第49話 ピアノを買います。


徒然なるままにバイト先でピアノをかき鳴らす毎日(練習のため無給)。




そして、引っ越して数日すると、家にゴルフ練習セット一式が届いた。

なおちゃん用らしい。

まぁアスリートですし。




何百万もするスイングとか解析するようなやつとか、大量のゴルフボールとか、なおちゃんの予備のゴルフクラブ一式とか、練習用マットとか、もーとにかく全て。


施工業者さんも一緒に来た。




なおちゃんからの指定通り、一つ空いてる洋間に敷設工事をしてもらうと、簡単な研究室というか工房の様なものができた。


簡単な作業ならここでできるようだ。




さすが分譲マンションなだけある。


買っているので好き放題だ。


いいのか本当にこんなことして。






せっかくなので私も運動がてら素振りやアプローチの練習をしてみる。




「おぉ、いい感じ。


部屋の中なのになんか不思議だけど。


まぁでも、長々練習する部屋ではないわな。


調子確かめるくらいの。」






そうして、一週間が過ぎ、試奏の日。


実季先輩が私の家に来るので、2人で先輩の先生の指定した場所に行く。




玄関チャイムが鳴らされ、先輩が下のエントランスに来たことを知る。

迎えに行ってピックアップして、指定された港区のビルに向かう。






はて?港区にピアノ屋さんなんかあったかな?






近くのコインパーキングに車を止め、指定されたビルに着く。


「先輩、本当にここ?」




「みたいねぇ。」




「お待ちしておりました、藤原様、柳井様。


わたくし、本日ご案内させていただきます中田でございます。」




「あ、どうも。お世話になります。」




「こんにちは、お世話になります。」




「本日は宜しくお願いいたします。


それではショールームの方にご案内させていただきます。」




そうして、中田さんに連れて行かれる。




いざ防音のショールームに入るという段になって、中田さんからアイマスクを渡された。




「これは?」




「本日ご紹介いただきました、弓様からご指示がございまして、アイマスクをして、音だけで選んでみなさい。とのことです。」




「そんなアホな!」




「うあー、このテスト私もやったことある。」




「えっ、これポピュラー?」




「いや、ぜんぜん。


多分先生が耳育ってるかみたいだけだと思う。


ちなみに耳が育ってないと買わせてくれないよ、これ。」




私はそういうやり方があまり好きではない。

道具に高価安価あれど、道具は道具。

上手くなるためのものだ。

たしかに飛び抜けて高価なものは必要ない。

天板に彫刻がしてあったりとか。




別に私はそういうものが欲しいわけじゃないのだ。

素直に買わせてくれよ。




「後一点、もう一つなのですが、ご指示がありましたのは、ブランドに惑わされずに自分が求める音を出してくれるピアノを選んで欲しいとのことなので、おそらく耳が育つ育たないの話ではないかもしれないですね。」




