第4話 悪魔について
学園へは馬車で登校する。リリアンは馬車から降りると、校舎のある方へ歩きはじめた。
貴族の学び舎である学園は綺麗に整備されており、校舎までの道には花壇が設置されている。四季折々の花が咲くため、リリアンはその花壇を見ながら歩くのが日課だった。
「リリアン」
花に目を向けながら歩いていると、後ろから声をかけられた。目を向ければ、一人の男子生徒が立っている。
「オズワルド様、おはようございます」
背の高い彼はリリアンの二つ年上の先輩だった。黄身がかった茶色の髪は癖があり、さわると柔らかそうだ。だが、背の高いので、リリアンが背伸びをしてもその髪には届かなそうだ。少し垂れ下がった瞳からは優しさを帯びた視線がこちらに向けられている。
オズワルドは昔から付き合いのある公爵家の子息だ。リリアンの義兄が襲われたとき、たまたまその場に居合わせて助けてくれた。それ以来、彼は時折、世話を焼いてくれる。リリアンにとってはありがたくもあり、申し訳ないと思ってしまう。
彼は隣に並んで歩き出す。リリアンはそっと彼の方に目を向けると、少しだけ距離を取って歩いた。彼はそれに気づいたようで、少しだけこちらに視線を向ける。だが、気づかなかった振りをして口を開いた。
「今日は君の学年で宿題があるみたいだね。後輩から聞いたよ」
「宿題ですか……?」
リリアンは首をかしげる。その言葉を聞いて、彼は面白そうに目を細める。
「もしかして、やってない?」
「持ってきたかも怪しいです」
悪びれもせずにいう様子に、彼は肩を揺らして笑う。
「リリアンらしい。俺でよければ、教えてあげるよ」
「ふふふっ。ありがとうございます」
そう笑ってごまかそうとすると、視界の端に女生徒が見えた。彼女はおしゃべりに夢中で足元の花壇に気づいていない。
「あっ」
彼女は足元を花壇に引っ掛けて、バランスを崩した。リリアンは咄嗟に駆け寄って手を伸ばし、彼女の腕を引いた。
「大丈夫ですか?」
女生徒は驚いたように目を瞬かせる。
「あ、ありがとうございます」
惚けたようにこちらを見る様子に、リリアンは手を離すと一歩下がった。
「気を付けてくださいね」
それだけ言って、歩きはじめる。女生徒はその背を見つめたままだ。オズワルドは女生徒の方を見ながら、あとをついてきた。
「今、すごかったよ。反射神経良いんだね?」
「ありがとうございます。子どものころ、友達と反射神経を鍛える遊びをしてて……」
そこまで言うと、手で口をおさえた。
「……今のは忘れてください」
その言葉にオズワルドは小さく笑う。
「意外とお転婆だったんだね」
そう言われて気恥ずかしくなり、身を小さくして歩いた。
教室に来ると、オズワルドはリリアンと向き合った。
「本当に頼っていいからね。待っているよ」
そう言いながらも、彼はリリアンが自分から会いに来ないことに気づいているだろう。それでも、そうやって声をかけてくれることがありがたく感じる。
「ありがとうございます」
本心からお礼を言えば、彼は頬を緩める。オズワルドが手を振って自分の教室に向かうのを見送ってから、リリアンは教室に入った。
「おはよう、リリアン」
席で荷物を整理していると、ウィリアムが声をかけてきた。
笑顔で挨拶を返せば、彼は嬉しそうに顔を綻ばせる。
彼が朝から声をかけてくるのは珍しい。用事があるのだろうと言葉を待つと、彼は「えっと……」と言葉を探すように少し視線を上げた。
「実は…また生徒が一人いなくなったみたいなんだ」
「……そうなのですね」
これで学園の生徒がいなくなるのは四人目になる。ここまで集中して人がいなくなるのはあまりなかったはずだ。彼らはどのようにして、神のもとへ行っているのだろうか。
「学園の関係者がこんなにもいなくなるのはおかしいって、象徴が言い出したらしい。学園も念のために警備を増やしているみたいだ」
その言葉に違和感を覚える。
昨日のアレクシスの話だと、教会は喜ばしいことだと考えているようだった。それにも関わらず、象徴は警戒した様子を見せている。昨日の話と違う。
どうして違った噂が流れているのかを考えていると、ウィリアムはちらりとこちらの様子を窺うように見ていた。
「学園は一人で行動しないように呼びかけているらしいけれど……」
ウィリアムは「えーっと」と言いながら自分の首をさする。
「だから、その……しばらくは俺と……」
話を遮るように、鐘の音が鳴り響く。彼はため息を吐くと、こちらに手を振る。
「また後で話すよ」
彼は友人たちが座る席へ歩いて行った。リリアンは空いている席に座る。
「…………」
ウィリアムが何かを期待して、自分と一緒にいるのはわかっている。だが、その期待に応えられるとは思えない。……なのに、自分から距離を置くことができずに、そのままにしてしまっている。
このままでいいのだろうか。
その答えが出ないまま、ぎゅっと手を握り締めた。
放課後、リリアンは一人で学園の図書館を訪れた。
貴族が通う学園は国の中でも多くの本を所蔵している。神が作った学びの場である学園には神についての本が教会と同じくらい置かれていた。
本棚から何冊か本を選んで手に取る。椅子に座り、一冊の本を開く。
「……神とは」
神とは、世界を創造し、生き物を創った存在である。
人間とは、一人で過ごしていた神が共に生活する者を求めたため、生まれた存在であり、人間は神と姿かたちが似ている。
人間を創った神は死んだ魂を裁く。罪なき者を楽園へ。罪を持つ者は、その場で魂が焼かれる。
