第9話 神隠し
教室でリリアンは一人、窓から空を見上げていた。外はあいにくの空模様で、暗い雲から雨が降ってきている。
ウィリアムが学園に来なくなって、二日が経った。体調不良だということだが、周りでは神隠しにあったのでは、と噂されている。
最近は隣にウィリアムが座っていることが多かった。だが、隣に目を向けても、そこには誰もいない。
「…………」
神は、ウィリアムのように優しい人を好むのだろうか。
リリアンは一人で校舎を歩いた。気づけば、図書館に足を向けていた。
「あ……」
最近、あまり図書館に来ていなかった。ウィリアムと一緒にいたからだ。
……本が、読みたい。
図書館の扉を開く。雨の日の図書館は、紙の匂いが強く感じた。湿気たような空気を吸いながら、本棚の横を歩く。
「こんにちは」
声をかけられて顔を上げれば、先日話しかけてきた司書の男性がいた。
「最近来ていなかったね? 忙しかったのかな?」
「……そうですね。そうだったのかもしれません」
「男の子と話すのに忙しかったの?」
「え……?」
驚いて顔を上げると、彼は目を細めてこちらを見ていた。
「いや、君のことをよく見ていたんだ。それだけだよ」
何か、嫌な感じがした。
「そうなのですね……」
一歩下がって距離を取る。だが、相手は一歩こちらに近づいた。人の良さそうな笑みを浮かべている。それなのに、少し、怖い。
「最近はよく、人がいなくなるっていうからね。一人でいると危ないよ?」
彼は柔らかく微笑むと、こちらを観察するようにじっと見つめた。
「君のことを気に入った悪魔が、君を食べに来ちゃうかも?」
その言葉は冗談のように聞こえて……本気で言っているように聞こえた。
「……えっと」
体が強張り、口が上手く動かない。足は地面に根っこがついたように固まっている。それを見て、彼は楽しそうに笑う。
「冗談だよ。悪魔を信じている君になら、通用すると思ったんだ」
その言葉で、周りの空気が緩んだ気がした。
「ごめんね、怖がらせちゃって」
彼は申し訳なさそうに両手を合わせて謝る。
「いえ、その……びっくりしただけです」
「そっか、よかったぁ」
動くようになった足を一歩後ろに下げる。
「その……、私はもう行かないといけないので」
そう言って、図書館を出ようとした。その後ろを司書がついてくる。
「リリアンさん」
名前を呼ばれて振り返ると、彼は笑顔で手を振っている。
「また来てね」
リリアンは頭を下げると、逃げるようにして図書館を出た。
雨の日の教会は薄暗く、人もあまり多くなかった。まばらに座る人たちに混ざって、リリアンも席に着く。
「とても大変な目にあいましたね」
目を向けると、メアリーがこちらに歩み寄ってきていた。
「誘拐事件に巻き込まれてしまったのでしょう?」
メアリーの目には心配の色が見えた。こちらを本当に気にかけてくれているのだろう。
「彼らは処刑が決まりました。神隠しのように見せかけて貴族を誘拐し、人身売買を行ったことから、神への冒涜であるということになったのです。……行なってしまったことは罪です。償う必要があるでしょう」
本来なら体を楽園へと送るために、死後、体をそのままに火葬される。聖なる炎で体ごと神の元へ送るのだ。
だが、罪を行った者たちは、首を切り落とされ、燃やすことなく山に捨てられる。こうすれば、神のもとへ体が向かうことはできない。そもそも処刑された彼らは神の裁判すらも受けられないため、追い打ちをかけるように徹底した処罰だった。
「おそらく、学園内の警備はより一層厳しいものになるでしょう」
彼女の言葉に疑問に思う。
「これまでも学園は警戒をして騎士が巡回していたはずです。どうして、外から人が入れたのでしょうか」
メアリーはその言葉に顔を曇らせる。あたりを伺うように見ると、こっそりと小さな声で教えてくれる。
「そうですね。ですから、私たちは学園の中に手招きした者がいると考えています」
「そんなこと……」
「ないとは限りません。事実、起きているのですから」
誘拐されそうになった女生徒の一人が言っていた。教会の御使いにあの場所を教えてもらったと。この事件に教会の人間が関わっているのだろうか。
