第89話 新学期
さてさて、新学期が始まりましたわよっと。
今年の誕生日で私は二十歳になり、お酒が解禁される。
今からもうワクワクしてたまらない。
そして、9月からアメリカ。誕生日はギリギリ日本で過ごせそうだ。
幸祐里ほんとにアメリカ来る気なんだろうか…。
まぁそんなことは置いておきまして、新年度始まって初の登校になるわけですが、キャンパスがどことなく浮ついていてあちらこちらで新入生に声をかけている姿を見かける。
例の如く、実季先輩は音研のコンサートの勧誘でもしていた。
「ウス、先輩。」
「あら、吉弘くん。なにしてるの?こんなところで。」
「先輩こそ。
そういう仕事は下の学年の子がやるんじゃないですか?」
「わたしもう進路決まってるから。」
「あー、なるほど。」
実季先輩は卒業したら弓先生のところで本格的に音楽をするらしい。
いろいろ悩んだし、音楽から遠ざかった時期もあるが、私と出会って先輩は音楽の楽しさを再確認できたとか。
そういうわけで、柳井実季は弓天音の正当後継者になるってことね。
先生も、先輩が卒業したら本格的にもっと厳しく育てるんだってさ。
「ちゃんと私にも仕事回してくださいね。」
「めんどくさくて、お金にならない上に難しい仕事ばっかり回すね。」
「違う取引先探します。」
私は年末年始の仕事以来、先生から宿題のように仕事がちょこちょこ回されるようになって、小銭を稼いでいる。
小銭にしては些か額が多すぎるような気もするが。
ピアノの借金も順調に返済できている。
そうそう、最近先生が回してくる仕事も高度化してきて、パソコンを使った作曲のようなものも紛れ込むようになった。
なので、りんごのマークのパソコンを買い、パソコンソフトで音楽の仕事も請け負うようになった。
パソコンソフトでなどとかっこよさげなことを言っているが、多分ソフトの実力の10%すらも引き出せてないと思う。
ほとんど鍵盤で弾いたものを楽譜に直すためだけに使っていると言っても過言ではない。
「まぁまぁ。そう言わずに。」
そんなことを言いながら先輩は新入生をどんどんと回収してはホールに回している。
そういえば、一年前の今日、先輩の演奏を聞いて人生が変わったんだなぁと考えると少し涙が出そうになる。
なんの涙かはわからないけど。
「先輩、私ね、1年前の今日先輩の演奏を聴いて、人生が変わって、今の私があるんですよ。」
「…そっか。
私の演奏で人生が変わった…か。
そんな人を目の当たりにしたから私もまた音楽と向き合えるようになったんだよなぁ。」
「えっ?」
「本気で、死に物狂いで音楽と向き合ってる人が私の近くにいて、
その人を音楽に駆り立てたのは私の演奏って言うから。
私の音楽でも人の心をそれだけ動かせるって知れて。
今の私があるのも吉弘くんのおかげだよ?」
「ひとって、お互いが影響与え合ってますねぇ。」
「まさにそうだね。」
「今年も、そんな子現れますかね。」
「現れて欲しいね。
もっと音楽が楽しくなるような子が。」
「私もそう思います。
じゃあ、演奏会頑張ってください!」
「どこ行くの?」
「えっ?練習ですけど。」
「あなた出番あるわよ?」
「えぇ!?!?
私音研じゃないんですけど!!!」
「連弾しましょう、連弾。」
「えぇ?」
心が揺らぐ。
いい匂いの先輩の横に座って、肌と肌が触れ合いそうな間合いで、2人で一つのものを作る…。
たまらんなこれ。
「いつも遊びで2人で弾いてたあれやろうよ、あれ。」
あれとは、ニューヨークで暇つぶしに動画配信サイトを見たときにたまたま流れた、連弾のピアノ曲で
元はテレビ番組の主題歌だ。
原曲はヴァイオリンである。
これを2人で、できる限り耳コピして再現したのだ。
耳コピだしうろ覚えなので、アレンジもどえらいことになっている。
そこに先生が悪ノリしてもっと注文をつけたり音を付け加えたりするものだからとんでもないことになっている曲があるのだ。
「あれですかぁ…。」
「どうせ今日はもう朝から弾いてきたんでしょ?
ウォーミングアップバッチリでしょ?」
怖いくらい私の行動筒抜けだな。
まさにその通りだよ。
「まぁ、そうですけど…。」
「時間の都合上リハもなにもないけどいけるでしょ?
オーケストラになったら、
渡された曲と本番の曲が違いました。渡し間違えちゃった〜
なんてことまぁまぁあるんだからね。」
それはゾッとする。
練習してきた曲と本番リハで合わせた曲が違うだなんて頭抱えちゃう。
「まぁいいですけど。」
「じゃあいくわよ!」
「えっどこに?」
「もうすぐ出番よ!」
「もうすぐ出番なのにあんたなにしてんだ!」
「細かいことはいいのよ!いくわよ!」
「もーやだー!」
そしてやってきた舞台袖。
今日の演奏はいつもみたいなしゃちほこばった演奏会ではないので平服でいい。
というかみんな平服だ。
やる曲もポップスだし、私今日ジャケットだしいいでしょ。
いやというほど弾いたので、楽譜はもう頭の中に入っている。
今更なにを確認することもない。
「じゃいきましょ。」
「ウッス。」
トリということもあり、拍手で迎え入れられる。
ピアノ椅子について、一呼吸おいて、手をポジションにセットする。
冒頭のソロは私がもらった。
いつも通り弾いてもつまらないので、先輩に対する挑戦を込めて、いきなりアレンジする。
鍵盤を下から上まで、所狭しと踊るようにかき鳴らす。
先輩が息を飲んだのが耳元で聞こえてくすぐったい。
ソロが終わったところでいよいよ先輩が合流してくる。
先輩に合わせて弾いてたらいつのまにかラテンジャズアレンジに変わっていた。
モントゥーノのリズムってほんとにテンション上がるよね。
こっちが気づかないうちに流れを変えて自分の土俵に持ってくる手腕はさすが先輩と言わざるを得ない。
本当に情熱の大陸の匂いがするような気がする。
スペインあたりの。
そのあとも、互いが削り合うようなやり合いが続いた。
弾き終わったときには2人とも疲労困憊。
しかし、会場はこの日1番の盛り上がりで、疲れた甲斐があったというものだ。
「吉弘くんお疲れ様。今度は勝つから。」
「お疲れさまです。私も勝ちますから。」
私はそのあとすぐに学校を出て、家に帰って先生からの仕事をこなしていた。
後から知ったのだが、あの日音研の生徒はもちろん、他学部の生徒からもピアノが弾きたいという生徒が殺到し、その人たちを捌くのでてんてこまいだったらしい。
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