第56話 あるレッスン生の話。


大丈夫だろうか、今日のレッスンは…。


先生から、今日のレッスンはお弟子さんがやってくれるという話を聞いたときは不安に思った。




しかし、先生が大丈夫というのだから信じるしかない。




お弟子さんに、レッスン場所として、言われた住所に来てみると、そこにあるのは超高級タワーマンション。




「こ、怖い…。」




私はこのマンションで何をされるのだろうか?


先生はお弟子さんとおっしゃったけどとんでもない巨匠とか出てきたらどうしよう…。




インターホンに向かい、部屋番号を押すと、ふた部屋しかない最上階のうちの一室だった。


さらに恐怖は増す。




しかもどちら様ですかと言われた。


部屋番号を間違えたかと思ったが、ちゃんとあってたようだ。


よかった。


でも声を聞く限り相当若いような?






迎えに来てくださったお弟子さんは、非常に背が高く、女にしてはだいぶ背が高い私が少し見上げるほどだった。


そして、甘いマスクをしていた。


まさに、いま私が演じる予定の役をそのままこの世に顕現させたような。


アンニュイでいて儚げ。それでいて苛烈さを瞳の中に隠し持つ。まさに冷酷な黄泉の帝王。






先生、これはこれで刺激が強過ぎます。






しかも急いで来てくれたのか、スリッパで下まで来てくれたことに気づいた。


チャーミング…!


あ、鼻血鼻血。




お弟子さんのおうちの防音室に案内されて、もう私は借りてきた猫状態だ。


こんな豪華なマンションで、豪華でとても広いお部屋で、調度のセンスも光る。


ピアノは大きなグランドが一台。


そして先生のレッスンが始まった。






先生のレッスンは、一言で言うと超スパルタ。


決して喉は酷使させないが、少しでも満足させることができないとやり直しだ。

そして求めるレベルが非常に高い。

音感、アーティキュレーション、表現。


私の抱えるそれらの課題に関しても一目で見抜かれてしまった。

きっとその、先生の手元にあるカルテにもかいてあるのだろうが、先生は先ほどからカルテに一切目を通さない。


ひと段落着くごとに何かを書き加えるのみだ。




先生、カルテを見ない代わりに私の目をじっと見るのやめませんか…?


ドキドキします…。




先生はまだお若くていらっしゃるのに、仕草や声その他諸々に色気が溢れ出ている。

私にも先生の仕草を研究して、自分の役に活かせそうなところが非常にたくさんあった。

レッスン終盤には、私の方が先生のことをじっと見ていたと思う。






たまには違う先生のレッスンを受けてみるのもいいかもしれない。


弓先生とは違った視点で物事を考えるいい機会にもなる。


藤原先生は弓先生の血統の先生だから、軸もぶれにくい。


今度からたまに藤原先生のレッスンも受けてみることにしてみよう。








次の日、劇場のお稽古場にて。


正直、この舞台にはかなり力が入っている。

今年は初演から数えての執念になるし。

看板ミュージカルみたいなところあるし。


何より私は何十年も前、この作品を小さいころに初めて見て、この劇団に入りたいと思った。


いざ演じる側に回ってみて思うが、この演目はめちゃくちゃ難しい。

私はド主役。

一息つく間がない。


でも藤原先生と弓先生のおかげで何とかこの大きなヤマを乗り換えられそうだ。


「おはようございます!」

稽古場の扉を開けて大きな声であいさつをする。

そこで、来週からいよいよ初日を迎える、ピリピリしたこの舞台の他の演者に突っ込まれた。

「色気増しました?」




「そこかよ!」




「いや、なんか、妖しいというか、色気がすごいというか…。」




「弓先生のレッスンに行ってきたんだよ。」


私は男役をやるので、稽古中は基本的に自分は男であることを意識して練習するようにしている。


話しかけてきたこいつももちろん男役だ。


もう数年もするとこいつが私の後釜になるのだろう。




「あぁ、音楽監督やられてる弓先生。


でも弓先生ってそんな色気バリバリというか、学ぶべきところはそこではないというか…。」




そうだな。


弓先生はそういうタイプの人ではない。


女性としての色気は感じるが、男性としての色気ではない。




「今回は男性のお弟子さんがレッスン受け持ってくださったんだけど、いつもの弓先生のレッスンに加えて参考になるところがたくさんあって。」




「それでこの色気ですか。」


そんなに色気増すか?


レッスンの一回で。


まぁでも、先生の色気がやばかったのは間違いない。


もし、弓先生と2人でレッスンされたら倒れてた自信ある。




「正直、先生の色気やばかった。」




「そんなに?写メないの?」




「後で見返そうと思って、先生に許可もらってレッスン風景撮らせてもらったのがある。」




「ちょっと見せてくださいよ。」




「いいぞ。」




徐にスマホを取り出し、レッスン映像を再生する。


「「…………。」」




「やばい。」




「やばいだろ?」




「やばい。」


「やばい」


「やばいです。」




なぜか、周りからいろんな人の声がする。


2人で見てたと思ったら、気付いたら周りは黒山の人だかりだった。




「おい!見んなよ!」




「ずるい。」


「ずるいぞー!」


「ずるい!」




口々にみんながずるいと非難してくる。




「私の先生だからな!」




もはや現場は炎上と言っていいだろう。


大ブーイングの嵐だ。


先生を連れてこいとか、先生を紹介しろとか口々にヤジが飛ぶ。




「わかった、わかった。」


そう言うと言質とっただの、吐いた唾飲むなとか様々な声が上がる。






「先生には、今度の舞台のSSチケットをお渡ししました。最前列です。


きっと期間中にはきてくれるでしょう。


もし先生の琴線に触れる舞台ができたら、今後先生から何かしらのアクションがあるかもしれませんし、劇団としてお仕事を依頼するかもしれません、お客様となってまた見に来てくれるかもしれません。


ですのでみなさん、一丸となって、まず1人のお客様を喜ばせるところから。


そして、たくさんのお客様にその喜びを味わっていただけるように頑張りましょう!」






「「「「はい!」」」」




よかった、うまいことなんとかまとまった。






後日、先生が観劇にいらして、お礼ということで差し入れを出してくださった。


そこで、美味しすぎるお菓子と、人数分どころかだいぶ余裕がある数のメイク落としとフェイスパックが差し入れられ、みんながみんな歓喜の渦に包まれ、それでまたひと騒ぎあったのは別の話。



先生、女心わかってるなぁ。

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