楽園へ行った者たちは神のそばで過ごす。
人間は神のいる楽園で生活できるまでに、勉学、規律を重んじる心、技術などあらゆる教養を身につけなければならない。現世はそれを学び、身につける場所である。
現世で生きる人間は自らの力で夢や目標を得なければならない。だが、道に迷うとき、神は人々を導く。その言葉は御使いを通じて、神の代弁者である象徴が伝える。人々はその言葉に従うことで、自身を向上させる。
自ら命を絶つことなく、誰かの手によって殺されることもなく、寿命をまっとうした者たちは神のもとへ行くことができる。
神とともに過ごすことが人間の目標である。
「……これだけ、ですよね」
本に書かれているのは、神の教えと一般常識だ。
どの本を読んでも、同じようなことばかり書かれており、新しい情報はない。そしてどの本にも悪魔についての記述はない。神の言葉を残した聖典にも悪魔に関する記述はなかったのを覚えている。
リリアンは顎に指を当てて考える。
悪魔は存在しない? では、昨日あった少女はいったい……。
「おや、勉強熱心ですね」
顔を上げると、若い男性の司書がテーブルの前に立っていた。茶色かかった髪は短く揺れ、筋肉の付いた腕や胸元はまるで騎士のように鍛え抜かれていた。
「えっと……」
「君のことはよく見かけていたよ。本が好きなのかな?」
「はい。本は好きです」
優しく問いかけられ、リリアンは思わず笑みをこぼした。
「自分を知らない世界に連れていってくれて……幸せな気持ちになるのです」
そう言って顔を上げると、彼は顔を赤らめてリリアンを見ていた。
「あの……?」
「あ、いや。そうなんだね。本が好きなのは良いことだよ」
彼はそう言うと、自身の胸をトントンと叩いた。
「何について調べているのかな? よかったら、私が本を紹介しましょう!」
リリアンは少しためらうように視線を下げる。言っていいのだろうか。そう思いながら、小さな声で言った。
「……神と悪魔について調べています」
それを聞いて司書は茶色の瞳を細めて、微笑ましそうな表情を浮かべた。
「おやおや、まだ悪魔のことを信じているんだね」
彼は眉を下げて笑いながら謝った。
「でも、ごめんね。悪魔はおとぎ話の中でしか存在しない。だから、本として残っているものはないよ」
「そう、ですよね」
カーッと顔が赤くなる。リリアンは恥ずかしくなって立ち上がった。
「教えていただきありがとうございます」
司書に対して礼をすると、本を片付けて図書館を出た。
「あ……また、来てね!」
彼に手を振られ、リリアンは一度振り返って頭を下げてから歩を進めた。
「……はぁ」
思わずため息が出てしまい、リリアンは口をおさえた。
悪魔についての情報がそんなに簡単に出てくるものではないとわかっていた。自分でも今まで悪魔を物語の中に出てくる存在だと思っていたのだから。
人が少なくなってきた廊下を歩きながら、小さく呟く。
「でも、どうしたら調べられるのでしょう」
「あら、リリアン。どうしたのですか?」
独り言が聞かれてしまったようだ。顔を上げると、優しそうな笑みを浮かべるマルヴィナが立っていた。
「何か悩み事かしら」
「えっと……神と悪魔について調べているのです。ですが、神についての記述はたくさんあるのに、悪魔については書かれていなくて」
マルヴィナは「あらあら」と頬に手を添えた。
「あなたが調べものなんて珍しいわね。いったいどうしたの?」
昨日のことを思い出す。
黒い髪に紅い瞳の少女。彼女はリリアンに『神のことを知れ』と言った。どうしてそんなことを言ったのかわからない。だが、彼女の言葉はどこか……責めるようで憂いているように聞こえた。
「私にはまだまだ知らないことがたくさんあります。私は自分の考えが正しいと思っていました。でも……知らないことを知れば、もっと違うものが見えてくるのかもしれないって、そう思ったのです」
マルヴィナは目を細めてリリアンを見た。
「とても良いことですね。視野が広がれば、色々な考え方をすることができますからね」
彼女はそう言うと、人差し指を顎に添えながら考えるように首をかしげた。
「そうねぇ。確かに、悪魔についてのことを書いている本はほとんどないわね」
「どうしてなのでしょうか?」
「本は人が書いていますからね。自分が残しておきたい内容を書き残すものよ。どの情報が正しいのか。それを判断するのは自分次第だわ」
「どうして先生はそこまで詳しいのでしょう」
マルヴィナはにこりと微笑む。
「私は教師歴が長いですからね。卒業した教え子たちと一緒にお茶会をすることもあるから、いろんな人からお話を聞くことできるの」
彼女はそう言うと、「そうそう」と思い出したように手を叩いた。
「そういえば、ウィリアムがあなたのことを心配していたわ。私も、あなたが一人で行動していることが気になっていたの」
今朝、ウィリアムが話しかけて来たことを思い出す。彼が話したかったことはこのことなのだろうか。
「学園の関係者がいなくなっているわ。神の仕業かもしれないし、そうではないのかもしれない。けれども、事が落ち着くまで、ウィリアムと一緒に行動してはどうかしら?」
「それはウィリアムに迷惑ですよ」
リリアンの言葉にマルヴィナはくすりと笑う。
「それはどうかしら。本人に聞いてみてはいかが?」
彼女はそれだけ言うと「では、ごきげんよう」とその場を去っていった。
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