第75話 オーディションまでの道のり。
「と、まぁこんな感じでオーディション行こうと思うんですけどどうですかね?」
「うーん…。悪くはないし通るとは思うけど…。」
「けど?」
「リストやっていいからって飛びついただけのような気がするのと、
ショスタコは選んだ意味がよくわかんない。」
「なるほど。」
わたしは今先輩にオーディションの曲を見てもらっている。先輩曰く、まず曲のチョイスから気に入らないらしい。
「まぁ、完成度から言うとカンパネラは残すとして、ショスタコは変えたら?」
「変えますかぁ?」
「ちょっと作曲家リスト見せてよ」
「はい、これです。」
「お、あるじゃんあるじゃん。」
「え?」
「シュトラヴィンスキー。」
「まさかぁ。」
「これやろうよ。曲はペトルーシュカからの三楽章」
実季先輩のご指定はペトルーシュカ。
シュトラヴィンスキー作曲だけど、これ実季先輩が好きなだけじゃん。
この前火の鳥、演ってたし
ご指定の「ペトルーシュカからの三楽章」とは大きな跳躍や重音、その他もろもろ様々な技巧が凝らされた難曲中の難曲である。
楽譜は三段譜は当たり前、四段譜のところもあるような難曲中の難曲
そもそもオケ編成の曲をピアノに作曲者自身が編曲したのだから無理が発生している。
そもそも発注からして「いっちゃん難しいの頼むで!」という発注で作った曲なので常人が引く曲ではない。
実季先輩から音源を教えてもらい聴いてみる。
「これ、やるの…?」
「これくらいやりなさいよ。」
「あと2週間しかないんですが…。」
「なんとかすんのよ。2〜3日中に形にしなさい。」
「ヒエ…」
と言う指令が下されたのでやるしかない。
まずこんな洒落た楽譜が置いてある楽器屋さんなんてないので、ここならあるか?という一縷の望みをかけて本郷に向かう。
本郷には輸入楽譜の専門店がある。
アカデメイアという店なのだが、たいてい何でもある。
わたしの中では困ったときのアカデメイア的な位置づけだ。
「ペトルーシュカありますー?」
「オケもピアノもあるよ。」
やはりここにはあった。
常時3万点の楽譜の品揃えは伊達じゃない。
楽譜を手に入れたので、とりあえず家に持ち帰って練習だ。
今日の授業はもう消化していたので助かった。
「はいはい、まずは譜読みからね…。」
3時間後…
「なんだこれ…。」
まずどんな作りの曲なのか、どう弾くのか、どこに注意するのかそんなことを考えるのが譜読みである。ピアノで弾きながら譜読みする人も多いが私は音源を聴きながら譜読みする。
とりあえず正解の音を流してくれるので、こういう難曲をやるときはやりやすい。
そして、まず、私が譜読みして、弾き方がわからない箇所が何個もあるというのが異常だ。
結局、とりあえず譜読みが終わったのは夜11時。
6時間もかけてしまった。
やればやるほどわからん。
とりあえず譜読みしたし弾いてみよう。
「なんだこれ…。」
まず最初の和音がまともな人間なら逃げ出すような重音で構成されている。
「やる気なくすわ…。
というか、まともに弾いたら普通は体壊す。」
ピアニストによってはこの曲を弾きませんと表明している世界的奏者もいる。
筋肉鍛えててよかった。やっぱり筋肉は裏切らない。
譜読みを終えてから、そのあとまた3時間ほど弾いてみてとりあえず初日の結果としては満足する音を出せた。
「寝なきゃ…。先輩に怒られる。」
先輩はなぜか、私の睡眠時間が足りてないときはそれを察知して問い詰めてくる。
次の日学校へ行く時も、車の中で音源を聴く。
授業中も楽譜が頭の中に浮かぶ。
授業を終えると、音源が流れる車で速攻家に帰り、その音源が頭の中にある状態でピアノを弾き込む。
ファツィを買ってからもうすぐ二ヶ月。このオーディションの前に一回調整入ってもらいたいなと思いながらひたすらに弾き込む。
そういう生活を2日間した。
「はい、聴かせてもらいましょう。」
ちゃんと先輩が来る30分前には練習室入りして、指を温めて、ウォームアップをこなしている。
「じゃ、お願いします。」
弾きながら、前半部分のファンファーレ的な和音はもっと響かせて、歌う部分とコントラスト利かせてもよかったかなとか、
後半の現代音楽的な色が強くなるところはもっと入り込んでもよかったかなとか、反省は次々出てくる。
全編通して、強弱のバランスはもっとつけてあげたいところだね。
「はい、どうでしょうか。」
「まぁ、相変わらずだけど、2〜3日の完成度とは思えないわよね。」
「正直限界超えて集中してたと思います。
とりあえず形にしないとどうにもならないので。」
「そうね、じゃあ聴いてて思ったところ直して欲しいとこ言っていくわね。」
「お願いします。」
やっぱり、2、3日の出来なので粗は多い。
頭からどんどんダメ出しをされていき、
最終的に山ほど宿題をもらって帰ってきた。
とりあえず練習しようか…。
〜〜〜〜~〜柳井実季の場合。~~~~~~
正直無茶振りをした感は否めない。
でも、ニューヨークでの先生の家修行を経てから、彼のピアノに対する姿勢が変わったような気がする。
明確に将来の見通しを立てたからかしら?
