第9話 見世物

 連れていかれたのは黒い炎で燃え盛る亜里沙の家の裏庭だ。

 そこには赤いススキが群生し、アンデッドたちが呻き声をあげている。

 まるで地獄の様相だ。

 

 一人の女性がその中心にいる。沙幸だ。

 

 彼女はアンデッドたちに羽交い絞めにされている。

 手足をばたつかせているが、それが無駄な抵抗なことくらい本人も分かっているだろう。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 彼女は狂ったように謝罪を繰り返す。

 先生は彼女の前に足を運び、それを見下す。


 悠馬は辺りを窺う。

 アンデッドたちは悠馬と亜里沙の周りも隙なく固めており、逃げる手はなさそうだ。


「ごめんなさい、もう失敗はしませんから」

「失敗? そんな小さなことは気にしていないよ」


 沙幸が顔を上げる。

 その瞳には小さな期待が見て取れる。


「だけど、沙幸さんは俺を裏切って外に助けを求めた」

「違います!」

「違わない」


 低くなった声に沙幸が身を震わせた。

 先生はぬかるむ地面の赤い泥を跳ね上げ、彼女に飛ばす。


「裏切りは裏切り。だから、沙幸さん。あなたは化け物になる」


 甲高い謝罪の声が赤黒い世界に響く。

 悠馬の隣から亜里沙が飛び出した。


「待て」

「邪魔をするの?」

「ああ、邪魔をする」


 アンデッドたちがそんな亜里沙に手を伸ばすが、先生がそれを制した。

 頬に冷や汗を流しながら、亜里沙は震える声を必死に絞り出している。


「姉さんに手を出すな」


 その勇気は褒められてしかるべきだろう。だが、その姿は悠馬に苛立ちを浮かばせた。

 いつもは沙幸に反抗的な亜里沙だが、やはり結局は家族なのだということを見せつけられる。

 

 ただ、苛立ちを覚えても表面に出ることはない。実際、噛みしめるのは一人になってからだ。  

 だから、ただ亜里沙が心配だとでもいうように手を引くことができる。


「何をするんだ、悠馬!」

 

 亜里沙が叫べども、悠馬はただその身体を引き寄せる。

 目の前の先生がもし自分と同じなら、この後沙幸が想像もできない責め苦に会うのは目に見えている。

 そして、亜里沙がそれを止めようとするのであれば、亜里沙にまで危害が及ぶ可能性がないとは言えない。


「そう、邪魔をしないのが正解。黙って見ていて。きっと楽しいから」


 先生は声を弾ませると、ポケットから小型のナイフを取り出す。

 セーターの袖をめくり、腕を出すと、そこに刃を這わせた。

 

 自然とブレザーに隠れた自分の腕をさすっていた。

 他人事のようで自分事のような奇妙な感覚に襲われる。

 

 先生の腕から溢れ出した血の色は、黒だった。

 沙幸が首を何度も何度も横に振る。


「嫌だ……いや、だ」

「大丈夫です、沙幸さん。化け物になってしまえば、何も怖くありませんよ」


 先生が沙幸の顎を掴んだ。

 上を向かせ、その口に黒い血を注ぎ込む。


「沙幸さんは化け物になる」

 

 沙幸の喉が鳴った。

 その口から真っ赤な血が噴き出る。先生は彼女から距離を置き、それを眺めている。

 血は留まることを知らず、その口から吐き出される。

 沙幸の足元に赤い水たまりができる。

 そして、身体を痙攣させると、人間のものとは思えない奇声を上げた。


「アハ、アハハハハハハッ!」


 狂気的な笑いが世界に木霊する。

 身震いする亜里沙から、掠れた声が漏れる。


「姉さん……?」


 それは亜里沙の声に応えることはなかった。

 沙幸だったその化け物の目は白黒反転していた。

 先生が区切りをつけるように手を打つ。


「はい、ということで化け物の完成!」

「悪趣味だ」


 追いつかない感情の中、精一杯先生を睨むと、彼はさも愉快げにそんな悠馬を見やる。


「これはまだ序章。見世物はここからだよ」


 先生はアンデッドたちの顔を見渡す。

 選別するかのように一人一人に指を向け、やがてその手が止まった。


「ねえねえ、亜里沙のお父さん。こっちに来てよ」


 現れたのはどこからどう見ても化け物だった。

 目が飛び出し、顔は傷だらけで、一部は腐り落ちている。

 亜里沙の父、と先生は言ったがその面影も捕らえられない。


「随分いたぶっちゃったからさぁ、ちょっと分かりづらいんだけど、これ、亜里沙のお父さんね」


 状況にそぐわぬ照れ笑いを浮かべ、先生はその化け物を紹介するように手を広げる。

 そして、同じく化け物となった沙幸を手招き、二人を相対させた。


「さあ、今からこの二人に殺し合いをしてもらいます!」


 飛び出ようとする亜里沙を引き寄せ、視界を遮るように抱え込んだ。

 今から目の前に広がる光景が見えないように、強く胸に押し付ける。


「よーい、スタート!」 


 始まったのは世にも陰惨な殺し合いだった。

 化け物となった二人に痛みはないのか、ひるむこともなく、狂気的な笑い声をあげながらお互いの手を掴み、もぎ、地面に叩きつける。

 肉が裂ける音、骨が砕ける音、跳ねた血が悠馬の頬を濡らした。


 目が釘付けになった。

 その殺し合いは一瞬だったかもしれない。だが、一時間だったかもしれない。

 その感覚を失うほど、悠馬はその光景に魅入られていた。

 

 銃声が天に響く。

 その音で我に返った。

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