紫の花に勇気を
川野狼
第一話 新鮮さ
「おお、このペン可愛い!」
「ね、可愛い」
それが私たちにとってのここ最近での「新しい」会話。
何も面白味のない日々に落とされた退屈な会話。
「どうしたの?元気ない?」
「え、そんなことないよ……?」
実際はそんなこと大アリだが、彼氏の前で元気ないとは言えない。(ってか、「元気ない?」なんて直接聞くなっての。「そんなことないよ」しか言えるわけないじゃん!)
「そう、ならいいけど」
少し疑っているようだったけど、雅くんはすぐに気にしなくなった。
気にしないんだ……。
雅くんは新しく買うことにしたお揃いのペンを持ってレジに向かう。私はそれを一歩後ろからついていく。
雅くんはちゃっちゃと会計を済ませて私にお揃いのペンを渡してきた。
「はいこれ」
「ありがとう、お金――」
「いいよ、あげる」
「でも……、うん、ありがとう」
雅くんは優しく微笑んだ。
雅くんは、アルバイトをしているからか、色々な物を私に買ってくれる。勿論嬉しいことではあるが、もっと自分自身のためにお金の使い方を考えた方がいいのではないかと私は思ってしまう。贅沢な物言いだろうか。
とは言いつつ、私は今まで無理にお金を渡すことはなかったし、もらう度に「ありがとう」と笑顔で伝えていた。今日はきっと不愛想だったけど……。
「また明日ね」
「うん、また明日」
今日も私の最寄り駅に着くと雅くんとさよならをする。いつもと同じ。帰りの寄り道デートはここまで。
電車を降りて、ドアが閉まって、雅くんに手を振って、電車が行って、雅くんが見えなくなって……。
少し前まで妄想で憧れていた日常が、他愛無い日常へと風化して、今では退屈な作業になってしまっていた。いやいや、言い過ぎか?でも、贅沢にも心の中の私が無意識にそう囁いている。
無機質な改札を抜けて、気だるげに左右の脚を交互に動かしなんとか進む。
癒しになるはずの関係が足枷になっているなんて考えたくもなかった。
暦上は秋とは言え、九月の日差しは今日も厳しく、日陰でないと脇の下が大変なことになる。
私はさっさと暑い外とはおさらばし、駅前のスーパーの中に入る。
涼しい風が私を包み、一気に体温を下げていく。
うん、案外寒いかも。
私はお母さんから頼まれていた買い物をすぐに済ませることにした。今回のお使いは袋麺とピーマンにキャベツ。学校からの帰りの女子高生に頼むお使いではないと私は思うが、仕方ない。幸いクラスメイトや友達に私と同じ最寄りの人はいないから、なんとか耐えだと思っている。
袋麺とピーマンを順調に発見。そして残るはキャベツ
キャベツ、キャベツ……、一体どれがいいキャベツ……?
私はピーマン同様、スマホで鮮度の良いキャベツの見分け方を調べていた。
「つむぎ……?」
右から突然声を掛けられた。
見るとそこには見知らぬ男性が立っていた。
スラッとした体格で、茶髪の、吊り目な三白眼で、鼻が高く、顔が整った少し年上っぽい男の人だった。雰囲気はチャラそうだったが、その声は優しく聞こえた。
でも、誰だかわからなかった。
「あれ、もしかして覚えてない……?」
私は固まった。
「
「……」
しばし考える。記憶の引き出しをいくつか開けたタイミングでヒットする。
「あー!沢村君か」
沢村徹は中学二年の時のクラスメイト。特に仲が良かったわけでもないが、それなりに会話をしていた。中学三年生の頃には障害物競走で目立っていたこともある彼だが、そこまで陽キャというわけでもなく、陰キャというわけでもなく、中間的な、よくいる感じの好青年的な男子中学生だった。懐かしい。雅くんと仲良くなりそうな感じの男の子だった。
と、そこまで思い出して私は我に返った。
私、今何してるんだっけ……?
「あ……」
学校帰りで高校の制服。右手にはスマホ。左手には袋麺とピーマンの入った買い物カゴ。
なんとも恥ずかしい状況だった。
なんとかして誤魔化さなくては……!
