第8話 ウィリアムの本
「ウィリアム。よろしければ、一緒に昼食を取りませんか?」
その日、リリアンは初めて自分からウィリアムを昼食に誘った。彼は驚いたようにこちらを見ている。目を大きく開いたまま、瞬きもしない。
「ウィリアム……?」
もう一度声をかけると「あ、いや、びっくりして……」とモゴモゴと言ったあと、何でもないように笑みを作った。
「もちろん、一緒に食べよう」
二人は裏庭に来た。リリアンはどこでもいいと言ったが、ウィリアムがそこを選んだ。
人の多いところを好まない自分に配慮してくれたのだろう。気遣ってもらってばかりで申し訳ない気持ちになる。
「今日はどうしたの?」
彼はこちらの様子を窺うように見ている。リリアンは持ってきた鞄から本を取り出した。
「これ、ありがとうございました」
そう言って、借りていた本を返した。すぐに戻ってくるとは思っていなかったようで、彼は驚いたように受け取った本を見た。
「もう読み終わったの?」
「はい。すぐに読み終えてしまいました」
「……どうだった?」
ウィリアムは恐る恐る尋ねる。感想を聞くのが怖いのか、彼の顔は少しこわばっていた。
リリアンは柔らかく笑みを浮かべて感想を口にする。
「とても悲しいお話でした。戦争の中、貧しい生活を送りながらも、家族を大切にする男の子。けれど彼はまだ幼くて、殺される家族を守れなかった」
百年前、この国も戦争を行なっていた時期があった。それを題材にして書いたのだろう。当時のことがよく調べられており、ウィリアムの小説は時代の描写がとても丁寧だった。それもあって、主人公の状況により感情移入してしまう。
「男の子も家族を追うように殺されてしまって……悲しいけれど、とても温かい話でした」
「温かい話?」
「はい。家族を大切にする彼はとても素敵な人でした。きっと彼も家族に愛されていたのでしょう。それを返したいという気持ちが伝わってきました」
生まれた時代が違えば、きっと彼らは幸せに暮らしたのだろう。だが、それは叶わなかった。……たくさんの人が死ぬ戦争を、神はどのような気持ちで見ていたのだろうか。
「とても素敵な作品でした。私はあなたの書いた小説が好きです」
そう伝えると、目元からボロボロと涙が溢れ出た。
「これは、あの……」
「どうした!? ほら、これ使って」
ウィリアムは慌てた様子で自分のハンカチを取り出した。
「すみません……ありがとうございます」
お礼を言って受け取る。涙がこぼれて止まらない。
泣いているのにつられたのか、ウィリアムは自分も泣きそうな顔で笑う。涙を拭く様子を見て、彼は意を決したように口を開いた。
「……じゃあ、小説の続き、聞いてくれる?」
ウィリアムは眉を下げると、昔話を語るように話しはじめた。
「戦争で家族を失った少年は、強い後悔を抱いていた。それを知った神様が特別に彼を現世で生まれ変わらせてくれたんだ。けれど、彼の生まれた国は戦争の影もない、平和な国だった。強い後悔を消化できないまま、彼は優しい家族の元で育った。彼は今の自分に違和感を覚えていた。今の自分を、優しいはずの家族を受け入れられずにいるんだ」
「その子は、不幸なのですか?」
「不幸じゃないよ。けれど、昔の家族を差し置いて幸せになれないって思ってるんだ」
その言葉にリリアンはうつむく。創作上の人物だとわかっていた。神に愛された人でない限り、生まれ変わることはできないからだ。それでも、その少年が本当に生きているような気がした。その感情に身に覚えがあった。
「……とても、よくわかります」
今の家族との関係が良好だとしても、それが本当に幸せなのかもわからない。一人で幸せになることは許されない。
罪を背負ったように生きていくしかないのだ。
「きっと、その子は昔の家族にも幸せになってほしかったのですね。できれば、一緒に幸せになりたかった」
叶わないことだとしても、その願いは胸から消えない。ずっと抱えて生きていく。
リリアンはウィリアムを見ると優しく微笑む。
「その子はとても優しい人です。そして、強い人です。過去から逃げずに向き合っているんですもの」
「本人は自分のことを優しいと思ってないよ」
「いえ。優しい人です。私はそう思います。……もし、私がその人の家族だったら、幸せになってほしいと思います。正義感が強くて、心の優しい彼に、誰よりも幸せになってほしいと思います」
