第7話 人攫い


「なぜ、平民がここにいるの……?」


 女生徒たちはよく理解ができていないようだった。

 平民の男は獲物を狙うような目でこちらを見ている。リリアンは咄嗟に人攫いだと認識した。

 どこから入ったのかわからないが、ここは学園の裏庭のもっと奥深く。人も来なければ、警備の目もない。


 女生徒たちは自分たちの立場がわかっていないのか、汚らわしそうな目で彼らを見た。


「ここは貴族の子が学ぶ場所。平民が足をいれて良い場所ではないわ。出ていきなさい」


 だが、男たちはその言葉が聞こえてないようで、互いの顔を見て「元気な娘たちだ」と笑い合った。

 命令を聞かない彼らに対して、女生徒の一人が声を荒げた。


「聞いているの!?」


 その少女に向かって、男は剣を向ける。


「うるせぇ、騒ぐな。こんなところ、さっさと出ていくさ。……あんたらを連れてな」


 剣先を向けられ、女生徒たちは顔を青くする。男は手を伸ばすと、女生徒の一人の腕を掴んで、引っ張った。


「きゃあっ!」


 彼女はバランスを崩して地面に座り込む。男は長い髪を掴むと引っ張り上げた。耳元のピアスがきらりと光る。


「あんたらの着けているピアスは貴族だけが身に着けるものだ。これがあれば、よそに売っても貴族の証明になる」


 貴族の子として王から賜るピアスには特別な細工が施されている。平民が手に入れられるようなものではなかった。


「大丈夫さ。貴族様は貴重だ。売られた先でも大切にされるだろうよ」


 その言葉に女生徒たちは黙り込んで何も言えなくなった。

 リリアンは彼女たちを見てから、ゆっくりと深呼吸をする。そして小さく呟いた。


「ここでウィリアムが助けに来てくれたら……なんて都合がいいですよね」


 顔を上げて男たちをまっすぐ見た。背筋を伸ばして姿勢を正して、にっこりと微笑む。


「交渉いたしませんか?」


 怯える様子を見せずに言うと、男たちは不可解な顔をする。


「交渉だぁ?」

「はい。私がほかの三人の代わりにあなたたちと一緒にいきます。抵抗しません。私だけで手を打っていただけないでしょうか?」


 乗ってもらえるとは思っていなかった。だが、こちらに意識を向けてもらう必要があった。

 リリアンの提案に男は鼻で笑う。


「交渉にならんな。てめぇ一人だけと、四人全員なら、四人のほうが儲けになるだろうが」


 男はそう言って、こちらに剣を向ける。本物の剣を向けられたことがないため、息を少し飲む。だが、怖い気持ちを抑えるように、顎を少し上げた。


「困りましたね」


 強張る頬を緩ませて、口角を上げる。


「では……交渉決裂ですね」


 リリアンはそう言うと、スカートの裾を手で抑えて男の剣を持っている手を蹴り上げた。

 剣が空を舞い、地面に落ちる。リリアンは足でその剣を器用に蹴り上げて手に取り、剣を男の一人に向けた。首元に剣を当て、落ち着いた声で言う。


「その子から手を放してください」

「てめぇ……」


 動こうとする男に、リリアンは刃を少し食い込ませる。


「放してください」


 再度言うと、男は手を放した。女生徒は這いつくばって、男から離れていく。

 リリアンは少女が離れたのを見ると男たちに言った。


「動いたら斬ります」


 その言葉に男の一人が「はっ」と笑う。


「そんな細腕の小娘に何もできるわけがないだろう」


 人質になっている男をリリアンから引き離そうと、もう一人の男がこちらへ剣を向けてきた。リリアンはどこからか小さなナイフを取り出し、投げつけた。男の頬が切れる。何が起こったかわからない男に向かって、微笑みかける。


「私、昔に剣術を学んでいたんです。少しは役に立てばいいんですけど」

「こんの女ァ!」


 剣がこちらに向かって振り下ろされる。リリアンは自身の剣で受け止めて、いなした。剣が横をすり抜けていく。瞬間、男の手元を蹴り上げようとした。だが、同じ手は喰らわないのか、避けられてしまう。


「男を舐めんなよ!!」


 再び剣を振り下ろされ、剣で受け止めた。両手で抑えても、ジリジリと力で押され、力のないリリアンでは適わない。


 どうしたら……。


 その瞬間、不意に浮かんだ顔は、金髪の優しい少年だった。




「――リリアン!」


 大きな声が響きわたり、木の陰から誰かが飛び出してきた。その人はリリアンに剣を向けている男を殴りつける。突然の拳に耐え切れず、男は地面に倒れた。その人はすぐさまその男から剣を奪い取った。


