第二話 過ち

 ――家着いた~


 まさくんからのリンク。

 心の中に若干のモヤモヤが渦巻いて、私は返信を躊躇った。

 私は鍵を出してとりあえず家に入ることにした。


「ただいまー」


 家にはまだ誰もいなかった。猫だけがぐるぐると喉を鳴らして歓迎してくれる。いつも通り。

 猫のトイレを見て、散らかしていないか確認する。いつもは嫌がるのに、なぜか今日は少しでもいいから汚れていてくれなんて思った。幸か不幸か、トイレは汚れていなかった。まあ、今朝気持ちのいいお手洗いをお済ませになっていたから、今日はもうしないのはわかっていたんだけど。

 私はいつも通りの所作を終えて、自分の部屋に入り、机に向かう。

 そして項垂れながらスマホを眺めた。


 ――家に着いた~


 この返信にとりあえず反応しないといけない。既読をつけてしまったから。

 いつも通り打つだけ。

 私はとりあえずのメッセージを打ち込み送信した。


 ――おかえり(ニコニコ) 私もだよ


「はぁ……」


 大きなため息を吐きながら画面を閉じて目を瞑る。

 少し前まで彼への返信はウキウキでしていたはずなのに、なぜか今はとても億劫に感じる。今日は特に億劫だ。


 やはりマンネリ化しているからだろうか。

 雅くんが私に告白したのは去年の冬だった。


「好きです。僕と、付き合ってください」


 彼から向けられる真っ直ぐな気持ちにグッと来たのを覚えている。


「はい」


 クリスマス前の十二月、皆が浮足立つ時期に、私と雅くんは付き合い始めた。

 案の定、私たちも恋人とのクリスマスに期待を膨らませていた。

 クリスマスは最高の一日だった。去年は二十四日が日曜日だったこともあり、目一杯楽しむことが出来た。

 二人で映画を見て、カフェに行き、イルミネーションを見て、キスをした。

 夢に見たロマンチックな出来事の数々に胸が一杯になった。

 雅くんがその時にくれたクリスマスプレゼントのネックレスは今でも私の宝物だ。


 しかし、それ以降、私と雅くんが出掛けることはあまりなかった。

 雅くんはバスケ部で、平日は火曜日以外活動しており、土日も試合があることがほとんど。私も合唱部の活動が平日の月曜日から金曜日まであるためタイミングが合わない。ちなみに、雅くんは塾にも通っているから、火曜日は学校に残っているわけにはいかないし、私も合唱部の後はすぐに帰宅するように親に言われていた。流石に門限が厳しいと思い、勉強という理由にかこつけて、私は高二に上がるタイミングで雅くんと同じ塾に通うことにした。しかし、塾は塾で勉強が大変だし、折角帰りの時間が一緒でも私の最寄りが近いせいで一緒に居られるのはせいぜい三十分程度。塾も毎日あるわけじゃないから、月曜日と水曜日は帰り道で雅くんと会うことはない。

 と、こんな具合に二人でいる時間をなかなか確保できず、私はこの関係性がマンネリ化しているように感じている。


 本当はカラオケにも行きたいし、一緒にご飯を食べにも行きたい。けど、最近それが出来たのは三月だったろうか。本当は六月にも出かける予定だったが、よりもよって雅くんが体調を崩してしまったのだった。

 ……最後にキスをしたのも、三月だったんだ。

 それを思うと胸の奥が鈍い痛みに襲われた。心が沈む。

 私は何も考えたくなくなったが、やらなければならない宿題を思い出し、のっそりと鞄を引き寄せる。

 そうして、もそもそと教材を鞄から取り出しているとスマホが鳴った。

 ああ、また通知だ。

 のそのそと這い上がるようにして鞄から机の上のスマホへと身体を向ける。

 レンガのように重く感じるスマホを傾け、気だるげに電源ボタンを押す。

 私は、油断していた。

 通知画面を見ると、そこには「とおる」の文字があった。

 私は目を見開いて飛び上がった。そして両手でスマホを掴む。


 ――さっきはありがとう!久々に話せて楽しかった。ところで……


 通知は丁度いいところで見えなくなっている。リンクの通知画面はメッセージの一部までしか表示してくれない。

 私のスマホでは全文確認するにはメッセージを開かないといけないが、それでは既読がついてしまう。

 どうしようと私は困った。

 すぐに確認したら気があるみたいに思われてしまいそう。

 でも、「ところで……」の後がとても気になる。

 どうして通知画面はあんな微妙なところで切れるの??

 もしかして沢村さわむら君はそれを想定していた??

 何考えてんの、私のバカ!

 なんてことをうだうだと考えていると、またスマホが鳴った。

 私は慌てた。慌てすぎて一瞬スマホを落としそうになる。私は落ち着いて、発泡スチロールを持つように優しくスマホを持ち直した。

 しかし、私は通知を見て少し萎えた。いや、嘘、萎えて、ない。うん、萎えてない。

 通知画面には「雅くん」と書かれていた。


 ――おかえり(ニコニコ) ところで塾の国語やった?あれめちゃくちゃ難……


 スマホが岩のように重くなった。

 国語の宿題……。やってない……。これからやろうとしてたやつ、難しいのかぁ。

 いつもならもうちょっと指が動くのに、なぜか今は指がまったく動こうとしなかった。

 やること、やらないといけないことはあるのに、退屈が全てに勝っていた。いや、全てではない。

 私はリンクを開いた。そしてピン留めの下に一番最初に来ていたメッセージを開く。


 ――さっきはありがとう!久々に話せて楽しかった。ところで、来週の土日空いてる?


 先程の「ところで……」の続きにはお誘いの文字があった。

 確か予定は入れていなかったはずだ。念のためスケジュールを開く。確かに「私の」予定は入っていなかった。しかし、来週の土日は雅くんが遠くの高校に練習試合に行くタイミングだった。

 私は我に返った。

 ……私、何してるんだろう。

 彼氏が頑張って練習をしているのに、私は……。

 でも、何かを求める自分の心が、私の指を動かした。


 ――こちらこそありがとう!私も楽しかった。 土日、空いてるよ!


 私はすぐにリンクを閉じて机に顔を突っ伏した。

 やってしまった。

 胸がバクバクと鳴っている。

 何かとてもしてはいけないことをしている実感がありながら、私はその感覚をどこか楽しんでいるようだった。

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