だから、結構難しい宿題を出してもこなせそうだなって。
ダメだったらショスタコに戻せばいいよ。
どっちにしたっと一次試験くらい通るよ。
宿題を出してから2、3日が経って、経過観察してみてびっくり。
だいたいできとるやん。
ここで基本的な大体のこと教えてあげるつもりで来たのに、基本的なことはほとんど言うべき点が見つからなかった。
こいつ天才なんやな。でも睡眠時間たりてないけど。
言えば言った以上の成果が帰ってくるから、
楽しくなってもっときつい宿題出しちゃった。
頼むよ!吉弘くん!
〜〜〜〜〜〜
あのあと、さらにきつい宿題がどっさり出されてからは、正直他のことが手につかないくらいピアノにかかりきりになった。
一応ちゃんとやり切ったと思うけどわからん。
もしかしたらなんか忘れとるかもしれん。
「弱気になるんじゃないよ!高々オーディションの一次審査なんだからね!」
そう、今日はオーディションの当日。
会場は豊洲。
なんか外国人って豊洲好きくない?
そんなイメージ。
私としては笹塚と対決したホールもここだし、
ピアノも馴染みのあるホールなので願ったり叶ったりだったり。
「とりあえずがんばります。」
私は先輩と別れて控え室に行く。
いつもと違って、練習する時間が確保されてないので、すこし違和感。
他にもたくさんの受験者がいるから仕方ないのかもしれない。
こういう時サックスだったら楽器持って外に行って自分で音出しできるんだけどなぁ。
控え室に入ると思いの外みんなラフな格好で驚く。
TシャツGパン姿の人とかもいて新しい世界を知った気持ちだ。
「こんにちは!オーディション初めて?」
「えっ?あっ、はい。」
なんだこいつ?と思わなくもないが、緊張してる感じを表に出していたから気をつかって話しかけてくれたんだろう。
「まぁまぁ、肩の力抜いて!
緊張してたらいい音でないよ!」
「はぁ、そうですか。」
ほっとけよと内心思わなくもないが相手を気遣うその心意気には感心する。
一応ライバルなんじゃないの?
控え室の中は、もっとみんな穴が開くほど楽譜見たり、ピリついてるのかと思いきやそうでもなかった。
変なこいつのおかげで周りを見る余裕が出てきた。
「どこからきたの?あ、名前は?」
「藤原です、都内です。」
「そうなんだ!大学どこ?」
「あ、四谷の。」
「えっ?もしかして音大じゃない?教育学部系とか?」
「いや、外国語学部です。」
この辺から相手の顔色がおかしくなってきた。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
「何がですか?」
「周りみんな藝大とか有力音大だよ?」
「そうなんですね、それが何か?」
「いや、なんでも…。」
こいつは何を言っているんだろうか。
心底理解できない。
首を傾げていると新たな乱入者だ。
「おい、島崎言ってやれよかわいそうだろ」
言い方に、明らかな半笑いの要素が入っていた。
「いやぁ…。」
島崎は言い淀む。君、島崎って名前だったのね。
「だからぁ、こいつが言ってんのは、みんな本気で音楽やってきて、世界を目指して今日のオーディション来てんのに音楽系の学部でもないお前が来てどうなんの?って話なの。わかる?」
なるほど、そういうことか。
「そういうことでしたか。」
「わかったら帰ったr
「ご心配をおかけして申し訳ありません。
私なんぞのご心配をして頂けるとはさぞかし御高名な御演奏者様でございましたか。
こちらこそ配慮が足りず申し訳ございません。
して、本日はその御高名な御演奏者様は御審査員の方でございますでしょうか?
さぞかし名の知れた御演奏者様でございますからにはまさかオーディションにご参加というわけではございませんよね?
あ、申し遅れました、私藤原と申します。
浅学非才の身にて申し訳ございませんが、どうか御高名にして審査員様を御務めであらせられます貴方様のお名前を私めにお教え願えますでしょうか?」
もう途中から顔が赤を通り越してどす黒かった。
高々学生の分際で他人のことどうこう言ってんじゃねぇ。
私もお前も同じ立場だろうが。
煽り耐性もゼロのくせして。
「貴様ァ…。」
「して、島崎様はいかがですかな?
島崎様もこちらの優秀にして最高の演奏家にあらせられます、こちらのなにがし殿と同様にさぞかしお上手なピアノの音色をお持ちでいらっしゃるのでしょうね。全くもって楽しみでございます。
きっとここにいらっしゃる他の演奏者様の方も楽しみにしていらっしゃるのでしょうね。
私も今から楽しみでございます。
天下のジュリアードのオーディションで、私のような無知蒙昧な人種にまでご慈悲を下さるのですからきっとご自身がオーディションに選ばれると信じて疑いのないような御実績と御自信を積み重ねておられるのでしょう。
どうかその一端だけでも御教授願えませんか?
ほら!ぜひに!早く!さぁ!」
島崎は顔を真っ青にして控室を出て行った。
それにくっついてどす黒顔大御所もどきも出て行った。
周りを見渡すとなぜか誰も目を合わせてくれない。
なぜだろう。
まぁいいか。
やっと静かになったし。
緊張もいつの間にか吹っ飛んだ。
そこだけは感謝したい。
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