「どーして、無茶するかなぁ!?」


 そう文句を口にしていたのはウィリアムだった。


「どうしてここに……」

「説明はあとだよ」


 ウィリアムは剣を構えてリリアンの横に立つ。


「さあ、剣は奪われたよ。どうする?」


 ウィリアムの問いに、唯一剣を握っている男が笑う。


「貴族のガキどもに何ができる?」


 その言葉にウィリアムはくすりと笑う。


「そうだね。俺たちではできることは少ないよ」


 そう言ってウィリアムは視線を後ろに向けた。


「お前ら、そこで何をしている!」


 ウィリアムが視線を向けた先には警備の者たちが走ってきていた。彼らは瞬く間に男たちを取り押さえていく。


「貴様……!」


 取り押さえられた男がウィリアムを睨み上げた。


「俺たちは一人では何もできないからね。助けを呼ばないと」


 ウィリアムはそう言うと、こちらに目を向けた。


「君もそうだよ、リリアン。助けを求めてって言ったよね?」


 そーっと目を背ける。ウィリアムはリリアンの頬を掴むと無理やり目を合わせた。


「聞いてるの?」

「すみません……」


 彼は「まったく……」と言いながら、足元に落ちているナイフを拾う。


「何でこんな武器持ってるんだよ、危ないだろ……」


 その言葉にリリアンは胸を張って答える。


「自分の身は自分で守れるようにと義兄様に言われました!」


 誇らしげな様子にウィリアムは目を大きく見開く。そして堪えきれずに吹き出した。


「はははは! リリアンって本当にかっこいいな」


 彼はひとしきり笑うと、零れる涙を拭いてこちらを見た。


「女性が武器を持ち歩いていることは、まあ色々思うところはあるけど……無事でよかったよ」


 ウィリアムがそうこぼすと、誰かが後ろから彼の頭を小突いた。見れば、警備の一人だった。


「君もだよ。警備に助けを求めるのは正しいが、私たちの制止を逆らって一人で走っていくんじゃない」


 警備員の言葉にウィリアムは素直に頭を下げる。


「お手数をおかけしてすみません」

「それにしても、君は足が速いね。将来、騎士にならないか?」

「足の速さだけで騎士になれますか?」


 警備員は「はははっ!」と笑うと、ウィリアムの頭をガシガシと撫でた。


「勇敢な心も持っているだろう? だから、剣を鍛えてから来いよ」


 警備員は「あとで話を聞くから、待っていなさい」と言うと、平民の男たちを連れて行った。


 リリアンたちが解放されたのは、日が暮れてからだった。騎士が派遣され、家まで送ってくれると言う。


 赤く染まった夕日を眺めながら、騎士たちが来るのを待っていると、ウィリアムは「そうだ」と何かを思い出したように鞄を漁った。中から出てきたのは一冊の本だった。


「前に話してた本」


 そう言って差し出された本を受け取る。本を開けば、ウィリアムの綺麗な字で書かれていた。


「ウィリアムが書いた本ですか?」

「そうだよ。……一応渡すけど、無理だったら読まずに返してくれてもいいから」

「いえ! とても楽しみです。すぐに読みます」


 返さないと意思表示をするように胸に抱えると、ウィリアムは顔を綻ばせた。


「ありがとう」


 その言葉は嬉しそうで、少し不安そうな色を持っていた。


 ウィリアムと別れて帰路に着く。同行した騎士から平民に襲われたという話を聞いて、ナタリアは顔を真っ青にした。リリアンが武器で対抗したという話を聞いたときには、涙をボロボロと流した。


「どうしてあなたが戦闘用のナイフなんて、そんなものを持っているの!?」


 泣きながら声を荒げるナタリアに、一緒にリリアンを叱っていたはずのアレクシスが目を逸らす。


「えーっと……」


 剣術を教わったときに、義兄から護身用にもらったとはとても言い出せなかった。


 ナタリアのお叱りをしっかり受けて、リリアンが解放されたのは夜遅くだった。

 早く寝るようにと言われて、素直にベッドの中に入る。ウィリアムの本と一緒に。


「ふふふ、ウィリアムが書いた本はどんなお話でしょうか」


 蝋燭の光でページを捲りながら読んでいく。


 それは悲しいお話だった。戦争中の国で生きる少年と、その家族の悲惨な末路。

 少年は目の前で家族を殺された。そして、最後は自分自身も。

 家族が捕まり、殺されるとき、少年はその恐ろしさに一人で逃げ出した。悲鳴に振り返れば、真っ赤に染まった家族だった物がぐったりと横たわっている。一人で逃げた少年もまた捕まり、殺された。強い後悔を抱きながら。


 もし、家族と一緒に生きていられたら、どれだけ幸せだっただろうか。


「…………」


 そっと引き出しを開いた。そこには数枚の手紙が入っている。その一つを手に取り、便箋を開く。何度読んだかわからない。その手紙は自分への戒めとなっていた。


『お願いだから、戻ってきて。

 ロイも他の家に取られてしまった。もう私たちにはあとがない。

 お願いだ、リリー。私たちを助けてくれ』


 その手紙にはリリアンを責めるような言葉ばかりが綴ってある。返事をしなければ、次第に届かなくなった。

 もう、戻ることの叶わない場所だった。もう、戻ってはいけない場所だった。

 今いるこの場所も、自分にはふさわしくない。どこにいればいいのか、わからない。


「……私の居場所は、どこでしょうか」


 便箋を封筒に入れて、引き出しにしまい込む。


 目を閉じて、ありもしない世界を想像する。自分のいない、みんなが幸せになれる世界だ。みんなが笑顔で、本来の正しい姿でそこにいる。……自分がいなければ、起こりえた世界。


 リリアンは、叶わぬ夢を胸に抱きながら眠りについた。


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