第55話 ある昼下がりのこと。



ファミレスで2人で腹を割って話し合った後は、

なんとまぁなごやかに練習が進んだ。




私も、思うところはあるが、笹塚の人となりを知ることができた。

彼女の話をよくよく聞いてみると、あの時そう思うのもわからないことはない。

理解はできないが。




大嫌いな人から、苦手な人にランクアップしたというだけの話だ。




そして、あの日の練習が終わった後も、かなりつきまとってくるようになった。

それがまた面倒くさい。




私がひなちゃんと居ようと、幸祐里と居ようと、

お構いなしにやってくる。

楽譜を片手に。






ひなちゃんも幸祐里も、この人大丈夫?といった目で見てくる。




確かに私も大丈夫かどうか不安なので問いただすことにしてみた。






「藤原、今ちょっといい?」




「あのね、笹塚。

今、私は、友達と話してるの。

見てわからないかな?」




「あっ、うん。ごめん。」




「練習熱心なのはいいと思うんだけど、

それが他の人に迷惑をかけるようになったら良くないと思うんだよね。

自分の都合だけで、他の人に迷惑をかけてはいけない。いいね?」




「はい…。」




笹塚はシュンとして、尻尾が垂れ下がった犬のようになっている。


あまりの落ち込みように、こちらの罪悪感を刺激される。


背が高く、シュッとした美しい勝気な顔立ちの女性にそこまで落ち込まれるとこちらも悪いことをしているようになる。




「吉弘…。」




ちょっと待て、今私と話をしてるお前までなんで私をそういう目で見るんだ。




「早くフォロー…。」


小声で幸祐里が呟く。




「聞きたいことがあるならあとで聞くから。

いつもの時間に練習で。」




「!!!!うん!わかった!練習室とっておくね!!」




花が咲く笑顔とはまさにこのことだろう。

周りで見ていた女子学生も男子学生も見惚れている。




走り去っていく笹塚。

それを目で追う幸祐里。

ため息をつきながらこめかみを揉み解す私。




「あの人最近よくみるけど、誰?」


「音研のヴァイオリニストの笹塚。

下の名前は忘れた。」




「あぁ、あの人が笹塚先輩。初めて見た。」




「はっ?先輩?」




「うん、先輩。


有名だよ?前のミスコンでグランプリだった人。


柳井さんが準ミスだったとき。」




「えぇ…。あれが?」


まさか先輩とは…。


しかも先輩にあんな口調で…。


呼び捨ててるし…。


「しっ!あの人ファン多いんだから!!」




「えぇ…。」


しかもファンも多いのかよ…。




「まぁ敵も多いって話は聞くけどね。


音研からミスも準ミスも出たっていうので大騒ぎだったらしいよ?


しかもあの2人よくデュオ?組んでたらしいし。」




敵もファンも多いというのはよくわかる。


合う人は合うだろうし合わない人はとことん合わないだろう。


ちなみに私は合わない人だ。




「あいつが派手なヴァイオリン弾くから合わせられるの実季先輩しかいなかっただけでしょ。」




「そうなの?」




「だって次のパートナー私だし。」




「えぇ!?!?!?大丈夫なの?!?!?」




「この前初合わせやってきたけど、ゴリゴリにやり合った結果この状態。」




「あぁ、先輩も蹂躙されたんだ…。」




「先輩も!ってなんだよ、も!って。」


蹂躙だなんて人聞きの悪い。


シメてやっただけの話だ。




「いやぁ、他意はないっすよ先生。


もう今や売れっ子ピアニスト先生じゃないっすか。」




「何が売れっ子だよ。学内だけじゃねぇか。」




「学内で売れっ子なのは否定しないんだ。」




「ぐっ…!」




「まぁたしかに、吉弘のピアノはうまいのは間違いない。


そして、コンサートに吉弘呼ぶだけでチケットが飛ぶように売れるのは有名な話。」




「チケットねぇ。」


まぁプロでやっていこうと思ってるのに


学生のチケット一つ売れないようでは先が思いやられるというものです。








授業が終わるといつもの練習室にそのまま向かう。


きっと笹塚が先に入って練習しているだろう。




「ういーす。」




「藤原!


