第54話 笹塚癸美香という女。


大学の中を歩いていると、私の親友の女の子、ほのかがすごく落ち込んだ顔をしていた。




隣にはすごくでかい男が立っている。


大丈夫かな?


虐められてる?




ちょっと助けに行こう。




「なぁにしてんの?」




話を聞くとどうやらそういういじめみたいなものではないらしい。


ピアノ同好会にお誘いしたとか。




「ふーん。いいじゃん、藤原さん?入ってあげなよ。」




その一言が彼の何かに火をつけてしまったらしい。




めちゃくちゃな言い合いになった。




彼がその場を去ったあと、私は怒られた。




「どうして癸美香はそういうものの言い方をするのかなぁ?


私と彼が話しているところに乱入してかき乱すようなことをなんでするのかなぁ?」




「いや、虐められてると思って…。」




「私、合気道と空手に関しては日本一になったこともあるんだけどなぁ。」




そうだった、ほのかはちっちゃいくせにめちゃくちゃ強いのだ。


ちっちゃいくせに。


幼なじみで、私がちっちゃい頃虐められてた時に、助けに来てくれて、いじめっこ相手に無双していたのは記憶に焼き付いて久しい。




「今ちっちゃいって言った?」




「いや!なんでも!」




「でも、助けに来てくれてありがとね?」

なんかDV彼氏みたいな甘やかし方してくるときあるんだよね、この子。

怖いわ。


「う、うん。


でもね!彼もあんな言い方しなくてもいいと思わない?」




「なんでも、最近そういう誘いみたいなのすごく多いんだってさ。


仕方ないよ。うまいし。」




「うまいんだ…。」


この一言に私は火がついた。


上手いとはいえ、所詮アマチュア大学レベル。


幼少期からヴァイオリンを弾き続け、国内コンクール年代別では無双状態を誇ったこともある私。




彼の鼻っ柱をへし折ってあげなきゃ。




「聞いたことないの?彼の演奏。」




「ないわね。所詮アマチュアでしょ。」




この時、ほのかは苦ーい顔をしていた。


その苦ーい顔の意味にここで気づいていれば、




しかし過ぎたことはもうしょうがない。

私の勘違いは加速していく。




ちょうど時期的に冬の合同コンサートもあることから、私は伴奏者を探していた。

いつも伴奏をしてくれる同じ学年の実季は伴奏を断る代わりにいい子を紹介してくれるという。






実季に、紹介してもらって悪いけど、是非彼とやりたいというと、

正にその子が私が紹介する予定だった子だよと言ってくれたので、一も二もなくお願いしておいた。


その時にどうしてそんなに乗り気なの?と言われた

なので、かくかくしかじかあったことを洗いざらい話してやった。




その時の実季の悪い笑顔に気づけばよかったのに、全く気づかなかったわ。

私が態度を改める最後のチャンスだったが、それをふいにしてしまったということね。






そしていよいよ迎えた初顔合わせ。


つまり私の処刑される時間よ。




きっと彼の中での、私の印象は最悪なのだろう。


勘違いして突っ込んできて偉そうなものの言い方。


とんでもない天狗に見えているかもしれない。




初顔合わせでもやりあってしまった。

今となっては申し訳なさでいっぱいだ。






仕方ないよね、私はその時、彼をまっすぐにしてあげなきゃいけないみたいな、変な使命感と正義感に突き動かされてたんだから。




そして初合わせ。


いつもより念入りに準備までして、ゴリゴリに練習してきて


コレだ。


彼の最初の音を聴くまで完全に舐めていた。




チャールダーシュ二重奏は、ピアノの和音からスタートする。




彼の和音は重厚で豊かな響きと哀愁を持っていた。


そして何より音が大きい。


響きが豊かすぎるせいで、大きく聞こえてしまうのだ。

しかも、ダイナミクスの緩急がついていて、響いてパワフルなのに雑なところが全くない。

きっとピアニストはやりにくいだろうなと思いつつ、このホールを選んだのだが、完全に裏目に出た。


ホールとピアノの力を完全に引き出されている。




