第11話 知りたい人


 男が消えた場所にはガラス玉が転がっていた。レジーナはそれを足で踏みつぶす。潰されたガラスは砂のようにさらさらと消えていった。


「ごめんなさいね。人間じゃないあなたの魂は食べる気がしないわ」


 レジーナはリリアンの方を振り向く。頭の先から足の先までじっと観察すると彼女は鼻を鳴らした。


「本当に可愛くない子ね。少しは怯えなさいよ」


 リリアンは力が抜け、へたりと座り込んだ。男がいなくなった場所に目を向ける。


「この人は、私に関わらなかったら、もう少し生きていられたのでしょうか」

「はあ?」


 その言葉にレジーナは眉を寄せた。


「そんなことまで背負うつもり? あなたは食べられかけたのよ?」


 彼女は苛立たしそうに息を吐いて、こちらを睨む。


「自分が襲われたことを自覚しなさい。あなたと関わっていなくても、こんな荒らし方をすれば、いずれ他の悪魔に殺されていたわよ」

「悪魔……」


 おとぎ話ではなく、悪魔は存在していた。そして、それは神によって創られた存在……。


「……神隠しは悪魔によるものだったと聞きました。悪魔に食べられた人間の魂はどうなるのですか?」


 その問いにレジーナは「愚問ね」と言う。


「消えてなくなるわ。神のもとにいくことがなく、跡形もなく」

「そんな……。神のもとに行くこともできないのに、神隠しだと騙って人を食べるなんて」

「騙って、ね」


 レジーナは腰を曲げて、座り込んでいるリリアンの目を覗き込む。こちらを見る紅い瞳は美しく、まるで宝石のように美しかった。


「あなたは少し、考えることを覚えたほうがいいわ」

「それは……」

「何も考えていないから、こういうことに巻き込まれるのよ」


 彼女は腰に手を当てると、叱るような口調で言った。


「いい? まずは、ちゃんと顔を上げて周りを見なさい。視野を広げるために必要よ。次に、行動しなさい。そうすれば、世界が広がるわ。……そうやって、いろんなものを見て、聞いて、考えて……。いずれ、考え方が変われば、世界が変わるものよ」

