第5話 助ける理由
リリアンは校舎を出ると、裏庭にいた猫のことを思い出した。
あの果物を食べてくれただろうか。生徒たちが正門へ向かって歩いていく中、そっと裏庭の方へ足を向けた。
放課後の裏庭は静かだった。きっと隠れているだろうと、木の陰を探して歩いた。
「猫さん、どこにいるのでしょうか……」
そう言いながら周りを見回ると、猫の足が見えた。それ見て、リリアンは顔を輝かせたあと、すぐに目を大きく開いて、顔をこわばらせた。
「…………っ」
猫は横たわっていた。触らなくても冷たくなっているとわかった。
綺麗なところに住んでいる貴族にとっては、野良猫など汚らわしい存在であったのだろう。猫には不自然な傷がいくつもあった。
「……どうして」
命は強い者に容易く奪われて、失われていく。自然の摂理なのだろう。
だが、自分みたいな者が生きているのに、どうしてこんなにも簡単に死んでしまうのだろうか。
本来なら必死に生きている魂こそ、救われるはずなのに……。
そう思いながら、指先でそっと、その猫に触れようとした。
「――どうしたんだ?」
リリアンはハッと顔を上げる。前と同じように猫を隠すようにして立ち上がった。
「ウィリアム……」
何でもないように笑みを作ろうとしたが、上手く頬が動かない。その様子に何か勘づいたのか、ウィリアムは優しく声をかけた。
「大丈夫? 俺に手伝えることはない?」
「…………っ」
思わず自身の足元に目を向ける。その視線を追って、ウィリアムもその足元を見た。そして、猫の姿を捉えた。
「……死んでいるのか」
彼はしゃがむと、猫の様子を窺う。その瞳には嫌悪の色はない。むしろ辛そうな表情で猫を見ている。
「助けてあげたかったのですけど……。私にはこの子を埋めることもできません」
ウィリアムは何か考えるようにこちらを見ると、上着を脱いで猫を包んだ。
「俺が預かるよ」
「でも……」
「一緒に埋めに行こう」
ウィリアムがついてくるように促す。リリアンは彼の背中をついて行った。
馬車に乗せられて着いたのは教会だった。教会の隣には墓場がある。神の元へ行った人たちを称えるための墓石が並んでいる。
「何かありましたか?」
礼拝堂の扉の前で立っていると、メアリーがこちらへ歩いてきた。
リリアンはいつも一人で来る。だから、誰かと一緒にいるのが珍しかったのだろう。二人を見比べると尋ねてきた。
「猫を埋めたくて」
ウィリアムの言葉にメアリーは彼の腕の中にあるものを見た。彼女は悲しげに眉を寄せて、うなずいた。
「……わかりました。人の墓地に埋めることはできませんが、近くの木の下に埋めると良いでしょう。……一人は寂しいですものね。人々のそばに埋めてあげてください」
墓地に向かうと、その真ん中に大きな木が立っていた。その付近の草はまだらで、ほかにも埋められている様子があった。
猫を埋めて、二人で手を組んで祈った。
「リリアンがこの猫の面倒を見ていたの?」
彼の言葉に首を横に振る。
「面倒というほどでは……一度、食べ物をあげただけです」
「そっか。……でも、悲しいよな」
思わず大きく目を開いた。そして、眉を下げてうつむいた。
「……そうですね。悲しいです」
一回、顔を合わせただけの猫だ。一緒に遊んだわけでも、撫でたわけでもない。
それでも、悲しいと思ってしまう。一度関わった以上、もう関係のなかった頃には戻れない。
「少しでも関わってしまったら、悲しいものなんですね」
自分がいなくなったら、今の家族はすべて元通りになるような気がしていた。けれど、きっと自分がいなくなったら、二人を悲しませてしまうだろう。
……じゃあ、私はどうしたら大切な人たちを幸せにできるのでしょうか。
リリアンには良い案が浮かばなかった。
「……ウィリアムは、何かしたいって思ったらどうしますか?」
「抽象的な質問だね。リリアンは何かしたいことがあるの?」
ウィリアムの問いに、うなずく。
「……私はしたいことがあります。でも、どうしたら良いのかわからないのです。……ずっと、できないと思っていたから」
彼はその言葉と聞いて、「んー」と考えるように顔を上げる。
「まずはそれでいいんじゃないかなぁ」
「え?」
「どうしたら良いかを考えることが、大切なことだよ」
彼は笑みを浮かべて、優しく言う。
「何かしたいと思えた。そのためにどうしたら良いか考えた。それが、何かをするための第一歩だよ」