やばい、負ける。




これでは彼の演奏会になってしまう。






それからも演奏は彼優位で進んだ。

どうにかしてペースを取り戻そうとしても暖簾に腕押し糠に釘。

まるでじゃれる子供とあやす大人の構図だ。




完全に鼻っ柱をへし折られるのは私の方だった。




多分聴いている方からしたら良い演奏くらいには思ってくださるかもしれないわ。

でも私のプライドはズタズタだ。

ズタズタどころか完全に、抵抗する気持ちさえも奪われた。




世の中上には上がいるもんだし、それを知ってるつもりでいた。

むしろ私は上の存在とすら思っていた。




しかしそんなものはただの自惚れでしかなく、今はただひたすらに自分を恥じ入るのみよ。






演奏が終わってみると膝から崩れ落ち、涙が止まらなかったわ。




泣いている私に気付いて、焦って近づく彼。

悔しさと恥ずかしさで彼に縋り付いて泣いてしまった。




彼の高そうな服を鼻水と涙まみれにしてしまったがそれくらいは許してほしい。

しかし、宿敵に縋り付いて泣いてしまったのは今思うと相当な黒歴史なのよね。

忘れてちょうだい。






そのあと、泣き過ぎてて練習にならなかったので、彼と2人で近くのファミレスに行ったわ。

そこで色々ちゃんと腹を割って話し合った。




私も、ファーストコンタクトで彼に悪印象を与えてしまったし、悪い部分もかなりあった。

彼と演奏してみて思ったけど、私には直すべきところがありすぎると思った。




なんとかして彼の演奏に食らいついて、本番では逆に彼を食ってやらなきゃ!

悪の皇帝に負けるな!私!







~~~~~~side藤原吉弘~~~~~~





あのあと泣きじゃくる笹塚を見て、練習にならないと判断したので、近くのファミレスに連れて行き、落ち着いて話をしようという話になった。


ぐすぐすと泣き散らかす笹塚を連れてファミレスに行く。


鼻水と涙まみれの服も気持ち悪いし散々だ。


お気に入りのマルジェラのシャツなのに。


しかもぐずっているからなのか、手を握って離さない。


ため息をつきながらファミレスに連れていく。


店員さんはギョッとしていたが、一番奥の人目につきにくい席に案内してくれた。


テクニック的には素晴らしいものを持つ彼女だが、どうしてファーストコンタクトであんなことをしてきたのか、しっかりとお互い話をしないといけない。








話をしてお互いの誤解は解けた。


私が入会を断ったわけも、彼女が乱入してきたわけも。


お互い悪いことを言い合ったのでそれについての謝罪もした。


互いに知ってわかったが、彼女はそんなに根は悪い奴ではない。


苦手なタイプの人間ではあるが。




さて、合同コンサート、どうなることやら。






~~~~~~side 笹塚癸美香~~~~~~




ファミレスの後はまたホールに戻ってひたすら練習。


彼の練習は正直きつい。


めちゃくちゃ細かいのだ。


数小節単位まで細かく細かく砕いてひたすらに反復練習。

私が納得していても、彼が納得しなけりゃ全く進まない。

そのこだわりが、さっきみたいな演奏を生むのね。

私もやるわ!




1日中ホールを貸し切って練習したのだけど、結局一曲通しでさらうことはできなかった。


私もまだまだということね。

彼の求めるレベルには到底達してないということだわ!!!




所詮、小さな世界で頭を張っていただけだったとわからせられた私はネオ癸美香として、悪の皇帝を打ち倒すのよ!






彼が、「またろくでもないこと考えてないで練習しろ」といった冷め切った目で私を見ているわ!


でも私負けない!






「ちょっと個人練してもいいかしら?」




「いいよ。好きにやってきて。30分後ステージね。」




多分彼は私のことを先輩と思っていない。




個人練と言いつつ、彼、チャールダーシュじゃなくてショパンエチュード弾き始めたし。


しかもすごく上手い。このうまさがすごく腹立つ。






絶対勝つんだから!


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