第95話 めざめ


「うん、いいんじゃないでしょうか。」




結局私が全曲のゴーサインを出したのは、最初の初合わせから数えて4回目。

最近は彼らの目のハイライトが消えることもなくなって、極めて真面目に「音楽」をしている。




私のオッケーの一言を聞いて、メンバーは大喜びするわけでもなく、さめざめ、涙を流している。




「長かった…。報われた…。」


「やっと寝られる…。」


「お母さん、わたし勝ったよ…?勝てたんだ…。」




わたしが彼らに何をしたと言うのだろうか。


せいぜい2回目の合わせの時に、すこしうまくなってきたからといって図にのっていたので、わたしがサポートでピアノに入ったくらいか?


いつものように合わせるのではなく、食いに行くようなピアノを弾いたのは認めるけど……。




「吉弘先生、ありがとう。

先生のおかげでこいつらもまた新しい世界を知ることができたよ。」




「またまた。リーダーさんお世辞が上手いんだから。

悩んでた私を見かねて仕事くれただけでしょー?

口がうまいなぁ、ほんとに。」



私がそう言うと、みんなが変な目で私を見ていた。

え?なんか悪いこと言ったかな…。




「まぁ、こいつらは、先生のgone windが次の新曲だから!

ぜひ歌番組とかも見てやってくれよ!」




「ぜひ!楽しみにしてますね!楽しみに!!!」




気のせいかメンバーの肩がビクッとしたような。




そして、初合わせから一ヶ月半が過ぎたある日。

街を歩いていると聞き覚えのある曲が。




「あ、gone windか。」


数日前に彼らが出した新曲、gone windは月9ドラマの主題歌に収まり、これまで発表してきた曲とは全く違う曲調がウケて、既存のファンからも絶賛されなおかつ新規ファンをたくさん取り込んだ。



またドラマと主題歌の相乗効果で、ドラマの視聴率はうなぎ上り、そのお陰でライブストリーミング総再生回数も急上昇した。


テレビの時代の終焉が声高に叫ばれる中ではあるが、まだまだテレビの持つ強大な影響力の強さを心から感じた。



ドラマと曲のヒットから、作曲者が誰なのかと言う話題にも水が向けられたのは言うまでもない。


これまでとは全く違う曲調、メンバーが歌番組に出るたびに語る「先生」の存在。


謎が謎を呼び、最終的には宇宙と交信して作られた曲だなんてとんでも理論も飛び出た。




その謎もまた良いスパイスとなり、ドラマの視聴率、CD売り上げとストリーミングに貢献した。



一般人では誰一人として正解にはたどり着かなかったが、業界では正解に辿りついた者もいた。



「先生、どうか!どうかうちのアーティストを!

うちのアーティストをプロデュースしてくださいませんか!?」




また来たよ。


gone windが売れてからの最近になって時々マネージャーとかプロデューサー的な人が大学とかで待ち伏せするようになった。






「大学に来るのはやめていただいて良いですかね?」


「申し訳ありませんが、どうか!」


「こちらこそ申し訳ありませんが、そのような常識のない方とお仕事をする気にはなれませんので、お引き取りください。」


「先生!どうかお願いします!」


そんな声を無視して車に乗って帰ると言う日々も珍しくなくなった。






「で?先輩、どうしたらいいかなぁ。」


「もうあの、有名無実化してる事務所動かせば?」


「それで?」


「窓口を一つ作ってあげて、ここからしか仕事は依頼できませんって形にするのよ。」




「なるほど。」




ということで、正式に事務所を仕事の窓口とすることにした。

事務所と言ってはいるが、実際に建物を構えているわけではない。

一応、登記上会社として登録してあるだけだ。

会社の住所も今の私の家。



物は試しと窓口を開設してみると、依頼のメールが来る来る、来る来る。

ちなみに事務所が開いているのは、ホームページにも書いてあるが日曜朝10時から14時まで。


打ち合わせはその時間だけで完結していただく。



そして、開いたメールボックスには未読の嵐。

メールの依頼も捌ききれないので、先方が打ち合わせをしたい場合、電話予約のみとした。


打ち合わせの電話予約は、10時に私の家の固定電話の回線を開くので、その瞬間につながった人が当選だ。




ちなみに回線の開き方は10時(時々過ぎることもある。)に電話線を繋ぐと言うだけのきわめてシンプルな話だ。

事務所の電話として設定した、家の作業部屋の電話のプラグを、普段は抜いてある。






今日は、そのシステムを構築して、はじめての電話予約くじの抽選日。


つまり営業日。


さてどこの事務所がつながるだろうか。




「開通!」




その瞬間電話が鳴る。




「もしもし。当選おめでとうございます。藤原事務所です。」




はじめて明かすが、この事務所の名前は藤原事務所。

税理士でもいそうなくらい固そうな名前である。




「ありがとうございます!


わたくし、………。


……。……」






うーん話が長い。

仕事の話がしたいのだけど、業界あるあるなのか、私のことを称賛する美辞麗句ばっかりで要領を得ない。




「なるほど。

残念ですが、今回はお仕事をお受けするのを見送らせていただこうと思います。

お力になれずに申し訳ありません。失礼いたします。」




話が要領を得ず、先方の理解しにくかったので仕事の依頼を受けるのを見送った。




「今日は仕事終わり!お疲れ様でした!」

電話を切るとなぜか変な達成感に包まれた。

達成感に包まれたので今日の仕事は終わりだ。



一件しか電話を受けてないが、こういう日もある!

そもそも、基本私は知り合いからしか仕事を受けない。

一見さんで仕事を受けることなんか極めて稀だね。




私が私として受ける仕事においては、という注釈がつくが、

仕事に対するスタンスをそのように持ってからはやっと周りが静かになった。


待ち伏せをされることもなく、平穏を取り戻したのだ。




「やっぱり平和が一番ね。」






しかし、例の一件で、楽曲提供をすること、つまり作曲という形での音楽に楽しみを見いだした私は、先生からの宿題の作曲にもより精を出すようになった。


そして、作曲を頑張れば頑張るほど、ピアノの重要性が身に染みてわかるようになってきた。




ご存知のようにピアノは音域が極めて広い。

一人オーケストラと言われるだけあって、音色も無限にある。


で、あるがゆえに明確な曲のイメージを持てば持つほどピアノに頼り切りになる。

したがって、ピアノの練習量はどんどん増えた。

練習すればするほど、前と同じようにハノン、ツェルニーといった基礎的な練習をしても、その奥深さに目が向き、耳も向くようになった。


冗談ではなくツェルニーを弾いてたら、日が暮れたという日もたくさんある。


私自身、そこまでの成長を感じているわけではないが、そういった基礎練をすればするほど作曲の精度が上がっているのは実感する。


自分が作りたいイメージに近い音を再現することができているように思う。




創作意欲と練習意欲は留まるところを知らず、学校での授業を受けている最中にメロディーが浮かんできて、忘れないようにルーズリーフに交響曲の骨子となる部分のフルスコアを書き連ねたこともある。


いよいよ病気じみてきたなと思う反面、音楽っていいよなって思う。


留学先での刺激が楽しみで仕方ない毎日だ。

向こうでは何ができるんだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る