「世界が変わる……」

「あなたは今、狭いところに一人で座っているだけ。そんなところで不幸だって喚いてたって、何も変わらないのよ」


 レジーナはそう言って、リリアンの顔に指をさした。


「そこから立って、顔を上げて歩きはじめなさい。まずはそれからよ」

「そんなことでいいのですか?」

「馬鹿ね。それが一番難しいのよ」


 彼女は口端を上げて笑う。リリアンは手を握り締めて、彼女を見た。


「私は変われるでしょうか」

「知らないわ。……でも、その弱気な根性を叩き直すくらいならしてあげてもいいけど?」


 その言葉にリリアンは目を瞬かせると首をかしげた。


「レジーナ様は本当に悪魔なのですか?」

「どういう意味?」

「だって、私を助けてくださったじゃないですか。今も、私にいろんなことを教えてくれている。私はあなたが悪だなんて、思えません」


 レジーナは不快そうに細い眉をしかめた。


「私があなたを助けた? そんなわけないでしょう?」


 リリアンは首を横に振って、彼女を見つめる。レジーナの紅い瞳が少し揺れた。


「私は知らないことがたくさんあります。……だから、私はあなたのことも知りたいです」


 真剣な眼差しにレジーナは身を引いた。そして、視線を逸らし小さく呟く。


「……ホント、気持ち悪い子ね」


 それだけ言って、レジーナは姿を消した。


 リリアンは一人になると、窓の外を見た。日が沈みはじめており、部屋は薄暗くなっている。

 力が抜けてしまった脚を抱えるように体に寄せて、膝に額を当てる。


「……どうしてでしょう」


 レジーナに殺されそうになったときはすべて受け入れられた。死ぬのが嬉しいこととさえ思った。

 それなのに、死ぬことを少し躊躇った。頭の中で未来を描いてしまった。


「私は……」


 脚に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。そして、顔を上げた。


「……変わり始めているのでしょうか」





 次の日、リリアンは馬車から降りて、学園の校舎を見上げた。

 人攫いが捕まり、人喰いの悪魔もいなくなった。これで学園関係者がいなくなることはなくなるだろう。


「…………」


 もとの生活に戻るだけだ。それなのに、どこか寂しい。

 ふぅ、と息を吐くとリリアンは顔を上げて歩き出そうとした。


「――リリアン」


 聞き馴染みのある声に、リリアンは足を止める。ゆっくりと振り返れば、ウィリアムが嬉しそうな笑みを浮かべて立っていた。


「久しぶりだな」


 彼はリリアンの目の前に歩み寄る。驚いた表情をして見ていると、彼は不思議そうにこちらを見た。


「どうした?」


 リリアンは咄嗟に「いえ……」と顔を隠す。


「ウィリアムがその、神隠しにあったのではと噂になっていたので、驚いて……」


 その言葉にウィリアムは眉をしかめる。


「ちゃんと学園には休みだって伝えてたんだけど……」

「そうは言っても、実は神のもとへ行ったのではないかと」

「違う違う。外せない用事があったんだ」


 彼は首を横に振って否定する。どうやら、本当にただの休みだったようだ。

 ウィリアムがまだここにいる。その事実に張っていた気持ちが緩んでいく。


「そうなんですね……」


 気づけば、ボロボロと涙が出てきた。


「え、ちょ、リリアン?」


 ウィリアムはどうしたらいいのかと上げた手が彷徨う。


「どうして、泣いて……」

「おかえりなさい」


 鞄からハンカチを取り出そうとしていたが、ウィリアムは顔を上げる。


「おかえりなさい、ウィリアム」


 彼は仕方なさそうに眉を下げると頬を染めて笑った。




「ウィリアム」

「なぁに?」


 二人で並んで教室まで歩いているとき、リリアンは口を開いた。

 まだ目元に涙が残っており、ウィリアムのハンカチを握りしめたままだった。


「私はまだ、友達というものがよくわかりません」


 その言葉にウィリアムは前を向いたままだった。


「……そっか」

「ですが、ウィリアムと話せないのは寂しいと思いました」


 ウィリアムは目を大きく開くと、足を止めてこちらを見る。リリアンも足を止めて彼と向き合った。


「そんな曖昧な関係でも……ウィリアムとお話してもいいですか?」


 彼は口元を緩めると、少し考えるように視線を彷徨わせる。


「最初は断られると思ったんだ。君は一人でいたそうにしていたし……」


 ウィリアムは「だから」と言葉を続ける。


「それでいいよ。友人は無理してなるものじゃないし。……そうだな。リリアンにとって何気ないことが話せる相手になれたらいいよ」


 友達未満。自分たちの関係に名前をつけるなら、これが相応しいだろう。

 だが、リリアンにとっては大切なもののように感じた。


「……実は悪魔に食べれたのではないかと思って心配していたんです」

「マルヴィナ先生のいうことを信じてたのか?」


 ウィリアムが意外そうな顔でこちらを見る。リリアンは照れくさそうにして返事をした。


「はい。私は知らないことばかりですから。もっと知りたいと思ったのです。神や御使い、それと……」


 指折り数えて言うリリアンに対し、ウィリアムは笑みを崩さないまま言う。


「……神について知る必要なんてないよ」


 一瞬、辺りが静かになった気がした。けれど、ウィリアムは気にした様子もなく教室に入っていく。


「え……?」


 どういうことかを聞こうとすると、同級生がウィリアムに声をかけてきた。友人たちに囲まれた彼からそっと離れようとする。


「ウィリアム! 生きてたのか!?」

「体調不良って聞いていたから、心配していたよ」


 その言葉を聞いてリリアンは足を止めた。


「あれ……?」


 たしかに、ウィリアムの休みの理由は体調不良だった。けれど、彼は先ほど外せない用事だと言っていた。


 どういうことだろう……。


 深く考えようとすると、続けて言葉が聞こえた。


「そういえば、聞いたか? 学園に転入生が来るらしいぞ」


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