第8話 復讐を成し遂げた化け物のワンダーランド

 インスタントコーヒーの瓶が入っている場所も、スプーンのありかも全て悠馬の住む家と同じだ。

 やがて、コーヒーの香りが漂ってくる。


「お待たせ」


 目の前に差し出されたカップを見て、悠馬は首を傾げる。


「赤いんだけど」

「赤いよ」


 さすがに口を付ける気にはなれない。

 悠馬はそれを放置し、先生に向き合う。


「あったかいうちに飲みなよ」

「いらない」

「せっかく淹れたのに」


 残念そうに眉を下げると先生はカップを自分の方に引き寄せ、赤い液体を一気に飲み干した。

 おいしそうにそれを飲む姿は血をすする化け物のように見えた。その一方でその姿は自分自身でもあった。

 

 カップを置き、一息つくと先生はもう一度悠馬と亜里沙の顔を交互に見る。


「ねえ、二人は本当に俺の知っている『篠倉悠馬』と『高梨亜里沙』なの?」

「君に話すことなんてこれっぽっちもない」


 腕を組んで顔をそむける亜里沙に苦笑し、先生は悠馬に顔を向ける。

 だが、悠馬とて聞かれても分からない。首をひねる。


「分かった。じゃあ、質問するね。亜里沙、ちょっと耳をふさいでおいて」


 何を言うつもりなのだろうか。

 悠馬は少し身構えた後、深く息を吸う。

 亜里沙の方を向き頷けば、彼女は渋々といった様子で両耳をふさいだ。


「さて、篠倉悠馬に尋ねよう」


 ごくりと唾を呑む。


「初めてグラビアの写真集を買ったのはどこの書店?」


 答えは決まっていた。


「書店じゃない。電子書籍」

「正解」


 先生が満面の笑みを浮かべた。亜里沙が強く机を叩く。


「君たちはそれでいいのか!?」

「耳ふさいでって言ったのに」


 先生が不服げに呟く。

 悠馬とてあまり聞かれたくなかった。だが、この方法を取る先生には感心した。

 これは確実な確認方法だ。

 

 先生は悠馬の顔をまじまじと見る。


「さっきから思ってたけど、表情が少ないよね。俺より」


 確かに先生の表情は豊かだ。

 感情と表情も一致しており、タイムラグがない。

 悠馬もそこが気になっていた。

 それが目の前の先生と自分を隔てている気がする。

 

 先生がこちらの瞳を覗き込み、嫌な笑みを見せた。


「そっか。あれより前の俺か」

「あれ?」


 亜里沙が不審そうに尋ねる。

 先生はそれを笑いながら流し、ひじ掛けに手を置く。


「それで、悠馬と亜里沙はどこから来たの?」

「踏切」


 悠馬は短く答える。

 先生は声をあげ、手を打った。


「ああ、あの踏切から来たんだ。あれ、何か知ってる?」

「こっちが教えてほしい」

「ええ? 困ったなぁ」


 先生は腕を組み、小首をかしげる。

 だが、首を左右に振るとあっけらかんと口にした。


「まあ、別に何でもいいか。面白いし」


 さて、と両肘を机につき顔の前で手を重ね、彼は余裕たっぷりに微笑む。


「次はそっちの番。俺に何を聞きたい?」

「この世界は何だ」


 悠馬の口が開く前に、亜里沙が問いかけていた。

 帰り方を聞きたかったのだが。

 

 しかし、こちらの存在を、踏切のことを知らない先生に尋ねても意味はないのかもしれない。

 先生は亜里沙の質問に、さも満足げに頷く。


「よくぞ聞いてくれました。二人はどう思う?」

「もったいぶらず早く言え」


 苛立つ亜里沙を面白がり、その視線は悠馬に移る。


「悠馬は分かるよね?」


 亜里沙が弾かれたように悠馬を見た。

 不安そうなその表情を目に映してしまった今、質問に答えたくはない。

 悠馬は首を横に振った。


「嘘つき」


 先生がにやりと口元を歪めた。

 その醜い表情はまるで自分の内面を映しているかのようだった。

 鏡を見ているよりも生々しくいやらしい。


「まあいいや。分からない悠馬と亜里沙に教えてあげよう」


 わざとらしく間を置くと、彼は口を開いた。


「ここは俺とアレの世界」

「アレ?」


 亜里沙は訝し気に問いかけたが、悠馬は納得した。

 悠馬もアレの名を知らない。「アレ」と呼ぶことしかできない。


「復讐を成し遂げた化け物のワンダーランドさ」


 腑に落ちた。

 先生はあの日、悠馬とは別の道を選んだ篠倉悠馬だ。

 自分に素直になった篠倉悠馬の姿なのだ。

 

 先生が席を立ち、二人を手招く。


「ちょっとした見世物をやるからおいでよ。きっと楽しいからさ」


 どうやら外に出るようだ。廊下にはやはり真っ赤な惨状が広がっていた。

 母と妹の友梨佳ゆりかの顔が頭に浮かんだ。

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