第四章

第24話 日常の終わり

 その日もただただつまらない授業だった。いや、つまらないかどうかも分からない。何も頭に入ってこないからだ。

 悠馬はただぼんやりと黒板を眺める生活を送っていた。

 

 あれから二週間が経つが先生の襲撃はない。

 ただ、猫やネズミの変死体は度々見かけるようになっていた。悠馬が放った化け物の仕業だろう。

 

 季節は秋から冬に移り変わろうとしている。

 帰り道の電車に乗れども、亜里沙との会話はない。

 紅葉の季節は終わり、木々は枯れ葉を散らしている。

 

 先生に抗う術が見つからない。

 あれから二人で何度も話し合ったが、何も進展することはなかった。

 

 昨日は亜里沙が苛立ち、声を荒げた。

 悠馬はそれをただただ聞いていた。

 

 ケーブルカーの乗り場に向かう。

 改札前に『運休』と書かれた看板が立っていた。詳しいことは何も掲載されていない。

 復旧がいつになるかも分からない。


「山を登ろう」


 亜里沙が小さな声を漏らす。


「待った方が早くない?」

「登りたい気分なんだ」


 悠馬は黙って亜里沙に従った。

 二人でろくに整備もされていない遊歩道を歩く。

 木枯らしが吹きすさび、悠馬は身体を震わせた。


「昨日はすまなかった」

「大したことじゃないよ」


 悠馬の前を行く亜里沙の表情は見えない。

 だが、きっと暗く沈んでいるのだろう。

 

 突然、前を行く亜里沙の足が止まる。


「なあ、悠馬。教えてくれるか?」

「何を?」


 亜里沙はリュックを探り出す。そこには小さなメモ帳があった。

 いつも彼女が持ち歩いているものだ。


「これはこの間、あの世界で見つけたメモ帳だ。筆跡はボクのもの。つまり、もう一人のボクのものだ」


 息を呑んだ。亜里沙はそのページをめくる。


「途中まではボクのものと全く同じだった。だが、最後の方は懺悔だ」

「懺悔?」

「そう。変わっていく悠馬に止められないボク。そして、悠馬の隣で何も知らず笑っていたことについてだ」


 心臓が跳ねた。

 

 向こうの亜里沙は知っていたのだろうか。いや、知っていたに違いない。

 悠馬の醜い心を。復讐に囚われる本当の篠倉悠馬を。

 だから殺された。


「ボクは何を知らないんだ?」

「……」

「教えてくれ、君のすべてを。取り返しがつかなくなる前に」


 話してしまえば、きっと亜里沙と共にいることはできなくなる。

 あの日、悠馬がアレにとどめを刺したのは亜里沙のせいだ。

 

 あの化け物の力を手にすれば、復讐ができる。

 だけど、きっと亜里沙も殺してしまう。

 いや、違う。亜里沙に嫌われてしまう。


 この集落には亜里沙の家族がいる。亜里沙の知人がいる。

 殺せば亜里沙ともう会えない。

 

 先生と自分が違うのはそこだけだ。

 

 亜里沙が離れて行ってしまえば、きっと自分は先生になる。

 自分を止めることができなくなる。

 だから、話せないのだろうか。

 

 気付かなかった。

 自分が自分でいるために、亜里沙と共にいたいだなんて、ここまで自分がわがままな人間だったなんて、知らなかった。


 亜里沙に幸せになってほしい。

 これすら、本心かどうか分からなくなってきた。


 復讐に走る自分が怖いだけかもしれない。

 亜里沙を言い訳にして何とかとどまっているだけかもしれない。

 

 亜里沙に背を向け、歩き出す。

 感情が乖離しているのはいつものことだ。

 だが、今は何を考えているかすら分からない。


「悠馬!」

「ごめん」


 それしか言えなかった。何に謝っているのだろうか。


 『桜屋敷』と書かれた看板を過ぎ、三十分ほど歩いたころ『黒峯ヶ丘』という古びた板が見えてくる。


「やっと着いたね」


 後ろを歩く亜里沙が応えてくれることはない。


「ごめんね」


 もう一度、呟く。


 一歩ずつ足を進める。その歩調は早まっていく。

 二人は走り出す。足が止まった。

 

 集落は地獄の様相だった。

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