第4話

 マコトの変化は父に少し影響を及ぼした。一つは、残業を一切しなくなったこと。十八時半には判を押したように帰宅して、家族みんなで夕食をとるようになった。たまには友達と遊びに行きたいから、月に数回ぐらいは残業してくれても良いのになと思う。


 そしてもう一つは、多肉植物を育てるようになったこと。サボテンとかアロエみたいなのは辛うじて分かるが、それ以外は未知の生命体だった。

「これが月美人だろ、これがチワワエンシス、この白い毛がふさふさしているのがモシニアナムな。他にも、数珠星やクリスマス・キャロルなんかも可愛いぞ……」

 嬉しそうに語る父には申し訳ないが、全くといって良いほど興味が湧かない。母もマコトも私と同じ気持ちのようで、サンルームはほどなく父しか寄り付かなくなった。みるみる多肉植物に侵略されていく。

「そんなに買って、お金は大丈夫なの?」

「なんだ、カスミは知らないのか? 多肉植物はいくらでも増やすことができるんだぞ」

 そう言うと父は、葉挿しや挿し木、株分けのやり方を実践してくれた。

「でも、なんで急に多肉植物を育てようと思ったの?」

 父は腕を組んで少し考える。そして、神経衰弱ゲームの残り4枚のカードを捲るような慎重さで、一つひとつの言葉を紡ぎだした。


「カスミは、アポトーシスって言葉を知っているかい?」

「アポ…………なにそれ?」

「アポトーシス。分かりやすく言うと、細胞の自殺って意味かな」

「自殺? 細胞が? なんで?」

「お父さんも詳しくは分からないんだけれどさ。例えば、生まれる前の赤ちゃんの手って、最初はご飯をよそうしゃもじみたいな形をしているんだって。そして、指の隙間にあたる細胞だけが死んでいき、徐々に指の形になるみたいだよ」

「それが細胞の自殺なの?」

「そう、他にも強い紫外線で修復可能になった皮膚細胞は、自ら死を選ぶのだとか。カスミも夏の部活で練習すればよく皮膚が剥けるだろ。あれもそうなんだって」

「それに人間は健康体でも一日数千個のがん細胞が生まれるらしく、それらは身体に被害を出さないよう自ら死を選ぶらしいぞ」


 父の言葉はアメーバみたいな輪郭の曖昧さを含んでいて、ちっとも耳に馴染んでこない。それはきっと本かなにかで急に仕入れた知識だからだと思う。慌てて勉強したのだろう。

 でも、父の言いたいことは何となく理解できた。マコトが縮むこともアポトーシスの一種と考えられるのではないのだろうか。マコトという一個体を守るため、本能に組み込まれたプログラムなのではないか。ただそれを理解することと、納得することはぜんぜん違う。どう考えても、細胞たちの反逆にしか思えない。


「でさ、お父さんが多肉植物を育てる理由は結局なんなの?」

「あぁそうだったな……上手く言葉にはできないのだけれど、アポトーシスへの復讐ってのが一番近いかな」

 正直、良く分からなかった。そのことを正直に伝えたら、「お父さんも分かってないから大丈夫」と言われた。なら大丈夫なんだろう。そう思いこれ以上追及することは止めておいた。

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