今日も授業お疲れ様!

さっきはごめんな。気をつける!」


「うん、いいよ。」


どうも最初を知っているからか、この態度の変わりように調子を崩される。

笑った時に目がなくなるのとか意外と可愛いんだよな。

こう、クシャッと笑うというのか。

あと、子犬みたいなんだよ。

ビビりのくせにちょろちょろしてるところとか。



いかんいかん、集中集中。




「よし、じゃ頭から。」




「はい!」








こうやって、私が練習スケジュールを組んで、練習を仕切っていると、高校時代の吹奏楽部時代を思い出す。






「よし。今日はこんなとこかな。時間も時間だし。」




「うーん、もっと練習せないかんなぁ…。」




「ん?」




「あっ!」




「どうした?」




「いや、関西弁出ちゃったと思って。」




「あぁ。出身関西だっけ。」


毛ほども興味はないが一応聞いておく。

聞いて欲しそうだったから。




「うん、関西弁って言っても神戸だから大阪弁とはちょっとちゃうんやけどね。」




「へぇ。」




「東京もう長いから、地元帰っても変な関西弁って言われるんやけどね。」




「そうなんだ。よし、出るよ!」


適当に聞き流しながら、退出の準備を済ませた。

実は関西弁女子良いなって思ったのは秘密。




「あっ、待って!」




笹塚の方は全く準備が進んでない。


早くしろよ…。


暇つぶしに適当にピアノを弾きながら待つ。




「いい音色だなぁ…。」




「いいから手動かせよ。」






やっと家に帰ることができた。

家に帰ったタイミングでメールをチェックすると

弓先生からメールが。




件名は今週のレッスンについてだ。






【藤原くんへ。




お疲れ様。


今週のレッスンについてなんだけど、


どうしても帰国できそうにない仕事が立て込んでいるので、延期します。


つきましては、こちらでチェックしますので、


演奏動画を今週どこかで撮影してメールで送ってください。


生レッスンに比べるとできることは限られると思うけど、逆に動画だからできることもあると思うのでよろしく。




それともう一点。




私の代わりに、私が見てる生徒さんのレッスンしてあげて欲しいのだけど、都合がついたら教えてください。


日程は今週の日曜日、13時〜16時です。


内容はボイストレーニングの伴奏で、楽譜は添付してあります。


ボイスについてのアドバイスやレッスンは大丈夫です。できることがあったらしてあげるくらいで。


私が提供した楽曲をやってもらうことになった方なので、表現に関しては教えられる範囲で教えてあげてください。




以上。




弓天音】




また先生無茶言うなぁ…。

私だって先生の歌のレッスン受けたことほとんどないのに…。

まぁちょこちょこ見学はしてたけど…。




一応時間的な都合はついたので、やれますけど無理ですと伝えた。




即レスでやりなさいと一言だけ返ってきたのでやるしかない。




もう夜にもかかわらず、先生の家に連絡して、住み込みで働いているお手伝いさんに今から向かいますと伝えて、車で向かった。






「えー、と。これとこれと、これも持ってくか。


これも一応。


あと、これも。」




「藤原さん、お疲れ様です。」




「あぁ!木村さん。


夜遅いのにすいません本当に。」




もう夜の10時を過ぎているというのに、お手伝いの木村さんには、わざわざ屋敷の鍵を開けてもらって、本当に申し訳ない思いでいっぱいになる。




「いいんですよ。


実季さんも夜中におうちに来られて先生の資料を持っていかれることたくさんありましたから。」




先輩も苦労してるんだなぁ。




「そういうものなのですね…。」




「はい。おそらく。




あとこちらもどうぞ。弓先生からです。」




「先生から?あっ!」




「もし来られたらこちらを渡すようにと。


生徒さんの練習・レッスンカルテです。」




