第35話 弓削幸祐里という女2



今日は待ちに待った、デートの日。




いや、デートかどうかはわからないけれど、


デートの日なのだ。


きっと向こうはデートだなんて思ってないに違いない。




でも、そういうのは気合を入れたものが勝つように世の中はできている。






先日は、また綺麗どころの女の子と手なんか繋いで学祭を回っていたのは記憶に新しい。






あの子には負けるかも知んないけど、私だってなかなかのもんよ?


少し勝気に見えるかもしれないけど、顔もなかなかだし、体だって…




ってなに考えてんのよ…。






あー、最近暇なときはいつもあいつのこと考えちゃうんだよなぁ。


なにしてんのかなーとか、あいつのピアノ聴きたいなーとか。






そうそう、初めてあいつのピアノ聴いた時の衝撃ったらなかったな。


ピアノってこんな音がするんだ!!!


のレベルで衝撃だった。




誇張じゃなく、あの瞬間私の意識はヨーロッパまで飛ばされたと思う。


見えたのよ、町並みが、人が、感情が。






きっとその時にはもうオトされてたんだろうなぁ。


あの顔で、間近で、あんなかっこいいことされてごらんよ。


落ちるから。意識なんて飛んじゃうよ?






それでその後ウィーンまで連れて行かれて。




ウィーンでは、あいつのピアノ漬けの毎日だったな。


今思い出すだけでも幸せだよ。


ご飯は美味しいし。




まぁ、恥ずかしいこともあったけど…。






それで昨日のあの演奏だもんな。




私が聴いたことのある誰よりも心に響く音楽だったと思う。


あいつの次に弾いた先輩のピアノもすごかった。


凄すぎてよくわかんなかったけど、多分あいつも同じくらいヤバかったと思う。






プロになっちゃうのかな?


ってことは、もっと遠くに行っちゃうのかな。


それは嫌だけど、あいつの凄さはもっとみんなに知ってほしい。


でも自分だけが知っておきたいっていう気持ちもある。




人間の心ってうまく行かないようにできてるんだね。






そうこうしている間にあいつがきた。






え?


うん、そうだよ、待ち合わせの時間潰し。


何時からいるのかって?


うーん、9時くらいかな…。




自分でも早すぎたとは思ってるんだけどね…。


楽しみすぎて寝られなかったんだよ。




おかげさまでいろんな人に声かけられたけど、


「彼を待っているので。」


の一言で粉砕してきたわ。




彼っていうと、彼氏のこととみんな勘違いしてくれるから助かるわ。


単純に代名詞 heの意味で使った言葉なのだけれど。






やっぱり今日もかっこかわいいわ。


男の人がタートルネックきてるの好きなんだよね。




しかもただ細い人じゃダメ。


スポーツをやってる感じの、引き締まった体で、肩幅がある方がいいわね。




あいつは、その辺の見せ方がほんっとうに上手。




今日のコーデは本当にドンズバで私の好み。






あー、たまんないわ、コレ。




あの人がよかったんだから、私も手くらい…


いいよね…?






やった、握ってくれた…!




手、あったかい。


思ったより柔らかくて肉厚だ。




男の人の手って初めて触るかも。






やばい、意識しちゃったら顔赤くなってきた。


って、なんで恋人繋ぎ!?!?


手汗大丈夫か!?わたし!?


どうしよ、自分でもわかるくらい顔赤い多分。




やばいやばい。








どうにかこうにか頑張ってるうちに、だんだん慣れてきて、いつも通りには振る舞えたと思う。






別に普段はなんとも思わないような、ただの飲み物もお菓子も、あいつと一緒っていうだけでなんの味もしなかった。


多分緊張してたんだろうね。


五感が全てあいつと繋がってる手に集中してた気がする。






学祭の空気もだんだんと終わりに近づいて、


みんなが家路に向かい始める。


一部の学生たちはまだ残って、後夜祭の空気を作り始めてる。




私たちもなんとなく帰る空気。


わたしはもっと一緒にいたかったけど、あいつ後夜祭のガヤガヤした騒がしい空気好きじゃないからさ、たぶん。




でも帰る前に一つどうしても聞きたくなってさ。


聞いちゃった。




「……吉弘は、プロになるの?」




それを聞いた時のあいつの顔は忘れられない。




鳩が豆鉄砲食らった顔って、こういう顔のことなんだなぁって実感を持って納得した。




でもあいつの口から、今のところはだけど、気持ちが聞けてよかった。




別にわたしはプロになっても良いなって思ってたんだからね?


ほんとだよ?




いつになるかわかんないけど、

次にあいつとどこかいけたら、そのときはちゃんと味がするといいな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る