「でも、何も浮かばないのですよ?」
「今まで考えもしなかったんだろ? 当然だよ。今はいっぱい考えて、良い案を考えるしかない」
「良い案が浮かばなかったら?」
「最善策は浮かばないかもしれない。でも、いろんな方法が思いつくよ。その中から、リリアンにとって、一番良い案が見つかるといいね」
ウィリアムはそう言うと、こちらを窺うように見た。
「こんな感じでどうだろう……? ちゃんとアドバイスになってた?」
不安そうな表情に、リリアンはくすくすと笑う。
「なってました。ありがとうございます」
「よかった。じゃあ、帰ろうか」
そう言って、歩き出そうとする背中に問いかける。
「どうして助けてくれるのですか?」
「……何でだろうね?」
ウィリアムはそう笑って、答えてくれなかった。
次の日から、ウィリアムはリリアンによく声をかけてくれるようになった。
「リリアン、隣空いてる?」
彼はお弁当を手に持って、ベンチの隙間を指さす。
一人でお弁当を食べようとしていたリリアンは、口を閉じるのを忘れて彼を見上げた。
「リリアン?」
「え、あ、はい!」
そう返事をすると、慌ててベンチの端に寄った。ウィリアムが隣に腰を下ろす。重みで少しベンチが動く。
隣で昼食を食べる準備をしている彼を見て、リリアンは尋ねた。
「いつもはご友人方といるのに……どうしたんですか?」
「離れてたほうがいいなら、そうするけど」
「いえ……。ウィリアムならいいですよ」
その答えにウィリアムは耳を赤くする。彼は頬を緩めると嬉しそうに笑った。
「そっか」
授業の時間は、相変わらず友人のところにいた。だが、リリアンが生徒たちから離れていくところを見かけると、声をかけてくれる。
気にかけてくれているのはありがたかったが、リリアンは誰かと行動することに慣れていなかった。何を話せばよいか、とリリアンは昼食を取りながら考える。頭の中をぐるぐると悩ませていると、ウィリアムがふわりと欠伸をした。
「眠いのですか?」
「最近ちょっと、人に勉強を教えてて……」
ウィリアムは目をこすると、両手を上げて体を伸ばした。
「勉強? ご兄弟とかですか?」
ウィリアムはその言葉に頬を緩ませた。
「そうだなぁ。可愛い妹になら、喜んで教えるんだけどなぁ……」
「妹さんがいらっしゃるんですね」
「うん、可愛い妹」
わざわざ訂正をして言うので、リリアンはくすりと笑う。
「妹さんのことが好きなんですね」
「可愛いからね、仕方がないよ」
ウィリアムはそう言うと、こちらを見つめた。
「リリアンは兄弟いる?」
その質問に、一瞬言葉を詰まらせる。
「あ、えっと……兄がいます」
「へえ。お兄さんがいるんだ。どんな人?」
亜麻色の髪の優しく笑う顔が頭をよぎり、首を横に振る。
「義兄様は、しっかりした人ですよ。尊敬しています」
「そうなんだ。良いね」
彼はそう言って、視線を落とす。手元に目を向けながら、ぽつりと話しはじめた。
「……リリアンはさ」
彼は顔をこちらに向ける。金色の瞳がリリアンを見た。
「本が好きだよね?」
「そうですね」
「リリアンに読んでもらいたいものがあるんだ」
「読んでもらいたいもの?」
リリアンが首をかしげると、ウィリアムは口端を上げた。
「俺が書いた本」
その言葉に目を瞬かせる。
「ウィリアムは物書きをしているのですか?」
「違うよ。一回、書いてみたかっただけなんだ」
ウィリアムには何度か本を借りたことがあった。だが、自分自身が書いていたなんて初耳だった。
彼は様子を窺うようにリリアンの瞳を覗き込む。金色に輝く瞳に吸い込まれそうになる。
「本当は誰にも読んでもらうつもりはなかった。けれど、読んでもらえるなら、君に読んでもらいたい」
真剣な眼差しを向けられ、リリアンは困惑したように目を彷徨わせた。
「どうして私なのでしょうか」
その様子を見てウィリアムは小さく笑う。金色の髪が日差しを浴びて煌めいた。
「君がクラスメイトと距離をとっているのは知ってる。だから、無理にとは言わないよ」
「…………」
その言葉に何も言えずにいると、彼はにこりと笑った。
「戻ろうか」
そう言われ、リリアンはうなずいて立ち上がった。
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