メアリーは暗い表情でステンドグラスを見上げている。本当は彼女に言うべきなのかもしれない。だが、幼い少女にこのことを伝えて不安にさせてはいいものだろうか。
リリアンは口を閉じてメアリーを見つめる。彼女は視線に気づいて、頬を緩めた。
「学園で関係者を誘拐していた犯人はいなくなりました。一時的なものでしょう。ですが、神の用意した学び舎で好きなようにさせるわけにはいきません」
メアリーは安心させるようにニコリと微笑む。
「私を含めて、様々な人たちがそう思っています。リリアン様たちが安心して過ごせるよう尽力いたしますね」
リリアンはうなずきながら視線を下げる。
「はい」
人攫いの犯人は捕まった。警備の目は一層厳しくなった。だが、ウィリアムは姿を消した。彼は本当に神のもとへ行ったのか、それとも……。
最近はウィリアムと一緒に行動していたからか、一人でいるのが少し落ち着かない。
リリアンはお弁当を手に取って、一人教室を出る。廊下の先にマルヴィナの後ろの姿を見つけた。
そういえば、最初に悪魔について口にしたのはマルヴィナだった。
「マルヴィナ先生」
声をかけると、マルヴィナは足を止めて振り返った。「あら」と言いながら優しい笑みを浮かべる。
「リリアン、どうしたの? ウィリアムがいなくて、寂しいかしら」
彼女の言葉に笑顔で返すと、悪魔について尋ねた。
「先生はここ最近の神隠しが悪魔によって起きているかもしれないとおっしゃいましたね。どうしてそう思ったのですか?」
マルヴィナは目を細めて、問題の解き方を教えるように答えてくれる。
「神様はお気に入りの花しか愛せないからですよ」
「花、ですか?」
リリアンの問いに答えず、マルヴィナは笑みを浮かべる。笑っているはずなのに、薄い青紫に光る瞳は恐ろしく見えた。
「放課後は早く帰ったほうが良いですよ。特に、一人で教室にいてはだめ。悪魔に会いたくないなら……ね?」
「悪魔に会いたくないなら……?」
「ふふふっ。気を付けてね」
マルヴィナは笑うと背を向けて歩いていってしまった。
悪魔に会いたいのなら、放課後一人で残ったほうがいいということだろうか。
リリアンはマルヴィナの言うとおり、放課後一人で教室に残った。
もしかすると、レジーナにももう一度会えるかもしれない。それにもし、ウィリアムを連れて行ったのが悪魔だったら……。
外の日は傾いていく。教室が赤く染まったとき、教室の外に人の影を見つけた。
「どなたですか?」
その影は足を止めることなく、廊下を歩いていく。その影を追って、教室の外に出る。
誰もいない廊下は知らない場所のように見えた。赤色の廊下を影を追って歩いていく。時折足元に伸びる陰を踏みながら、まるで恐ろしい童話に迷い込んだようだと思った。影についていくと、そこには恐ろしい魔物がいて、自分を食べてしまう。そんなお話だ。
学園の鐘が鳴り響く。着いたのは音楽室だった。
そっと扉から中を覗き見る。
夕日に染まった音楽室には大きなピアノが置かれている。視線をめぐらしても、人の影は見当たらない。
不思議に思って中に入ろうとすると、後ろから誰かに押された。
「きゃっ」
扉が勝手に閉じる。開けようにも開かなかった。
「いったい、何が……」
音楽室の端に目を向けると二人の人影が見えた。薄暗い中で、剣を握り締めた人影が、座り込んでいる人に大きく振りかぶった。
悲鳴が教室内に響く。人の影はガラス玉に姿を変え、床に転がった。剣を持った人はそのガラス玉を拾うと、口に含み、奥歯で噛み砕いた。
その場から動けずにいると、「おや」とその人はこちらを見た。夕日を背に浴びて、顔が陰になっていた。茶色い瞳が怪しく光る。
「これは、これは……」
ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。少しずつ顔が判別できるようになった。
人の良さそうな笑みを浮かべるその人は……司書の男性だった。
「こんにちは、リリアンさん」
彼は嬉しそうにニコリと笑う。その手には黒い剣が握られていた。
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