「あ、えっと、久しぶり……」
私は彼、沢村君に向き直りつつ、しれーっと買い物カゴを背中に回した。
「いやぁ、本当に久しぶりだわ」
幸い、沢村君はあまり気にしていないようだった。
「だいぶ印象変わったね、高校に入ってもう2年だもんなぁ」
「まあね、でも、沢村君こそ雰囲気だいぶ変わったね」
うん、本当に、どうしたんだというくらい雰囲気が変わっている。
中学の時は変には目立たない、皆に好かれる落ち着いた感じの男の子だった彼は、今はすっかりチャラそうな感じになっている。学校はわからないが、高校には行っていたはず。どちらかと言えば真面目な彼はどこに行ったのやら……。
「そう?あ、でも中学の頃からは思いっ切り変わってるな。髪も染めたし」
「そうだよ。茶髪にするとは思わなかった」
「そう?変?」
「……いいや?」
「何だよその間」
沢村君はケラケラと笑った。
変だとは思わなかった。むしろ、茶髪が意外と似合っていたからびっくりしていた(半袖のロックなTシャツに、控えめなアクセントがついた細い銀色のネックレス、少し大きめのジーンズのせいかもしれないけれど。きっと右手にもっている黒いジャケットを着たらもっと映えるのだろう)。
「つむぎ?」
ぼーっとしてると私を沢村君が呼ぶ。雅くんとは違う迫力のある声。
そういえば……。
「どしたの?」
「あ、ううん、ところで、沢村君って私のこと名前呼びだったっけ?」
「あ、ごめん、名字呼びだったっけ?俺もそれ自信なくって」
俺……。
彼はすっかり変わってしまったらしい。
「嫌か、戻すわ」
「あ、いや、別にどっちでも」
「そう?なら名前呼びでもいい?なんかそっちのがしっくりくるんだよね」
「あ、う、うん、いいよ」
つむぎか……。
雅くん以外に呼ばれるのはどこか新鮮だった。
そこまで考えてようやくちょっと申し訳なくなった。
なんだかんだでいいよって言っちゃったけど、私、名前呼びなんて彼氏以外の男子からされてない……。
まあ、ただの名前だし。
そう思ったら思ったで、彼氏に呼ばれている特別感に傷がつきそうで、このことを考えないようにした。
「ありがと。そういえば、何買うの?」
「え、あ、いや、これは……」
後ろに隠していた買い物カゴを覗こうとする沢村君の視線を自分で遮ろうとする。
「おつかい?」
「うん、まあ、そう」
「キャベツ?」
「うん」
私が少しぎこちない返事をするも、沢村君は気にしない様子でキャベツを手に取り始めた。
「ちょうど俺もそうだったんだよ。お母さんに頼まれてて」
「そうだったんだ……?」
なんと奇遇な。そんなことあるんだろうか。まあそうでもなければ会うことはないだろうけど……。まあ嘘でもなんでもいいけど。もしかしたら私に気を遣ってくれたのかもしれない。雅くんならこんなことは出来ないだろう。
またぼーっとしていた私は我に返り、沢村君を見た。
沢村君は私に半分に切られたキャベツを一つ差し出してきた。
「これいいんじゃない?」
「え……?」
「キャベツ。あ、一玉で買うんだった?」
「あ、ううん、半分の」
「よかった。たぶんこれがいいやつだよ」
「わかるの?」
「うん」
「ありがと」
「俺はこれにするわ。行こ」
「うん」
私は沢村君に言われるがままだった。けど、嫌な気はしなかった。新鮮だった。
沢村君が「他に買うものはないか」と訊いてきた。私は「ない」と答えて、二人でレジに向かい会計を済ませた。
「お待たせ」
私が袋に食材を入れ終わり、先に外に出ていた沢村君に合流する。
「よし、行こ」
沢村君は歩き出し、私はその隣を歩く。
沢村君が口を開いた。
「二年ぶりか。どこ高だっけ?」
「蒼士ヶ谷高校」
「はあ、流石頭いいのは変わらずだ」
沢村君はケラケラと笑った。
「沢村君はどこだっけ?」
「俺は緑ヶ丘だよ」
緑ヶ丘高校は蒼士ヶ谷高校とは真逆の方向にある高校だ。ここからはそれなりに距離がある。
