第14話 写真の中の殺し合い

「紅茶が飲みたい」


 リビングの席に座らせた途端、そう口を開いた先生に悠馬は呆れる。随分と図々しいものだ。

 ため息をつき、亜里沙を見やる。


「亜里沙は?」

「ボクはほうじ茶をいただこう」

 

 悠馬も紅茶の気分だったが、先生と同じものを飲むことに抵抗を覚え、ほうじ茶にすることにした。


 お湯を沸かし、ティーバッグを出す。その間に食器の準備だ。

 自分の分と亜里沙専用のカップ、そして、使われることのない来客用のカップを出す。

 この家に客が来ることなどない。実の父ですら寄り付かないのだから。

 

 先生は机に両肘をつき、亜里沙をしげしげと眺めている。

 それに負けじと、亜里沙は彼を睨みつけている。

 楽しそうな先生に対して、亜里沙は何とか踏ん張っているようだが、旗色が悪い。

 

 淹れ終わった茶を持ち、悠馬は亜里沙と自分の席にほうじ茶を置く。

 先生の分は後回しにした。

 

 先生の正面に座っていた亜里沙を促し、隣の席に移す。

 悠馬は先生と向かい合った。先生が紅茶を手にする。


「大丈夫だよ。悠馬から亜里沙を盗ろうなんて考えていないから」


 一口、口を付けると熱そうに舌を出した。悠馬も猫舌だ。

 二人の目を気にしたのか彼は照れ笑う。そして、目を細めて放った。


「ただ、俺の殺した亜里沙も同じ顔だったなって、懐かしくなったんだ」


 あの時と同じ感覚だった。

 亜里沙と先生がいるにも関わらず、感情がこみあげてくる。

 先生が亜里沙を殺したという事実が自分の中でどれだけ重要なことか理解できる。


「おっと、悠馬。そんな顔、できるんだ」


 楽しそうに笑う先生に心底腹が立ち、悠馬は何も言わずに彼に鋭い視線を送る。

 先生はおどけながら言葉を続ける。


「こっちの亜里沙も殺してあげようか」


 悠馬はほうじ茶の入ったカップを先生に投げつけていた。

 それは怒り任せに投げたせいで照準が定まらず、先生の後ろの壁に当たって落ちた。

 砕けたガラスが地面に光る。


「そんなに怒るなよ。冗談なのに」


 ほうじ茶を浴び、頭を濡らした先生が苦笑する。その態度すら気に入らない。


「早く帰れ」

「まだ来たばっかりだろう」

「いいから早く」

「まあまあ、いいじゃん」


 先生は髪から水滴を払うように頭を一振りすると、もう一度、椅子に深く腰を掛ける。

 目線は壁に掛けられたカレンダーに向かう。


「この世界、面白いよね」

「は?」


 抑え切れない苛立ちは刺々しい声となって悠馬の外に出る。

 だが、先生はそんなこと気にもしない。


「時間が進んでいるんだ。悠馬と亜里沙、もう高校二年生なんだろう? さっき教科書見たけど何も分からなかった」


 先生は紅茶に息を吹きかけ、一口すする。満足げに頬を緩め、顔を上げた。


「あっちは去年の冬から止まっている」


 それはきっと、悠馬がアレにとどめを刺した日だ。


「それにしてもこの世界は平和だね」


 先生が明かりの射した窓を見やる。そして、何でもない風に言葉を漏らす。


「壊そうか」

「やめろ」


 怒りに震える悠馬はいつもより低い声で言い放つ。

 それに対して先生はさも愉快げに笑い声をあげる。


「あはは、正義の味方みたい!」


 途端、後ろを向いたかと思うと棚の上に置かれていた写真立てを手に取った。

 そこには、黒峯ヶ丘に引っ越してくる前の悠馬たち家族の笑顔が写っていた。


「見ていてね」


 写真が悠馬と亜里沙に向けられた。先生が指を噛み切り、その血を写真立てに垂らす。


「さあ、黒く染まっていくよ」


 思わず息を呑んだ。

 先生の言葉通り、木で作られた写真立てが黒く染まっていく。

 まるで透明の水に黒い絵の具を落としたかのように、じわじわと侵食していく。


「もし自分の身体がこうなったら怖くない? 怖いよね」


 先生がからかうように口にする中、その黒は瞬く間に写真立てを染め上げてしまった。


「どこの病院に行っても原因は分からない。その間にも黒の進行は止まらない。じわじわじわじわ」


 黒は広がっていく。写真にまでその色が移り始める。


「そんな時、それを治せる人間が現れたら」


 先生が写真立てを愛しそうに撫でる。


「浸食は止まる。元通りになる」


 その言葉は魔法のように写真立てを先ほどまでの何の変哲もないものに戻した。


「ほら、皆縋りついてくる。面白いくらい。今まで蔑んできた人間に『助けてください』って頭を下げるんだ」


 笑んだ先生の表情はあまりに醜く、悠馬の背に悪寒が走った。

 思わず亜里沙を見る。


 この自分の内面を映したようなおぞましい顔が亜里沙の目に映るのが嫌で仕方なかった。

 だが、亜里沙はそんな先生から目を逸らさず、強く睨みつけていた。


「だから、俺は治してあげた。黒い血を飲ませて」


 先生は写真立てを手に持ち、自身の方に向ける。そして、一言。


「さあ、化け物になれ」


 写真立てに話しかける姿は異様だった。

 彼はそれを再び悠馬たちに向ける。

 写真の中の家族の姿は目の色が白黒反転した化け物になっていた。


「血を飲ますとそいつは俺のもの。俺が願えば化け物になる。命令通り何でもする。例えばそうだな」


 彼は写真立てを一瞥する。


「殺し合いをしろ」


 写真の中の家族が動き出した。

 

 幼い悠馬が醜い笑みを浮かべた。そして、父の首に手をかける。

 母親があの日のように包丁を振り回し、そんな悠馬を刺す。

 だが、悠馬は止まらず妹を殺し、母を殺し、皆を殺めた後、その真ん中に立って笑っていた。

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