「なるほど。」


それなら少しは理解できるので、渋々ながらアイマスクをつける。




実季先輩に手を引かれつつ、まず最初のピアノに座る。

ちょっといたずらに実季先輩の手をそっと握り返してみる。

手先から先輩が慌てたのが伝わってきた。





座るところから見えてないのでどこになんの音があるのかわからない。




とりあえず適当に鍵盤を叩く。




「うーん、かたい。


硬いというか、クリアーなのかな。


エネルギッシュな感じは伝わる。


でも求めてるものとは違うかなぁ。」




カリカリとペンを走らせるような音がする。




「はい。お次です。」




次も適当に鍵盤を鳴らす。




「おっ?」


琴線に触れるものがあった。


朴訥というか、音の伸びが先ほどのものと比べてぜんぜん伸びない。


無駄な響きがないというか。




「これ残響が少ないけど、いいね。


響きが濁らない。


ピアニシモからフォルティシモまでの懐も深い。


思う存分叩けるし、これは結構好き。


これが所謂、総アグラフの音ってやつ?」


英雄の出だしを弾いてみる。


おっ、弾けた弾けた。


思った音が、思った通りに出るっていいね。




またしてもペンの音。


何かをメモしているのだろうか。




「はい。では次行きますか?」




「お願いします。」






3台目も同様に弾いてみる。




「おぉ。しゃべるしゃべる。


このピアノしゃべりますね。」




もちろん、こんにちはとか、おはよう、とかしゃべるわけではない。




いいピアノというのはよくしゃべる。

と昔から言う人もいる。

つまり、弾きやすくてわかりやすいと言うことだと解釈している。




ここを、こう弾くと、こう鳴ると言うのがきっちりしていて分かりやすい。

中途半端な仕事ではこうはならない。

たゃんとした職人が、ちゃんとした材料で、ちゃんとした仕事をしている音がする。




「音色はオールマイティーで、それこそさっきのに負けず劣らずの懐の深さ。


高音のクリアさも負けてないどころかこっちの方が素直に響いてる。




…うん、はい。


ありがとうございました。」




メモの音気になるなぁ。




「はい、お次ご案内させていただきます。」




さてさてお次は〜。






「あ。さっきのをそのまま柔らかくした感じ。


てことはこっちが中古か。

ほんのわずかにだけど、こっちの方が音の向きが揃ってる気がする。

木材か手入れかわかんないけどこれすごいなぁ。」






弾いていて気持ちが良い。

ピアノがもっともっとと急かしてくる。

ピアノが先生っていうのはこう言うピアノのことを言うんだろうな。




「…はい、わかりました。」




「かしこまりました、お次です。」




座って、鍵盤に手を置く。




「あ、わかった、これベーゼンだ。」




何ヶ月もベーゼンばっかり弾いてたらなんとなくわかる。




「うん、ベーゼンの新品ですね。


普段引いてるのよりもアクションが鋭い。


音が柔らかくて減衰しない。


暖かい音でいいピアノですね。」




堪能するように一通り弾く。




「はい、次お願いします。」




「こちらがお次のピアノです。」




うん、予想通り結構前の、だけど普段使ってるのよりは新しいベーゼンだった。




やっぱり、さっきのベーゼンの特徴をどんどん伸ばしてあげたって言う感じの調整がしてあるんだとおもう。


古いベーゼンは、コストパフォーマンスが高い。


商業そっちのけでめちゃくちゃいい木をふんだんに惜しげも無く使っているからその分音もいい。


後中古でも新品より高いなんてザラにある。






「はい。ありがとうございました。」




「ではお次です。」




「え?まだあるの?」




「はい、後2メーカー3台ございます。」




「わかりました。」




ずいぶん大量のピアノを用意してくれたものである。






「…こーれは、すごいですね。」




4メーカー目のピアノと言われて、これまでの予想が違ってたらどうしようと思ったけど、明確に違う。




これは本当に、4メーカー目のピアノだった。

弾いたことないピアノだ。

弾き味は至福。


他の3つとまるで違う弾き味で良い意味で期待を裏切られる。




そして、通常、ピアノのペダルは3本だが、このメーカーに限っては4本ある。




なんというか、もう語彙力が著しく低下する。


すごい。


タッチは極めてソフト。ふれるだけで音がなるような繊細さ。


トーンは明るくクリアでどこまでも伸びていく音。


弾くというよりは、弾かせてくれるピアノ。


変な力はいらず、自分は表現するだけ。


まさに弾くだけで幸せになれるピアノ。






「このピアノ弾いたことないんですけど、こんなピアノが世の中にあるんですね。


ありがとうございました。」




「はい、以上でございます。




そうですね、このようなピアノ、存在してございます。」




「とりあえず今自分の中では3台に候補を絞ってます。」




「参考までにお聞きしても?」




「最後の三台です。


ベーゼンの新品、ベーゼンの中古、知らないピアノ。」




「かしこまりました。


それではアイマスクを取っていただいて結構です。」




「えっ?」




アイマスクを外してみると、だだっ広いショールームにすでに3台のピアノしか残っていなかった。




「いつの間に!?」




「弾いていらっしゃるのを拝見すれば、向いてる向いてない、好き好きじゃないはわかります。


私の判断と、藤原様のご判断が一致したのでアイマスクを外していただきました。

残りの1メーカーはたぶん弾かなくてもよいかと。

断言しますが弾いても買うことはないと思われますので一旦部屋から出しました。

別室で用意しておりますのでそちら帰りがけに試奏していただけたら分かると思います。」






「わー、なつかしいな、この感じ」


先輩は苦笑いしていた。




「もし判断が一致しなかったら?」




「アイマスクのまま事務所にご案内して、そこでマスクを外していただいてお話しという感じですね。」




「なるほど…。」




「それではこの三台をお好きなだけ弾いて、お試してくださいませ。」




「ありがとうございます。


ではお言葉に甘えて…。」




しばしの判断。

「よし、決めた!!」




ここで時計を見て初めて気が付いたが、


弾き始めてから3時間が経過していた。






「お疲れ様。」


「お疲れ様でございます藤原様。

大変良いものを聞かせていただきました。」




「ピアノが良いからですよ。

それより、決めました!」



「はい、お伺いいたします。」



「この4メーカー目のピアノにします。」



「かしこまりました。

それではこちらの最後にお弾きになられましたピアノでご契約ということで、事務所にご案内申し上げます。」




私が選んだのは4台目のピアノ。


長さは奥行きが2mちょっとの、セミコンサートグランドピアノだ。

マンションの防音室はセミコンまでならちゃんと響きを引き出してあげられるように作られているらしい。


さすがにフルコンはいいでしょう・・・。

メーカーがファツィオリという。


後から知ったのだが、世界最高級のピアノのうちの一つらしい。


お値段なんと1500万弱。


まぁとんでもなく高いけれども、あんまり他のメーカーとかわんないね。


一応想定内に収まってよかった。



ちなみにもっと大きいサイズのものもあって、そっちも気になったけど個人宅でそのサイズは無駄だよと実季先輩に諭された。



大きけりゃ良いってもんじゃないんだね。




そして、私が今日来たこのショールームは、ファツィオリ社さんのショールーム。ご案内してくれた人はファツィオリ日本総代理店の方でした。




そして、嬉しかったことが一点。




ファツィオリを選んだら、私のところに連れてきて頂戴と弓先生がおっしゃってたとのことで、期せずしてプロの先生に顔をつなぐことができた。



ありがとう、実季先輩。






お支払い代金は、現金一括ということで、期日までにお振込しますという話で、まとまり、これからまた何日かかけて、本国の技術者さんと日本の技術者さんで最終調整を行ってから我が家に届くらしい。




全く楽しみで仕方ない。




その後、実季先輩をおうちまで送り届けて、家に帰った。




「やっぱり広い部屋に1人って寂しいな…。」

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