第3話 仮の居場所
白百合を花瓶に入れて卓上に飾る。ナタリアはその白百合を見ながら、ほうっと息を吐いた。
「あなたがこの家に来て、もう六年経つのね」
この家では年に二度、リリアンを祝う日があった。一つは誕生日、そしてもう一つはリリアンが養子に来た日。その祝いの場にはいつも白百合があった。
「早いわ……あなたももうすぐ十六歳になるのよね。成人になったら、たくさんの人を呼んで盛大にお祝いしなくちゃね。今から楽しみだわ」
ナタリアは両手を顔の横で合わせ、にこにこと笑っている。リリアンはそっと自身の耳に触れる。そこには自分の瞳と同じ色のピアスが着いている。貴族の子として認められたときに、王から与えられるものだ。……それは本来なら自分はもらえないはずのものだった。
「……本当に、早いですね」
リリアンの言葉を遮るように食事が運ばれてきた。
「そういえば、リリー。この前の試験って……」
食事中、アレクシスが思い出したように口を開く。その言葉を聞いて、リリアンはアレクシスからスッと顔を背けて、ナタリアの方を見た。
「養母様、今日の食事は一段と美味しいですね」
「まあ! そうでしょう? 領地から取り寄せた野菜をふんだんに使って……」
ナタリアは顔を輝かせて返事をしてくれる。リリアンも笑顔でうなずいていると、後ろから冷たい声が聞こえてきた。
「リリー?」
ゆっくりと目を向ければ、アレクシスは笑顔で圧をかけている。リリアンはその圧を受けながら、ひきつった笑みを浮かべた。
「……捨てました」
素直に白状すると、彼の口から長いため息がこぼれてくる。そんな彼に、ナタリアは「もう!」と声を上げた。
「アレク、そんなにリリーをいじめないで! 私だっていつも赤点だったわ!」
「赤点で胸を張らないでください」
アレクシスはもう一度ため息を吐くと、リリアンの方をピッと指さした。
「いいか? 勉強は大切だ。社会に出てからも、神のもとに行ってからも必要になる。今はしなくても大丈夫と思っていても、いつか後悔する日が……」
そんなお説教に横で聞いていたナタリアが嫌そうに耳をふさいでいた。
「いーやー。聞きたくないーっ」
子どものように駄々をこねる母親にアレクシスは仕方がなさそうに、肩をすくめる。その様子を見て、リリアンはくすくすと笑った。
アレクシスは叱る気力がなくなったのか、「そういえば」と思い出したように顔を上げた。
「また、学園の生徒がいなくなったようだな」
彼の言葉に、リリアンはカトラリーを止めた。彼はそれに気づかず、話を続ける。
「教会では喜ばしいことだと話されているようだ」
「でも、神隠しにあえば、もうこちらには戻って来られないのでしょう? いくら神でも、私の大切なリリーを取られたくないわ」
ナタリアは嫌々と頭を振りながら言う。そんな母親をアレクシスは咎めるように見た。
「母様、その言葉は神に不敬ですよ」
ナタリアは大切に育てられた男爵家の元令嬢だ。末っ子らしく甘やかされて育ったようで、時折その片鱗が顔を見せる。
「ねえ、リリー。落ち着くまで学園をお休みしない? それがいいわ。そうしましょ!」
「そんなことを言って、リリーを手元に置いておきたいだけでしょう?」
アレクシスの言葉にナタリアは当たり前のようにうなずいた。
「そうよ、当然じゃない。アレクは違うの?」
「そ、そりゃ、私もリリーのことは大切に思ってますが……」
アレクシスは少し恥ずかしげに顔を下げ、銀色の前髪を指でいじる。
義兄はリリアンに甘かった。剣に興味があると言えば、こっそり武術を教えてくれた。そして養母にバレて、二人でこってり叱られた思い出がある。
そんな二人を見て、リリアンは小さく笑う。
自分を抱き締める温もりを思い出す。その人の瞳は虚ろで、決して放さないと言わんばかりにしがみついていた。……けれど、リリアンはその人を苦しめ、傷つけた。それにも関わらず、逃げるようにその人から離れた。きっとそんな過ちを犯した自分を、神様は許してはくれないだろう。
リリアンは目を細めてナタリアの方を向いた。
「大丈夫ですよ、養母様。……私が神様に気に入られることなどありえませんから」
その言葉にナタリアは「そんなことないわよ!」と声を荒げた。
「可愛い可愛い、私たちのリリー。あなたが神に気に入られないわけがないわ! それどころか、神に愛されているかもしれないのよ!」
ナタリアはこの家に嫁として来てから、教会へ通うようになった。彼女の家は貴族より商人に近かったようで、信仰心が少し薄い。
そんな彼女にアレクシスが諭すように言う。
「母様。神に愛されているのは象徴メアリー様、ただお一人ですよ」
教会の象徴は神に愛された者がなる立場だ。
神は唯一の魂を愛している。その魂もまた、神を愛していた。神のために、その魂は現世へ人として何度も生まれ変わる。人々が正しい道を歩めるように、神の言葉を伝えるためだ。……すべては神が健やかに楽園で過ごせるようにと。
メアリーは神に愛された魂を持つ子だった。
「神に愛されなくても、私たちがリリーを愛している。それでいいでしょう」
アレクシスの言葉を聞いて、ナタリアは顔を輝かせた。
「そうね、私たちのリリーですものね」
二人はそう言って、こちらに目を向けた。彼らのまっすぐな期待にリリアンは思わず視線を避けてしまう。
そのとき、自分たちに向けられた視線に気づいた。アレクシスとよく似た男性がこちらを見ている。
「クライヴ様」
リリアンが呟くと、ナタリアとアレクシスが静かになって、彼の方に目を向ける。
「父様、おかえりなさい」
アレクシスの言葉に養父は返事をしない。彼の視線は興味を失くしたように、視線を外すと、自室まで歩いて行った。
養父のクライヴとは話をしたことがない。こうやって顔を見るのも稀だった。……彼はリリアンを家族として見ていないのだろう。
食堂は静まり返り、三人とも視線を巡らせる。ナタリアは眉を下げると、仕切り直すように手を叩いた。
「……さあ、食事を続けましょう!」
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