第2話 踏切

 桜屋敷さくらやしき駅を過ぎると、いよいよ山深くなってくる。

 窓から見える景色も木々ばかりになり、吉駒よしこま駅周辺の街々も見えない。

 遊歩道がちらりと姿を見せるが、名ばかりの山道であることは明らかだ。

 近隣の住民はこのケーブルカーを頼りに生きているといっても過言ではないだろう。

 

 最終駅である黒峯ヶ丘くろみねがおか駅に到着する。

 見上げるとまだ頂上は先だが、ケーブルカーの線はここまでしか届いていない。

 吉駒山の頂上には何もないからだ。

 

 だが、悠馬はその存在を知っていた。

 吉駒山の山頂には神社がある。

 だが、彼がそれを口にすることはない。

 

 駅に降り立つのは悠馬と亜里沙を含めて四人。

 あと二人は岩口と清水というごく一般的なサラリーマンだ。

 四人は無人駅の箱に回数券を放り込んだ。

 

 悠馬と亜里沙は東側に、岩口と清水は西側に家がある。

 悠馬は去り際にも二人に軽く会釈をしたが、二人が応えることはなかった。

 向けられる目線は怪訝なもので悠馬はそれに慣れ切っていた。

 そして、聞こえてくる話ももう何度も聞いたものだった。


康則やすのりも面倒なものを残していったな」

「早く出ていけばいいのに」


 康則とは悠馬の父のことだ。父は黒峯ヶ丘の出身で、そして、あの事件の後ここを去り、悠馬だけが残った。

 彼らは悠馬に聞こえるように陰口を叩いている。悠馬とて分かっている。

 そして、それもどこか他人事で怒りすら湧いてこない。


 今は――。

 

 小さくため息をつくと、隣の亜里沙がブレザーの袖を引いた。


「あんな奴らの言うことなんて気にするんじゃないぞ」


 不貞腐れた顔の亜里沙に小さく頬が緩んだ。

 亜里沙は噂話や陰口が嫌いだ。

 それゆえの怒りだろう。

 だが、こちらを気遣ってくれているような、そんな幸せな錯覚を悠馬は錯覚と信じていた。

 

 ところどころひびの入ったコンクリートの一本道を行く。

 黒峯ヶ丘は四十人ほどの集落だ。

 左右に伸びた一本の道沿いに点々と家が存在している。

 山の中腹にあるため、なかなか人口も増えず、高齢者も多い。

 この集落で一番若いのは高校二年生、十七歳である悠馬と亜里沙だ。


「おかえり、亜里沙」


 ベランダで洗濯物を干していた女性がこちらに手を振った。

 亜里沙の姉の沙幸さゆきだ。


「こんにちは」


 沙幸は悠馬の挨拶を無視し、目に映そうともしない。

 亜里沙はげんなりといった様子で肩を落とす。

 そんな亜里沙を沙幸は心配そうに見やる。


「また寄り道をするの?」

「ああ、そうだ」


 沙幸がため息をついた。


「亜里沙、目を覚ましなさい。あの家は呪われているの。関わると不幸になる、不幸にされる」

「姉さん!」


 亜里沙の叫びが空気を震わせる。

 いつものことだが、亜里沙の声は大きく、悠馬の耳に響く。

 威嚇する猫のように沙幸を追い払うと、亜里沙は唇を噛みしめて小さく震えた。

 

 沙幸の言葉は悠馬のトラウマを抉る最大級の侮辱だ。

 それでも何も感じなかった。


「うちに来るの?」

「……。紅茶が飲みたい」


 俯く亜里沙に、悠馬は微笑む。


「サツマイモチップス、食べようね」


 亜里沙は黙って頷いた。

 沙幸の侮辱はいつものことだ。

 いや、この集落の人間に蔑まれるのは慣れている。

 

 黒峯ヶ丘の田舎の景色にそぐわない白い壁の近代的な家が見えてくる。

 それは悠馬以外誰も住んでいない家でもある。

 

 だが、学校帰りには必ずと言っていいほど亜里沙がやってくる。

 悠馬が感情を取り戻す一人の時間を邪魔する。

 それはとても煩わしく、たまらなく愛おしい時間だった。

 

 あの時あの選択をしていたら、きっとこうはならなかったはずだ。

 もう一つの道を選んだ存在すらしない自分に嫉妬した。


「え……」


 亜里沙の声で我に返る。

 不安げな声に彼女を見ると、その瞳が正面に釘付けになっている。

 視線を追うと、そこにはあるはずのない踏切。

 

 見れば見るほど異様だった。

 この黒峯ヶ丘にはケーブルカーしか通っていない。

 確かにケーブルカーの路線を跨ぐ踏切はある。

 だが、この位置ではない。真逆の西側にある。

 これ以上東側に行ったとて、森しかなく、踏切を作るべき線も通っていない。


 どくん、と何かの音が聞こえた。

 それは悠馬の心音と共鳴する。

 

 この音は知っている。

 だが、もうこの世にあってはならない音だ。

 怒りを、憎しみを体現したようなこの心音は、あの日、自分がこの手で――。

 それでも、惹かれてやまなかった。

 

 踏切の警報音が止み、遮断機が開いた。

 

 この先にあの化け物がいるとすれば、再び選択肢を得ることになるのではないか。

 悠馬の足は自然と踏切の先へ向いていた。


 懐かしく、おぞましい音が近づいてくる。

 踏切を渡り切った。

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