「ちょっと遠いね」
「まあね。でもいいところだよ」
沢村君の表情は少し柔らかくなった。彼にとって今の高校は本当にいいところらしい。
「そうみたいだね。高校では何してるの?部活とか」
「サッカー部かな」
意外だった。確かに今の彼が所属していてもおかしくないが、中学の頃からは予想がつかない。運動が苦手な印象はなかったが、自分から何かスポーツをするような人だったろうか?そこまで詳しく覚えてはいないが、確か中学の頃は……。
「そうなんだ?でも、中学の頃って何部だったっけ?」
「中学?中学の時は美術部だったよ」
「そうだよね」
「サッカー部なの意外?」
「うん、ちょっとだけ」
沢村君は「まあ中学の時とはだいぶ変わったかもねぇ」と言い、前を向く。
「生徒会は?」
「いや、やってない。意外?」
「うん」
「あれ意外と大変なのよ。今の俺はやらないよ」
沢村君の「今の」というワードが引っかかったが、私は詮索しないことにして「ふーん」とだけ言う。沢村君は私の方を見て言った。
「つむぎは高校で何してるの?部活とか色々」
「私は合唱部だよ」
「変わらないのは成績だけじゃなかったのか」
「からかってるの?」
「別に」
沢村君はまたケラケラと笑った。
「他には何かやってるの?」
「あとは、文化祭の実行委員やってる」
「文化祭?いつなの?」
「九月の二十一と二十二」
「ちょっと早い?」
「まあ他の高校に比べたら若干早いかも」
「忙しいの?」
「まあね、夏休み終わったからもう本番前って感じ」
「それなら今日も準備があったの?」
「ううん、今日は文化祭の準備も部活も休みだったの」
それで、雅くんと一緒に寄り道デートしてたんだけど……。
「そういえば、沢村君、家どこなの?私勝手に自分の家の方に歩いちゃってたけど」
沢村君はケラケラ笑う。大爆笑って感じだった。
「いいよ、元々送るつもりだったし」
「え、でも、大丈夫だよ」
「気にしないで、話してるの楽しいし」
「そう、ならいいけど」
私も楽しいし。
それから、沢村君と色々とお互いの近況報告をしながら歩いた。私は思いの外その会話が楽しいことに驚いていた。とても、新鮮な感じだった。そしてあっという間に私の家に着いてしまった。
「着いちゃった。ここが私の家」
「いい家だね。一軒家っていいよね」
「沢村君は違うの?」
「うん、俺はマンションだから」
「そうなんだ」
沢村君は最後までケラケラと笑っていた。
私も笑顔になっていた。とても自然な笑顔に。
「じゃあまたね」
私がそう言ってお別れしようとすると、沢村君が呼び止めた。
「どうしたの?」
「リンク交換しない?」
そう言うと沢村君はスマホを取り出した。
「あ、うん、いいよ」
私もスマホを取り出してアプリを起動した。
「あ……」
雅くんからの通知が来ている。まったく気付かなかった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない。はいこれ」
私はなんでもないフリをして沢村君にQRコードを見せる。
「これでよし。ありがとう」
沢村君は爽やかな笑顔だった。
「今度、どこかご飯にでも誘うよ」
「え、あ……」
頭に、雅くんの顔がよぎり、返答に困る。
「じゃあね」
沢村君は私の応答を待たずにさよならを告げて行ってしまった。
「バイバイ……」
私は右手で携帯を胸に当てながら、左手で小さく手を振った。
とても、新鮮な体験だった。
私と沢村君は、リンクで友達になりました。
でも、雅くんの顔がまた頭に浮かんできた。
あ、通知。
私は急いで雅くんからのリンクを見る。
胸が高鳴っているのは、雅くんのせいではなかったかもしれない。
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