第141話 ルーティン2


音の奔流が私を包む。


鍵盤を叩き奏でる音が私の心臓を叩く。


この音が私の鼓動だ。



表現者としての私を形作るのはこの音たちなのだ。

深く深く沈み込む。

音の世界に沈み込んでいく。




誰だろう


私を呼ぶ声がする。






「……っは!!!」



「そろそろご飯行く?」



「え?もうそんな時間?」



「ほら、時計見て…18時半になるよ。」




時計はとっくに夕方を示しており、自分の没頭具合に薄ら寒い思いをした。


ピアノ室は一年365日全ての日で湿度、温度共に一定であるため、快適なのだ。

ちなみに夏だと少し寒い。 




「あ、もうそんな時間か。着替えなきゃ。」



薄ら寒いのはどうやら体も冷えてしまっているからのようでもあった。



「何食べる?」


「魚でしょ?」


「そう。お店あるの?」


「あるある。鉄板焼き」


「お!贅沢!予約とった?」


「ううん、とってないけどいつも開けてくれるから大丈夫よ。」

そう言うと幸祐里が微妙な顔をする。


「それは大丈夫なのか?」



「大丈夫じゃない?知らんけど。」




今日の合わせはゆるっとしたインバーアランのニットカーデにユニクロのTシャツを合わせ、下はサリヴァンのストレートシルエットのパンツ。


このサリヴァンのパンツは高校の時、貯めたお年玉で買ってから時々買っている。

デザインが凝っているので、スタンダードな服を合わせるとき重宝している。




「靴はマルニでいっか。」


子供部屋くらいあるウォークインのシューズクローゼットから取り出してきたのは、最近出たばかりのマルニとイタリアのメーカーのコラボシューズ。


シルエットはミッドカットくらいかな。




「あ、その靴好き」


「かわいいでしょ?」


「うん、でも初めて見るかも。

いつ買ったの?」



「この前ネットで。」



「なるほど。」




服を着替えて、髪をセットすると他所行きの私が出来上がった。



「じゃあ行きますか!」


「はい!」


玄関に出たらエレベーターを待つ。



「エレベーターいつも長いよね〜。」



「そうね、長い。

でももう少ししたらエレベーターもない生活になるよ。」



「というと?」



「もうすぐアメリカ行くじゃん!」




「そうか!!!!!」




そう、今は留学準備期間中なのだ。

もう既に入学許可はもらっているので、あとは好きなタイミングで行けばいい。




テストは実に簡単な物で、そもそもまともに受けてすらない。




「そういえば、入試って受けたの?」



ちょうど今思い出してたことを幸祐里が聞いてくる。



「あぁ入試受けてないんだよ。ちゃんとしたやつは。」



「えっ!?」



「留学してた時に、活動してたグループがあったでしょ?」



「うん、私たちが見に行ったやつだよね?」



「そうそう。あのグループでやってた曲は俺が書いたやつだし、俺個人もソリストとして大学の名前で活動してたし、その功績と実績を試験として考慮してくれて、

入試合格っていうことにしてもらった。」




「え!そんなのありなの?」




「いや、普通にイレギュラーだと思う。


でも入学したいんですけどって、学校の方の担当者に聞いたら確認しときますねって言われて、数日後にメールきて、いついつにここにきてくださいみたいなのあって。」




「うんうん。」




「行ったらコンサートホールで、15人くらい教授並んでて、じゃあ好きなの弾いて〜って言われて、カンパネラ弾いて、


おー!って言われて、




いきなり楽譜渡されて、これのココ弾いてとか、


125小説目の二拍目から弾いてとか、これ俺書いたやつなんだけど弾いてとかやって、多分2時間くらいかな?」




「そんな感じなんだ!」




「で、多分合格だけど、一応メールするねって副学長が。」




「ふくがくちょう。」




「そんでメールきて、合格だよ〜って。」




「なんかゆるいね。」




「まぁ大学としては入学してほしかったみたいよ。

私の曲で大学が買い上げてくれた物もあるし。

留学生の曲の買い上げは史上初なんだってさ。」




これは数少ない私の自慢の一つでもある。

音大では生徒が書いた曲を大学が権利ごと買い上げることがある。




「それすごいよね!」



「私もすごいと思ってる。」



そんな話をしてるとお店に着いた。



「本日のお店はこちらでーす。」



「おー!たかそう!」



「値段は知らん!いつもカードだから。」



「金持ち〜」



「労働の対価です。」



「あ、緋奈子と実季先輩にも伝えとくね。」



「お願いします!」



店のドアを開けるといつもの大将さんがいた。




「お、いらっしゃい。ほらほら、そこ座って。」



「どうもすみません。

今日もよろしくお願いします。」



「まかしといてよ、いつものおまかせでいい?」



「もちろんです。楽しみです!」



気さくな大将がいつものように嬉しそうに私たちを席に座らせる。




「今日は珍しくお連れさんと?」



「まぁそんなところで。」



「え、ヒロくん私たちに内緒でこんないいとこきてたの!?」



「いやいや、、まぁまぁ、、」


幸祐里は他所行きのモードの時は私のことをヒロくんと呼ぶ。

いや、嫁になってからはヒロくんと呼ぶことが増えたような。

家の中だと、ぐでーっとしてるのでヒロと呼ぶことが多いが。


ヒロくん呼びはひなちゃんもなので我が家のマジョリティはヒロくん呼びの方だ。




そういえば実季先輩のことはみんな実季先輩と呼ぶのはなんでだろう?


ちっさくてかわいいから、みんなの妹みたいなのに、

すごくしっかりしてて、締めるところは締めてくれるし、

頼りになるから逆に先輩と呼びたくなるのだろうか?




私はたまに2人でいる時などは

実季と呼ぶが、そんなときは先輩は耳まで赤くなっている。

すました顔で何もないですよ〜と装いながら耳まで赤くしてる。


慣れない呼ばれ方は照れるよね。



「そういえば、さっきのアメリカの話に戻るけど、

幸祐里はどうするの?

具体的にはまだ聞いてないけど。」




「私はついていくよ。

実季先輩もついていくし、緋奈子もついてくよ。

実季先輩はついていくって言ってもあの人も世界飛び回るからついていく感じはあんまりないかもだけど。」




「じゃあ計画通り留学?」


「そうなるね!

まぁ後で緋奈子も来るからその時詳しい話しするけども。」



もともと、幸祐里と緋奈子は、私がジュリアードに入学する話をしたとき、ついてくるつもりだと言う話をしていた。


向こうで何をするかはまだ決めてないが、その時は私たちも大学に入り直すという話だった。




「そうかそうか。嬉しいよ。

向こうでもまた4人で暮らせるのか。


よかった。」




私は心からホッとした。私も弱くなったのかもしれない。




「私たちは家族だからね。

支えあって、どんどん高めていかなきゃ。」




「そうだな。これからもよろしく。」




私たちはグラスを交わす。

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