第39話 ワンマンライブの曲決め。



さて、ライブをやることになったわけですが。






ライブをやるってことは、曲を決めなきゃいけないわけで。






「どうしましょっか。」



「どうしましょっかと言われましてもね。

なんかやりたい曲ないの?」


困ったときの実季先輩。

クラシックの知識は折り紙付きである。



「あるっちゃある。」



「なになに?」



「ショパンのエチュードOp.10 No.4」



「また奥が深い曲を…。」


この曲は難易度もさることながら、極めるのが難しい。


じつは速く弾いていればそれなりの形をして見えるのだ。

でもそれは完成したこととイコールではない。

アウフタクト、日本語では弱起や上拍とも呼ばれるが、

これをちゃんと意識しないとどんどん詰まってきて終わる。


バッハ的な曲の構成になっており、弾きやすいところと

弾きにくいところが両手で入れ替わるのでめちゃくちゃテンポが揺れる。

しっかりと鍵盤を置くまで踏み込んだ支えを作ることが重要で、

それがなければ鍵盤の表面を撫でているだけの上滑りした寒い演奏になる。


ショパンコンクールでもよく演奏される名曲は伊達ではない。



「速弾き得意だしいいかなって。」



しかし速弾きは得意中の得意。

指の回り具合と奥までしっかりと踏み込む力強さと掌の柔らかさには自信がある。

演奏において取り立てて誇れるポイントがあるわけではないが、速弾きに関しては誇ってもいいのかなと。




私のその言葉を聞いた先輩の顔が、楽しそうに歪む




「そこまで言うなら、じゃあちょっと弾いてみなさいよ。」


その言い方にちょっとからかいの色を見た私は、情け容赦なくがっつり弾くことにした。




「ほい。」



テンポは走らないし、モタらない。

ちゃんと演奏できる速さで、なおかつ限界まで早く。

もちろんアウフタクトもしっかりとつける。

押すところと弾くところは使い分ける。


鍵盤も底まで叩く。



「なんで完成させちゃうかなぁ…。」



私の演奏を聴いたあと、

先輩がこめかみを揉んでいる。


何かまずいことをしただろうか?




「先輩、私が先輩に聞かすんだから、それなりの完成度のもの持ってくるでしょ。」



「そ、そうなの?」


一転嬉しそうな顔。

先輩の顔は見ていて飽きない。


出会った頃より表情が増えたような。


「そりゃ先輩には生半可なもの聴かせられませんからね。」



「あ、ありがとう…。

じゃなくて!今のは何に気を付けて演奏したの?」




適当に煙に巻こうと思ったが、そうは問屋がおろしてくれないみたいだ。




「んーと、この子は連符がえぐいので、テンポ的に弾けるとこと弾きにくいとこがあるんで、弾きにくいとこが弾けるテンポで弾きました。


あと、右手と左手のバランス?


左は和音の刻みだけなんで、立ちすぎないように。


あと、弱音でも芯まで叩くとか基礎的なこととか?」




とりあえず、シンプルに意識したことを伝える。

あんまり多くの課題を抱えても、うまいこといかない。


過積載はスピードを殺すのだ。



「うん、そこまでわかってるならいいよ…。

基本的にはこの曲はそれが全て。」




「だから簡単でした!

弾きゃあうまくなるから。」



そう、ピアノは弾けば弾くほどうまくなる。

練習してない奴ほど、上手くならないと言うのだ。

世の中の物事は、時間をかければ大体なんとかなる。

よく言われるのは、1万時間かければプロになれる

というガバガバ理論。

でもあながち間違っていないと思うんだよね。




私によくくっついている肩書のゴルフ。

大学生にしてはゴルフが上手なのは間違い無いと思う。

しかし、かなり幼少の頃から練習し倒しているのも事実だ。

ゴルフはもう推定3万時間弱は練習に費やしていると思う。

たぶん姉はもっと時間を費やしているけどさ。




サックスに関してもそうだ。

1万時間の練習量は優に費やしている。

それじゃ計算が合わないという人もいるかと思うが、フィジカルトレーニングなどは共通するところも多く、自分の計算の方が正しいはずだ。




「うまくなるまで弾くのが難しいのよ…。」



「そうなんですか?

よくわかんないっすね。」



上手くなりたいならもっと弾くだけの話だ。



「まぁいいわ、他の曲は?」



「黒鍵のエチュード!」



「なんで?」



「いや、大いなる意志からやれと言われたからというか…。」




「大いなる意志…?」



「神託なのかな…?」



「まぁいいわ。弾ける?」



「ほい。」



黒鍵のエチュードは、

難易度の割に派手に聴こえて、

ハッタリが効く曲なので、大好きだ。


こういうのを飛び道具という。


サックスをやっていた時も、普通の練習より飛び道具的な小技の練習をするのが好きだった。



楽器が出せる最低音のさらに下を出す練習とか。

楽器が出せる最高音のさらに上を出す練習とか。

その限界突破した高音を出す双方のことをフラジオ奏法っていうんだけど、

たぶん日本の学生の中で一番うまかったと思う。




「完成度高ぁ…。」



やっぱり、プロに近い人の目から見ると、この二曲の完成度は違って見えるらしい。

どうしても好きな曲の方が完成度は高いものができてしまう。


自分としてはどちらも好きなのだが、完全に主観的な問題の好みとしては黒鍵のエチュードの方が好きなのだ。


「譜面最初見た時は、うわって感じだけど、

ほとんど黒鍵ってだけだし、

中途半端なのよりよっぽど簡単でしたよ。」



「さいでっか…。」



「うん、どうかなぁ?」



「今の曲たちを聞く限りでは全く問題ないと思うよ。

あと1ヶ月弱、ちゃんとしっかり今の調子で練習すれば問題ないって感じ。


ちゃんと気をつけるポイントも合ってる。」




「よっしゃ!」


先輩からお墨付きをいただけたのならなんの心配もない。

この1ヶ月、ひたすらに弾き込むだけだ。


「あと1ヶ月弱がんばってね?」




「もちろん!また先輩の度肝抜いちゃう!」



「楽しみにしてます。


あ、そういえば、またセールの案内来てたけど、一緒に行く?」




「え!いいんですか!行きたいです!」


私がそう言ったときの先輩の顔が今日1番嬉しそうな顔だった。

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