第5話 怯える彼女のその先に

 二人は用水路の通る細い道を行く。水は赤黒く濁っている。

 曲がりくねるその道は見知ったものだった。

 だが、そこから見える景色はひどくおかしなものだった。

 

 空を見上げると、木が生えている。

 廃墟から巨大なぬいぐるみが頭を突き出している。

 地面にはまちばりが刺さり、花壇には内臓が花を咲かせている。


「なんなんだ、これは……」


 亜里沙の頬に冷や汗が伝っている。

 本当に何なのだろう。

 実感の湧かない悠馬は半ば呆れながら世界を見やる。

 荒唐無稽な悪夢でももう少しましだろう。


「ひっ」


 小さな悲鳴は足元の感触から来るものだろうか。

 悠馬も違和感を覚えた。

 踏み出した地面は柔らかく弾力のある赤色で、脈打つそれはまさに生き物の肉体そのものだった。

 この先は全て肉の一本道。


「大丈夫?」

「馬鹿にするな」


 誰の目から見ても強がっているのが分かる亜里沙だが、ここでそれを指摘するときっと機嫌が悪くなる。

 悠馬が微笑みながら謝ると、亜里沙はふんっと鼻を鳴らした。 

 

 この道を抜ければ悠馬の家の近くに出るはずだ。

 つまり、踏切からも近い。

 何とか足を進め、遮断機が見えるところまでやってきた。

 だが、警報音は鳴ったまま。まだ、踏切は開いていないらしい。


 茂みに身を隠しながら、二人で遮断機が開くのを待つ。

 だが、待てど待てど、警報音はやまない。

 加えて踏切の周りにアンデッドたちが集まってきた。

 

 後ろの木々がざわめいた。

 驚き身を跳ねさせた亜里沙の身体が草を揺らす。

 アンデッドがこちらを向いた。

 悠馬はリュックを下ろし、それをアンデッドの方をめがけて投げつける。

 そして、亜里沙の手を取る。


「走るよ」


 強く握り返された手を掴み、再び逃走が始まる。


 なんとか踏切の近くに留まろうと、二人で辺りを周回する。

 悠馬の家の近くをうろつく形だ。

 おかしな色彩の林に隠れ、廃墟となった家に入り込み、時に一本道をひたすら走る。

 

 体力の限界はもうすぐ来るだろう。

 悠馬は逃げ込んだ廃屋の窓から踏切を見やる。


 まだ開かない。いつ開くかも分からない。

 だが、自分が囮になれば、きっと時間は稼げるはずだ。


「今から別行動をしよう」

「何を言っているんだ?」


 訝しげな亜里沙に笑いかけながら、靴ひもを強く結びなおす。


「俺が行ったら亜里沙は踏切の方に走るんだ。なんとか隠れて、踏切が開いたら帰ってほしい」

「何を馬鹿なことを言っているんだ!」

「助けを呼んできてほしいんだ」


 取って付けたような嘘を口にする悠馬に、亜里沙が奥歯を食いしばった。

 まるで子どもに言い聞かせるように、悠馬は亜里沙を諭す。


「二人で助かるにはそれしかないんだよ。お願いしていいかな?」


 俯きながら首を横に振る亜里沙の瞳から涙が落ちた。

 透明の雫が赤黒い地面に落ち、その色を流した。

 亜里沙は制服の裾を握り、何度も何度も首を横に振る。

 悠馬は小さく笑った。


「じゃあ、行くね」


 扉から鈍い音がした。

 悠馬はとっさに亜里沙をかばうように抱え込む。


「誰かいるの……?」


 現れた人物に目を見張る。

 沙幸さゆきだった。

 

 だが、彼女にいつもの高圧的な雰囲気はない。

 むしろ、何かに怯えて身体を縮こまらせている。


「先生!」


 沙幸が悠馬を見るなり、突然首を垂れた。


「申し訳ありません、申し訳ありません! 二度と、二度と失敗はしませんので、どうか、人間でいさせてください!」


 何を言われているの分からなかった。

 どうやら沙幸は悠馬のことを「先生」と呼んでいるらしい。

 だが、それ以外の言葉が何を意味しているか分からない。

 

 悠馬の腕にくるまれた亜里沙がその隙間から顔を出す。


「姉さんじゃないか。こんなところで、何をしているんだ?」


 心底驚いたというように声を上げる亜里沙を、沙幸もまた驚きのこもった瞳で見つめている。


「亜里沙、生きていたの?」

「ボクは生きているが?」


 先ほどの悠馬同様、亜里沙も何を言われているか分かっていないようだ。

 それもそうだろう。

 死んだ覚えなどないのだから。

 沙幸が口元を押さえ、嗚咽をこぼす。


「先生、ありがとうございます。亜里沙を生き返らせてくださったんですね」


 そのまま泣き崩れてしまった沙幸をどうすることもできず、二人はただ唖然とそれを見やるばかりだ。

 亜里沙が恐る恐る沙幸の傍に寄り、その背をさする。


「姉さん、本当に何を言っているんだ? ボクにも分かるように説明をしてくれるか?」


 だが沙幸は泣くばかりで、答えを与えてくれることはない。

 困り果てたように亜里沙が悠馬に視線をやるが、悠馬とてどうしたらいいか分からない。

 小さく首を傾げると、亜里沙は苦笑した。

 そして、叫ぶ。


「後ろだ!」


 その声に飛びのくように悠馬は横へ逃げる。

 そこには一つの人影があった。

 薄暗い廃屋の影に顔が隠れてよく見えない。


「亜里沙……?」


 彼は言った。

 その声はひどく聞き覚えがあった。

 

 一歩一歩近づいてくるそれに、悠馬は後退りし、亜里沙と沙幸をかばうように手を広げる。

 窓の外から赤みがかった光が射す。

 彼の顔を映し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る