をやっと認識できた。
先生のケタケタ笑いも聞こえてくる。
「何もしていないよ。これが篠倉悠馬なんだ。この集落の人間を殺したくて殺したくてたまらない、篠倉悠馬の本当の姿だよ」
城山の残骸を見ながら、悠馬は呆然と立ち尽くす。
アンデッドになりながらも城山は起き上がる気配を見せない。
どうやら、自分は人を殺したようだ。
悠馬は理解した。
いつものように他人事だった。だが、手に感触が残っていた。
先ほどまでの抑えきれない激情を覚えている。
正当防衛じゃなかった。
純然たる殺意だった。
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