ボロボロと涙を流すと、その目元をウィリアムが指で拭ってくれる。
「……泣いてくれて、ありがとう」
ウィリアムはそう言って笑った。
「リリアンも優しいね」
その言葉にリリアンは首を横に振る。だが、ウィリアムは言葉を続けた。
「君は優しい人だよ。人のために泣くことができる」
「そんなのことないです。私は……」
否定の言葉を言おうとすると、彼は口元に人差し指を当てた。
「否定しないで。俺はそう思ったんだ……ありがとう、リリアン」
彼は頬を赤らめ、目を細めると、「実は」と言葉を続ける。
「俺は君と友達になりたかったんだ」
驚いて目を見開くと、彼は照れ臭そうに笑う。
「……これが本当の目的」
胸元でぎゅっと手を握り締める。まっすぐこちらを見つめる彼の瞳を見ていられなかった。
「ですが、私は……」
あなたにふさわしくない。そう言葉を続けようとすると、ウィリアムは眉を下げて笑う。
「リリアンは人と関わろうとしていないのは知っているよ。だから、無理にとは言わない。これはあくまで俺の願いだから」
どうして自分と友達になりたいかわからなかった。ウィリアムには友達がたくさんいる。それなのに、どうして自分にこだわるのか。どうして……こんなにも嬉しいのか。
「…………」
黙ったままでいると、ウィリアムは微笑んだ。
「君が俺のことを友達だと思ってくれるように頑張るね」
彼の言葉は優しく、リリアンの胸に染み込んでいった。
学園の帰り、ウィリアムが馬車に乗るまで送ってくれた。生徒たちが友達と歩くように、二人で並んで門まで歩く。だけど、二人の距離はいつもより少し離れていた。
「リリアン」
帰りの馬車に乗り込もうとすると、彼が呼び止めた。
「しばらく会えなかったら、ごめんね」
リリアンが首をかしげるのを見て、彼は小さく笑って手を振った。
「またね」
その言葉が何を意味するのかわからなかった。だが、彼が喋らなかったから、あえて聞かなかった。そうした方が、深く関わらなくて済むからだ。
「はい、また明日」
リリアンはそう言って、いつものように別れた。
次の日、学園に着くと、オズワルドと顔を合わせた。彼はこちらを見て、心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫かい? また一人の男子生徒がいなくなったみたいだけれど……」
「私は大丈夫ですよ。その……気にかけてくれる人もいますし」
昨日のことを思い出し、ぼんやりとしてしまう。
ウィリアムはどうしてこんな自分を気にかけてくれるのだろうか。友達になりたいと思うのか。だが、友達という響きに気持ちがふわふわとしてしまう。
「……そう」
オズワルドは少し面白くなさそうに相槌を打った。リリアンはそれに気づかず、彼に尋ねる。
「この一連の出来事は……悪魔の仕業だとおっしゃる方がいます。その……オズワルド様はどう考えますか?」
「悪魔か……」
オズワルドは大きく目を開くと柔らかい笑みを浮かべた。
「君は悪魔を信じているんだね。可愛らしい。でも、そうだな。もし、悪魔の仕業だったら、俺は君を助けよう。だから、何かあったら言ってほしい。きっと助けになろう」
リリアンは笑みを作って姿勢を正す。そして、一歩下がると、心の中で線を引いた。
お礼を言ってから、一礼をして彼から離れた。
教室に着いたとき、リリアンはウィリアムに会ったら、どう接して良いかわからなかった。友達という存在にしばらく接したことがなかったし、自分に友達などおこがましいとすら感じる。
そもそもどうして自分なんかと友達に……。
そんなことを考えていたが、ウィリアムは一向に教室に入って来ない。始業の鐘が鳴り、担任のマルヴィナが教室に入って来る。彼女は教壇に上がるとニコリと笑った。
「みんなが心配してしまうといけないから、先に言うわね」
いつもとは違う切り出しに、生徒たちは互いに目配せをする。マルヴィナは教室を見渡すと、細い目を開いた。
「家の方から連絡がありました。ウィリアムがしばらく学校に来られないそうよ」
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