「ありがとうございます。


できる限りやってみます。」




「大変かもしれないですけど、先生が任せるということはきっと大丈夫ですよ。


それだけ信頼されているということだと思います。


先生は完璧主義なので、お弟子さんに求められるレベルも高いですけど。」




そのハードルの高さがプレッシャーなんだよなぁ。




「ちゃんと弟子、務められてるんでしょうか…。」




「大丈夫です。先生がおっしゃることですもの。」




「わかりました、ありがとうございます。」






先生の屋敷から、日曜のレッスンに使えそうな資料を手当たり次第持って帰って、読み込んだ。


中には英語のレッスン書もあったが日本語と同じレベルで読み込むことができる私には関係ない、はずだった。




「専門用語が多過ぎてわからん…。」




結局辞書と格闘しつつ読み込むはめになった。


それからというもの、日曜まで専門書を読み込み、カルテを読み込み、音研声楽科の知り合いにもアドバイスを求め、なんとか会話はできる程度まで知識を詰め込んだ。

こんなに勉強したのは受験勉強以来だと思う。

そもそもなんで外語の私が声楽の方まで知り合い増えてんだよ…。





先生の家でレッスンをするのも悪いので、先生のメールに添付されていた、生徒さんのメールアドレスに連絡をして、私の家に来てもらうことにした。


せっかく防音室もあるし、いいだろう。






そしてやってきた日曜日。


すごく緊張する。




インターホンが鳴る。


インターホン越しに来客者をみてみると、金髪でサングラスにマスク姿で、かなり怪しい。




どちら様ですか?と尋ねると、あからさまに動揺したが、かろうじて弓先生という言葉が聞き取れたので、失礼しました!とお伝えして、下まで迎えにいく。




その時、あまりの動揺と急いでいたこともあって、スリッパで行ってしまったのは、やらかしてしまった!と思った。




すると、下におられたのは、背が高くぱっと見女性が男性かわからないような方。


立ち姿が非常に美しく、もしかして舞台の方かな?とも考えた。


考えたが生徒さんのご職業は私には関係ないので、特に聞くようなこともせず、お部屋までご案内差し上げる。


エレベーターに乗る時後ろで上を向いて首をトントンやっていたしぐさが気になった。






防音室にご案内して、買ったものでまだ開封していない常温の水をお出しする。






「今日は、弓の代わりにレッスンパートナーを務めさせていただきます。藤原と申します。


よろしくお願いいたします。」




「こちらこそ今日はよろしくお願いいたします。


藤原先生については弓先生から、お弟子さんだとお伺いしております。


レッスン課題につきましては、事前に先生からお伺いしておりますので、こちらをお願いいたします。」


生徒さんはそう言って紙束を差し出す。




「拝見します。」


内容は私がもらった内容と変わらない。


生徒さん向きの注意事項が書いてあるか、講師用のアドバイスが書いてあるかの違いしかない。




「私がいただいたものと同じですね。


それではレッスンを始めさせていただきます。」




「よろしくお願いします。」






レッスンはつつがなく終了した。


途中変な汗をかいたところも多くあるが、概ね問題ない。と思いたい。


生徒さんの集中力は流石の一言だった。


途中、お話を聞くと某歌劇団のメンバーさんらしく、序列もかなり上の方らしい。


今日練習した曲をやるので、ぜひお越しになってくださいとチケットを頂いた。




先生、一曲提供かと思ったら全編の音楽監督だったよ…。


どうりでやる曲多いと思ったよ…。


しかも来週から公演始まるのね…。


レッスン日程もずらせないわけだわ…。




ちなみに先生は、先生の先生から無茶振りをされたので日本に帰れないらしい。


先生の先生だなんて、恐ろしくて恐ろしくて…。

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